From Los Angeles with Love アルルで暮らしたい。旅をするように暮らす。 | ロスからの声

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物足りないロサンゼルスについて書いています。




アルルの町へ初めて訪ねたのは1982年。

カンヌでの仕事の帰り道、何も予備知識なく

ふらっと訪ねた。

7月14日の革命記念日で大騒ぎのパリから逃げ出したかったからでした。

多くの画家が訪ねた町 アンティブ



コートダジュールのカンヌの隣、アンティブという所に住んでいる

友人を訪ね、パリに戻るため高速道路の8番を一気にパリへのつもりで

カンヌを出発。

たまには帰り道を変えて見ようとエクサンプロヴァンスから西へ。

地中海脇を走るオートルート8



少し遠回りをして帰ろうと8番の高速から9番の高速まで高速道路へ

高速道路を使用しないで田舎道走ってみよう。

そんな気持ちで高速を降り、西へ。

こんな細い道をゆっくりとドライブした。



そこには、高速で走っていては味わえない

今思えば典型的なプロヴァンスの景色が広がっていた。

パリで急いで戻る必要がなかったこともあり、

宿泊する場所を決め、2、3日この辺りに居てみたいと思った。

道路の標識はアルルという文字でいっぱい

「アルルの女」やゴッホとゴーギャンが住んでいた

場所というくらいの知識で一路、標識に誘われるまま

アルルへ向かった。


ゴッホが描いた多くの向日葵の畑を抜けるとアルルに入った。

アルルは紀元前123年にローマに占領され、運河を造り

貿易の中心地となった町。

近代になり時代は大きく変わり貿易の中心地はマルセーユの移り

アルルは静かな町へと変化した。

そこを訪ねこの町を愛し絵を描き続けたのがゴッホだった。


表通りから自分の描いていたこの町イメージを探して車一台が

やっと通れるような道をひたすら奥へ奥へと入っていた。

細い道をゆっくり走った。

このような細い道を車で抜けた。


紀元前にローマによって作られたコロシアム。


しばらく走り回ると広場に出た。

広場の周りにはカフェとホテルが建ち並び、広場は

そのカフェやホテルが出しているテーブルで埋まり

多く人たちが食事をしたり、お茶を飲んだりしていた。

求めていたイメージがそこにあった。


中でも壁を黄色に塗られたカフェが気を引いた。

ヴァンゴッホカフェと表示されていた。

ゴッホの描いたカフェだった。

車を停めその隣のホテルに部屋があるか聞きに入った。


このホテルのオーナーとの初めての出会いだった。

今でも電話で話すような友人になるとは知る由もなかった。


「いいわよ、部屋はあるわよ。何日?」

「とりあえず3日お願いします。」

「長引いても大丈夫よ、予備の部屋だし。きっと気に入って

 一週間くらい居るのはおもうわ。」

チェックインが終わるとロビーに座っていた彼女と

話を始めた。


お互いにどのような人生を送っているのか語り合った。フランスならでは??

彼女のご主人はアルルで行われていた「国際写真フェスティバル」

の理事の一人でパリではメディアの仕事をしていたという。

カメラマンのマネージメントも行い、いつしか何人かのスタッフと

「国際写真フェスティバル」を始めたそうだ。1970年にスタートした。

日本のカメラマンも参加をする世界でも大切な写真家たちの

イベントだ。

 

       今年のイベントインフォメーション。

そのフェスティバルのまっただ中だった。

町を歩いて驚いた。

八百屋も、魚屋も協会も学校も、写真が飾れる場所はすべて

展示スペースとして使用されていた。

アートヴィエンナーレというスタイルだった。

仕事で日本、アメリカ、フランスの写真家たちとは交流が

あったし、自分でも写真を撮っていたので、町中が展示場に

なっているこの町に自分は一気に溶け込んでいった。

疲れるとホテルに戻りロビーでお茶を頂きマダムと話し込んだ。

2日目にはもう、アルルの住人気分になっていた。

次回は写真展を紹介します。

続く



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