旅人のブログ

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 私が高校生の時に、漠然とではあるがはっきりと「どこか遠くの知らない街に行きたい」と意識したことがあった。

 それを実行することなく45年が経過した私は60歳になっていたが、定年を1年早く切り上げて放浪の生活を実行することにした。

 以下、中年放浪記と題して、旅立つまでのことを正面から分かりやすく書いた内容を掲載します。

1.放浪の動機


勤労学生であった私は、高校や大学の授業料以外はすべてアルバイトで稼い

でいた。生活費から単車の免許取得費・単車(最初は50㏄から90そして500)の購入もである。

それは別として、高校1年か2年の真夏のある午後、繁華街の横断歩道の前で最初に購入した50㏄単車で信号停車していたところ、大勢の歩行者が目の前の横断歩道を通行していた。真夏の熱射でかげろうで前景が揺らめいていたように感じたが、その歩行者を空を見つめるように茫然と眺めていた。

その時ふと、どこか知らない遠くの街に行きたいと漠然と心の中で感じたのである。そしてそのことを母に話したところ「何をバカなことを」と言って取り合ってくれなかった。ところが、その後半年位して、ひと昔前の俳優佐藤慶一の主演だったと思うが、「蒸発」という番組が始まり、そのイントロの映像でまったく同じ状況(単車と車が違うだけ)を母が見て目が点になったという。そして、私に「頼むから蒸発はせんでネ」と言ったのである。

蒸発を実行することはなかったが、どこか遠くの知らない街に行ってみたいという思いは、永い間私の中にくすぶっていた。高校・大学に在学しながら常にアルバイトを隙間なくしていたが、その後サラリーマン生活をする中でも、その思いが消えることはなかった。

横断歩道の経験をしてから45年経過した私は60歳になっていた。そこで、定年退職を1年早く今年3月に退職し、旅立ちを実行することとなった。

2、引越し好き

 

 どこか遠くの街に行きたいとか、長い一人旅をしたいとか思っても、サラリーマンにはできないし、結婚していればなお更である。私生活では一度ならず二度までも結婚はしたものの、所詮一つ家の中での共同生活は私には無理だったのだろうか。

 私は、34歳で最初にはずみで結婚した時から48歳の二人目の離婚まで6回引越ししたが、引越しした後の生活というものは新たなスタートでもあり、街並みが新鮮に感じたものだ。引越しにかかる面倒よりも、新たな土地での生活にわくわくしたものである。どうやら定住した生活よりも転々と拠点が移って行く生活の方が性に合っているようである。

 定年退職まであと一年頑張って、「なぜ1年早く辞めるのか」と誰からも聞かれることもなく退職した方が、周囲の抵抗もなかったと思うが、私にとっての仕事とは所詮生活の糧を得るためのものだったのだろう。もちろん、社会生活をする上で仕事から得るものは多くあるが、しかし仕事だけが人生ではない。

 

3.旅立ちの準備

 退職の1年位前までは詳細な計画は建てていなかった。ただ、漠然と思っていたのは、長い旅行にしても、旅行会社に任せて観光地を一泊か二泊しながらの短時間見学だけをするような上滑りの旅はしたくなかった。今まで、行ってみたいと思った所に、せめて1か月くらいは生活して住んでみたかった。

 そう考えてみると、住んでみたい所は6~7カ所はある。そして、それぞれを拠点にその近隣の歴史的財産や旧跡を1~2泊して独自にゆっくりと満喫する。それが実行できれば私の好奇心は満たされる。

 贅沢な旅ではあるが、漂白というか放浪というか、ただしその実行には車は必需品であり、1~2年に及ぶ長期の漂泊であればキャパも必要だ。熟考の結果、夏着・冬着・生活必需品が乗せられるハイエース2700のキャンピングカー仕様車を購入した。

そして生活用品を、寝具・夏服・冬服・書籍・文具一式(DVD・CDを含む)・洗面道具一式(ストックを含む)・料理関係一式(食器を含む)・その他雑貨・貴重品関係の物を収納ケースにそれぞれ仕分けした。必要最小限の物にする必要があるため、例えば書籍の場合は6割位はリサイル業者に販売した上に、旅先で読まない本は実家に預け1割程度に整理した。

 

4.後顧の憂いを断つ

 旅立ちの準備の時期と前後するが、1~2年の旅立ちに際して、旅先で万が一の場合でも後顧の憂いがないように、2か月程かけて遺言書とエンディングノートを作成した。財産・資産の相続(遺贈)がスムーズに実行され、死後の臓器提供や葬儀・入墓などについて事細かに希望を記載することで、混乱や争いが起きないようにするためである。そして、これらの生活用品の徹底した整理や遺言書・エンディングノートの作成をしたことによって、結果的に終活をもしてしまったことになる。