岩合光昭氏 動物写真家と出会い この作品を作ったころ | ロスからの声

ロスからの声

物足りないロサンゼルスについて書いています。

1980年台に作曲家の上田知華さんと出会い、彼女のピアノの力と作曲の力を活かし

何かをやりたいと思っているところへ友人である書籍の編集者が「おきて」という

写真集を出すという話を聞き写真家の岩合光昭さんの存在を知りました。

この写真集「おきて」を映像化したいという事で連絡を取り始めた。

岩合さんの事務所にお電話すると「今、岩合はオーストラリアにイルカの写真を

撮影しに行っていて10日後くらいに電話のある場所にたどり着きますので連絡

出来ると思います」というお話でした。

「連絡が取れる」というご連絡を頂きオーストラリアに電話を入れました。

岩合さんとの初めての会話でした。

話している間もイルカの声が聞こえていたのが印象強く残っています。

一か月後東京のお戻りに成った岩合さんの事務所で初めての

対面。

この「おきて」の映像版を作ってみたい。というのが僕のオファーでした。

岩合さんは「僕は何処でもイーグルアイと呼ばれている。

写真の焦点が合う間は映像を取るつもりはないし、アフリカに

ビデオを持ち込んでも「起きて」のような写真のような映像を撮ることは

まずない。

というお話でした。

では僕に写真を預けていただけますか??

僕はこの写真を映像にしてみたい。

ストーリーはお任せください。

岩合さんは僕の考えを理解してくれて写真を

預けてくれた。

「生きる」という言葉が僕を駆り立てた。

写真を幾度も繰り返し見て10通りほどのストーリーを

作ったのです。

2万枚くらいの貴重な岩合さんのアフリカから感じ取った

「生きる」という壮大なテーマからディテールを使い見始めていた。

上田知華さんに大体のストーリーを提案し作曲作業に

入ってもらった。

レコーディングは当初からパリと決めていた。

上田知華さんから次々上がってくるものを想像力で

繋げてパリへ向かった。

大切な僕の友人たちにコンセプトを話して曲を聴きながら

順調に打ち合わせが進んだ。

エンジニアもスタジオももう10年くらい使ってきた場所

友人になったジャンクロードなど素晴らしい仲間たちが

集まってくれた。

一ヵ月ほどの素晴らしいレコ^ディングだった。

パリ交響楽団の中心的メンバーたちが素晴らしい

演奏をしてくれ一緒にワインを酌み交わした。

東京へ戻ってからは10日ほど徹夜作業が続いた。

写真で組み立てたストーリーと音楽の組み合わせを

チェックしそれを工程表に落とし込む、映画でいう

脚本作りこれでビデオの編集マンたちが僕の手足に

なり、動いてくれた。

約50分14曲のビデオ作品の誕生であった。

その中の一曲です。

おい気に入りのものです。

楽しんでください。

 

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