先週、大学院で共に勉強した友人とその旦那さんが、はるばるアイスランドから来たので、一緒に東京のまちを歩いた。


友人は、アイスランドのランドスケープアーキテクトでご主人は海洋関係のエンジニアだ。私が日本のランドスケープを紹介したり、自慢していたので来てみたかったのだという。


以前から紹介していた、伊勢や高野山は森に興味がある友人には格別だったという。



それに京都はどんな外国人でも行く場所だからお勧めもした。これまでの外国の友人は”京都サイコー!”というコメントばかりだったが、今回は違った。。。


京都はうるさい。。。と。。。


せっかくすばらしい庭園があるのに。。。と少し憤慨していた。それは、、京都のランドスケープについてである。


例えば、静けさやしずくの音さえデザインされた京都の庭が、まわりの車、バスなどのノイズで消されてる!というのである。


ガーデンだから生垣などの塀で覆っているのだけど、音が気になってしょうがないというのである。


確かに、人は視覚によってノイズを目で捉えるから、バスなどを見えなくすれば音が気にならないことはある。実際は音は消えてなくなるはずもない。


そのノイズ、それが不快だというのである。


やはり、ランドスケープをしている人間からすればそれはそうだ。


古いものを残すのはよいのだけど、新しいものがずさんであれば、それは美しくない。京都らしくないというのである。


京都のまちは、ガーデンというお部屋は立派である。しかしそれが断片的にあるだけでつながりに乏しい。それは近代のインフラ整備、ランドスケープデザインの問題である。




考えさせられるコメントだった。 Tak Frida!