ムードコーラスと長崎 | ムード歌謡やあれこれ日記

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・銀馬車の一階はパチンコ屋であった(クールファイブ前夜?)2階がキャバレー銀馬車。現在は更地になっているそう(ホリデーイン長崎という建物になっている。2020年時点)。

・クールファイブができたのは昭和42年。銀馬車の専属、ハコバン。他にもバンドが所属していた。

・宮本悦朗氏が入った時には、もうメンバーが揃っていた。

・内山田洋、岩城茂美、森本繁、小林正樹の四人は元は高橋勝とコロラティーノ(キャバレー十二番館所属)のメンバーだった。四人が辞めたのはお金?

・前川清と宮本悦朗は内山田洋の弟子だった。アマチュアバンド。それぞれ違うバンドにいた。

・十二番館はナイトクラブ。ホステスも一流だった。十二番館の方が高い店だった。コロラティーノが先に思案橋ブルースで成功した。

・宮本氏はハタチ前だった。2年所属してレコードデビュー。

・築地のビクタースタジオで1月8日に録音。発売が2月5日。ディレクターが山田競生。一発録音だったらしい。誰かが間違えるとアウト。

・「お昼のゴールデンショー」がきっかけで人気に火がついた。チャーリー石黒、コント55号が司会。月から金曜まで出ていたそう。

・当初は渚一郎とルナジェーナの方が期待されていた。(続く。タブレット純氏、ムードコーラス聖地巡礼より)