以前書いたものの続きのお話。
バンド解散後、人との付き合い方を少しずつ学んでいた頃には、解散したバンドのメンバーとも普通に付き合えるくらいになっていた。
当時は自分のしたい音だったり、それを代弁してくれる奏者も周りにはいないと思い、完全に音楽の活動について諦めていた。
そんなある日、新大久保で俺にとっての聖地、THE GHETTOで一人の女性と知り合う事となる。
「オサムさーん、オサムさんバンドもうやらないんですか?バンドするならお手伝いしますよー」と声を掛けられるも俺はこの女性を知らなく、返答に困っていた。
内心「お手伝いって何だよ」と思いつつ話していたら、乗せるのが上手というか、人の事持ち上げる持ち上げる。
「オサムさんは華がある」だとか「界隈では芸能人並みですよ」とか言うから酔っ払いつつも気分が良くなり、何となくバンド活動したいという念が湧き出していた。
それから数日経ったある日、解散するまでの数バンドでよく対バンしていたパンクバンドのギタリスト、ハネケン君から電話が入った。
「聞いたよ、もうバンドしないの?俺オサムちゃんと音楽したいと思ってたんだよね」
メンバーの選出基準や立つステージ、衣装や見せ方は俺に考えさせて欲しい事、それを踏まえた上でだったらバンドするか考えると伝えた。
なぜならその日の話題に上がったのが「ポップスならミリオン、端っこの音楽はどう頑張っても国内で太刀打ちいかない」という市場の事を話していた為。
それまでしていたバンドでの活動は、当時考えても酔っ払って好き勝手していただけで、見る側を完全に無視した自慰活動だと感じていた反省を踏まえなければならなかった。
前バンドのダイ君にベースを頼み、その後一緒に暮らす事となったヨシトにギターを頼み、「ダイエット目的でいいなら叩くっすよ」という若林君にドラムを頼んだ。
何となく「男は化粧しちゃいけない」という感覚を持っていたので、眉ペン一本購入しアイラインをちょくちょく引いては街に繰り出し慣れようと試みた。
見せ方も考え、日常の服装も変えた。
当時西海岸を意識したような服装ばかりだったものを、TシャツならLやMからSに、短パンや少しゆったりしたパンツから細身のものに、スニーカーからブーツに。
今のスタイルに至るのは、この頃の考察が大きい。
まず色々な人に見てもらう事が何より大切、好きな音楽をファッションで伝えるのではなく、まずファッションという垣根よりも見てもらう事が一番だと変えたから。
難しいな、要約すると「俺はヒップホップが好きだぜメーン」ってファッションから訴え出ていても、周りからすればどうでもいい事なんだよなと気付いた事、それより平均的に隔たりの少ないスタイルにする事が得だと感じたという事。
次にどういった男性に女性が惹かれるのか、たまに「坊主髭の人大好きー」と言う女性も見掛けるが、あくまでそれはマイノリティだという事に気付かなければならない。
そこでエモだったりスクリーモ路線でいきたいと考えるようになった。
見た目の話ばかりになってしまった。
曲作りは基本的に俺が歌メロを考え、そこに各々パートが音を付けていく形。
現在活動の準備を進めようと考えているCRIES IN VAINの屍忌蛇さんやNAGANOさんと知り合ったのもこの頃。
屍忌蛇さんの事を知らず「メタル好きそうっすね」の失礼な発言から意気投合、今の関係性に至る。
NAGANOさんに関しては、エクスタシーに所属していた事も、エンジニアとしての腕がある事も知らず「オサムくーん、音楽で何か手伝える事があったら言ってね」と言われた時「何ができんすか?」と言った始末。
あ、NAGANOさん、今朝屍忌蛇さんから電話あって怒っていましたよ。
バンドの形もある程度決まった頃、前述の女性に「バンドやりますよ」と伝えると、すごく喜んでくれたと同時に大手音楽プロダクションの人だったり、名刺にエグゼクティブプロデューサーという何の仕事の人か分からない人だったり、よく耳にするアーティストだったり、すごく有名なアーティストのマネージャーだったり、とにかく紹介されまくった。
ただいつも笑顔の年上の女性だと思っていたら、音楽業界でかなり顔の広い女性だと後で知る事となった。
屍忌蛇さんに「ライブやるからおいでねー」と言われライブ会場でものすごいギターを弾く事を知った。
またNAGANOさんと楽器屋の試奏で俺の好きなアーティストの速弾きをあっさりこなす姿を見て驚愕した。
そんな二人の凄さを知った後、そのバンドでのライブではNAGANOさんは音の確認をしてくれ、屍忌蛇さんは大御所とは思えないほど最前ではしゃいでくれた。
女性は女性で、俺が主催したイベントにAGGRESSIVE DOGSを呼んでくれたり、メジャーのアーティストを呼んでくれたり、とにかく色々と良くしてくれていた。
結果的にベースのダイ君が課長に昇進するという事で、多忙を理由にバンドは解散となってしまったが、考察の事、支えてくれる周りの人々のおかげでそれまでのバンドでは考えられなかった集客を体感する事ができた。
今また音楽をしていこうと思えるのは確実にこの当時知り合えたみんなのおかげだと思う。
そのバンドの最後のライブから、またCRIES IN VAINという集団が生まれるまで、また紆余曲折があるのだけれど、それはまたのお話。
バンド解散後、人との付き合い方を少しずつ学んでいた頃には、解散したバンドのメンバーとも普通に付き合えるくらいになっていた。
当時は自分のしたい音だったり、それを代弁してくれる奏者も周りにはいないと思い、完全に音楽の活動について諦めていた。
そんなある日、新大久保で俺にとっての聖地、THE GHETTOで一人の女性と知り合う事となる。
「オサムさーん、オサムさんバンドもうやらないんですか?バンドするならお手伝いしますよー」と声を掛けられるも俺はこの女性を知らなく、返答に困っていた。
内心「お手伝いって何だよ」と思いつつ話していたら、乗せるのが上手というか、人の事持ち上げる持ち上げる。
「オサムさんは華がある」だとか「界隈では芸能人並みですよ」とか言うから酔っ払いつつも気分が良くなり、何となくバンド活動したいという念が湧き出していた。
それから数日経ったある日、解散するまでの数バンドでよく対バンしていたパンクバンドのギタリスト、ハネケン君から電話が入った。
「聞いたよ、もうバンドしないの?俺オサムちゃんと音楽したいと思ってたんだよね」
メンバーの選出基準や立つステージ、衣装や見せ方は俺に考えさせて欲しい事、それを踏まえた上でだったらバンドするか考えると伝えた。
なぜならその日の話題に上がったのが「ポップスならミリオン、端っこの音楽はどう頑張っても国内で太刀打ちいかない」という市場の事を話していた為。
それまでしていたバンドでの活動は、当時考えても酔っ払って好き勝手していただけで、見る側を完全に無視した自慰活動だと感じていた反省を踏まえなければならなかった。
前バンドのダイ君にベースを頼み、その後一緒に暮らす事となったヨシトにギターを頼み、「ダイエット目的でいいなら叩くっすよ」という若林君にドラムを頼んだ。
何となく「男は化粧しちゃいけない」という感覚を持っていたので、眉ペン一本購入しアイラインをちょくちょく引いては街に繰り出し慣れようと試みた。
見せ方も考え、日常の服装も変えた。
当時西海岸を意識したような服装ばかりだったものを、TシャツならLやMからSに、短パンや少しゆったりしたパンツから細身のものに、スニーカーからブーツに。
今のスタイルに至るのは、この頃の考察が大きい。
まず色々な人に見てもらう事が何より大切、好きな音楽をファッションで伝えるのではなく、まずファッションという垣根よりも見てもらう事が一番だと変えたから。
難しいな、要約すると「俺はヒップホップが好きだぜメーン」ってファッションから訴え出ていても、周りからすればどうでもいい事なんだよなと気付いた事、それより平均的に隔たりの少ないスタイルにする事が得だと感じたという事。
次にどういった男性に女性が惹かれるのか、たまに「坊主髭の人大好きー」と言う女性も見掛けるが、あくまでそれはマイノリティだという事に気付かなければならない。
そこでエモだったりスクリーモ路線でいきたいと考えるようになった。
見た目の話ばかりになってしまった。
曲作りは基本的に俺が歌メロを考え、そこに各々パートが音を付けていく形。
現在活動の準備を進めようと考えているCRIES IN VAINの屍忌蛇さんやNAGANOさんと知り合ったのもこの頃。
屍忌蛇さんの事を知らず「メタル好きそうっすね」の失礼な発言から意気投合、今の関係性に至る。
NAGANOさんに関しては、エクスタシーに所属していた事も、エンジニアとしての腕がある事も知らず「オサムくーん、音楽で何か手伝える事があったら言ってね」と言われた時「何ができんすか?」と言った始末。
あ、NAGANOさん、今朝屍忌蛇さんから電話あって怒っていましたよ。
バンドの形もある程度決まった頃、前述の女性に「バンドやりますよ」と伝えると、すごく喜んでくれたと同時に大手音楽プロダクションの人だったり、名刺にエグゼクティブプロデューサーという何の仕事の人か分からない人だったり、よく耳にするアーティストだったり、すごく有名なアーティストのマネージャーだったり、とにかく紹介されまくった。
ただいつも笑顔の年上の女性だと思っていたら、音楽業界でかなり顔の広い女性だと後で知る事となった。
屍忌蛇さんに「ライブやるからおいでねー」と言われライブ会場でものすごいギターを弾く事を知った。
またNAGANOさんと楽器屋の試奏で俺の好きなアーティストの速弾きをあっさりこなす姿を見て驚愕した。
そんな二人の凄さを知った後、そのバンドでのライブではNAGANOさんは音の確認をしてくれ、屍忌蛇さんは大御所とは思えないほど最前ではしゃいでくれた。
女性は女性で、俺が主催したイベントにAGGRESSIVE DOGSを呼んでくれたり、メジャーのアーティストを呼んでくれたり、とにかく色々と良くしてくれていた。
結果的にベースのダイ君が課長に昇進するという事で、多忙を理由にバンドは解散となってしまったが、考察の事、支えてくれる周りの人々のおかげでそれまでのバンドでは考えられなかった集客を体感する事ができた。
今また音楽をしていこうと思えるのは確実にこの当時知り合えたみんなのおかげだと思う。
そのバンドの最後のライブから、またCRIES IN VAINという集団が生まれるまで、また紆余曲折があるのだけれど、それはまたのお話。