大きな夢も特になく、そのまま土建業で小さな会社の社長にでもなろうと、ふわっとした将来のビジョンしかなかった十代の終わり頃のお話。

十五で塗装工の寮生活にて一人暮らしを始め、十七の時には大工業の棟梁をしていた自分にとって、十九の頃していた土建業でも同じようになっていくという決め付けきった確信しかなかった。

その当時は仲間以外にも慕ってついてきてくれる後輩達が、よく俺のアパートに入り浸ったりと十代らしい生活を送っていた。

幼馴染みだった二つ年下のS、俺の引っ越しにより小学校と中学校は別々に過ごしたものの、Sが高校生になるやすぐに挨拶に来てくれた。

弟のようにかわいがっていたS、地元で見た事のない若者を見掛ける度「いいっすか?」と俺に聞いては「いんじゃね」の無関心の俺に、意気揚々と絡んで行った。

そう言えば負けたところは見た事がない。

でも毎回柔道技で相手に挑むSに「もっとスマートに立ち技で勝てよ」などと言ってはからかっていた。

何だかその一連がとても楽しかったようで、俺と一緒にいるとSはいつも不良少年を探していた気がする。

そんなSとは一緒にサーフィンもしていた。

俺は上手くないのだが、週に一度有り余った体力をぶつけるには絶好のスポーツだった。

土曜日の朝方三時頃車を走らせ、千葉・茨城・神奈川と近隣の海に行き午前中海と戯れた。

海に程近いSの祖母の家に泊めてもらった事もあった。

他にも後輩は多かったのだが、当時いつもそばいたのがSだった。


ある日Sが缶ビールとつまみにスナック菓子を大量に買い込み、俺の部屋にやってきた。

実際に俺を知る人なら納得だろうが、楽しい時間だと話題も何もあったものではなく、一つの話題が湾曲し、話の留まる頃には俺の眠さが勝つというパターン。

「明日仕事だからよ」と伝えると泊めての言葉もなくSは雑魚寝をしだした。


目が覚め作業着に着替える俺と、眠気眼を擦りながら煙草を吸うS。

大体の準備ができたのを察したSが「オサムさん、時間あったらやりません?」とロングスケートボードを指差す。

アパートの前の道路はT字になっていて、直線道路ではない方の道路にはちょうどいい傾斜がついていた。

会社までの道のりは友人が迎えに来てくれるし、起きた時間も早かったのか車の通りも少ない。

絶好の時間に思えたのでOKを出し、俺から滑る。

左右に細かく体重を移動させ直線道路に出る手前で素早く降り、踵を返し交代した。

Sが滑り始めた。

直線道路の手前で降りないと、車が走ってきたら対処ができないという事が常識的だと自然に思っていた俺と、Sの考え方は違ったらしい。

そのまま勢いよく直線道路に出たSに対し、早朝人気もない道路を飛ばしていたワゴン車が衝突した。

ブレーキ音とぶつかった衝撃音が
混じった。

Sの名前を叫び近寄る、細かく飛び散った血にまみれいびきをかいていた。

携帯電話ですぐに救急車を呼び、警察官の対応をワゴン車の運転手に任せ一緒に救急車に乗り込もうとすると、俺を迎えに来た友人の手には携帯電話、相手は当時の社長だった。

「対応は人に任せお前は出社しろ」という社長に大声で怒鳴り散らした。

集中治療室での必死の治療の甲斐もなく、一週間後Sは帰らぬ人となってしまった。

死因は車との衝突で強くアスファルトに頭を打ち付けた事から、右脳と左脳が混ぜられた常態の脳挫傷だった。

植物常態でも、脳味噌が混ざってしまっても、最後の最後白い骨になるまで奇跡を信じていた。

告別式の後、骨に変わり果てたSを見て絶望から力が入らず、自力で歩けなくなってしまった。


その後しばらくは、ふと瞼を閉じるだけで衝突の時の映像と音が鳴り響き、動悸が速くなった。

何度も何度も「あの時誘いを了承しなければ」「あの時早く起きなければ」「滑る前に直線道路に出ないように注意しておけば」など、挙げても挙げてもきりのない葛藤に悩んでは落ち込んでいた。

ある日ふといつも通りの自分が帰ってきた。

後悔をしていても戻りはしない、Sの早すぎる死を悼むよりもSの分も生きようと。

それからしばらくして会社を退社、それまで描いていた人生のビジョンとは全く違う生き方が始まった。

十七の頃から遊び場だった歌舞伎町での生活が始まるのだが、それはまたのお話。