前の投稿下差し

 

 

 

 

新約聖書はギリシャ語で書かれた

なので、ShoelはHadesと訳された。

意味は同じくで、やはり2種類の

Hadesが存在する

・イエス・キリストを救いの主と信

じ死んだ者

・イエス・キリストを救いの主と信

じずに死んだ者


イエス・キリストの例え話

 

富める人と貧しき者(ラザロ)のお話


(ルカ傳16:19-31)
19 (あ)る富める人あり、紫色(むら

さき)の衣(ころも)と細布とを著(き)

て、日々奢(おご)り樂(たの)しめり。

20 又ラザロといふ貧しき者あり、腫

物(しゅもつ)にて腫(は)れただれ、富

める人の門に置かれ、

21 その食卓より落つる物にて飽(あ)

かんと思ふ。而(しか)して犬ども來

(きた)りて其の腫物を舐(ねぶ)れり。

22 遂にこの貧󠄃しきもの死に、御使

(みつかひ)たちに携(たづさ)へられて

アブラハムの懷裏(ふところ)に入(い)

れり。富める人もまた死にて葬(ほう

む)られしが、

23 黄泉(よみ)にて苦惱(くるしみ)

(うち)より目を擧(あ)げて遙(はる

か)にアブラハムと其の懷裏にをるラ

ザロとを見る。

24 (すなは)ち呼びて言ふ「父アブ

ラハムよ、我を憐(あはれ)みて、ラザ

ロを遣(つかは)し、その指の先を水に

(ひた)して我が舌を冷(ひや)させ給

(たま)へ、我はこの焰(ほのほ)のなか

に悶(もだ)ゆるなり」

 


25 アブラハム言ふ「子よ、憶(おも)

へ、なんぢは生ける間、なんぢの善

き物を受け、ラザロは惡しき物を受

けたり。今ここにて彼は慰められ、

汝は悶ゆるなり。

26 (しか)のみならず此處(ここ)

り汝らに渡(わた)り徃(ゆ)かんとす

とも得ず、其處(そこ)より我らに來

(きた)り得ぬために、我らと汝らとの

間に大なる淵(ふち)(さだ)めおかれ

たり」

27 富める人また言ふ「さらば父よ、

願くは我が父の家にラザロを遣(つか

は)したまへ。

28 我に五人の兄弟あり、この苦痛

(くるしみ)のところに來(きた)らぬや

う、彼らに證(あかし)せしめ給(たま)

へ」

29 アブラハム言ふ「彼らにはモーセ

と預言者とあり、之(これ)に聽くべ

し」

30 富める人いふ「いな父アブラハム

よ、もし死人の中(うち)より彼らに徃

く者あらば、悔(くい)改めん」

31 アブラハム言ふ「もしモーセと預

言者とに聽かずば、たとひ死人の中

より甦(よみが)へる者ありとも、其の

(すゝめ)を納(い)れざるべし」』

2種類のHades;

・富める人は精神的・肉体的苦痛を

受ける場所/Hadesへ

・ラザロはアブラハムの懐/Hadesへ

 

イエス・キリストが富める人の名前

を知らないあんぐり

比較対象者を貧しき人とせず、ラザ

ロと明記


つまり、生命(いのち)の書(ふみ)に富

める人の名が錄(しる)されていないか

ら、とも解釈できる不安 不安 不安

『生命(いのち)の書(ふみ)』下差し

 

 

イエス・キリストの復活後、キリス

トの昇天の際に、イエス・キリスト

はラザロと共にアブラハムを天に連

れて行ったので、それ以降はキリス

ト信者は直に天國へ

 

 

この例え話では、ラザロはアブラハ

ムの懐にいた、イエス復活前の状態

を例え話としているので、この時は

『神と共に歩む者、歩まない者』

が、どちらのHadesへ行くかの基準

だったのかと考察します真顔

 

キリストの昇天の後の、ステパノの

死の際に描写されている下差し

"55 ステパノは聖靈にて滿ち、天に

目を注ぎ、神の榮光およびイエスの

神の右に立ちたまふを見て言ふ、(使

徒行傳7:55)"

文中の富める人の描写から、死んで

も個性を持った人である事が分かる

死後もハッキリした意識がある。記

憶、しゃべる能力、痛みetc.

天國にいる者は我々とは交信が出来

ない

聖書では、死者と連絡を取ろうと試

みるのは固く禁じられている

変容の山;

(マタイ傳17:1-3)
"1 六日(むゆか)の後、イエス、ペテ

ロ、ヤコブ及びヤコブの兄弟ヨハネ

を率(ひ)きつれ、人を避けて高き山

に登りたまふ。
2 (かく)て彼らの前にてその狀(さ

ま)かはり、其の顏は日のごとく輝

き、その衣は光のごとく白くなりぬ。
3 (み)よ、モーセとエリヤとイエス

に語りつつ彼らに現る。"

キリストの復活後の体は物質力に影

響されない

心に留めて欲しいのは、キリストの

復活を知らせる主の使が石をどかし

たのは(マタイ傳28:2)イエス・キ

リストを墓から出す為ではなく、弟

子達が中に入れるため!!

イエス・キリストはその後も、閉じ

られたドアを開くことなく通り抜け

て弟子達に現れた
(ヨハネ傳20:19)
"19 この日、即(すなは)ち一週(ひと

まはり)のはじめの日の夕、弟子たち

ユダヤ人を懼(おそ)るるに因(よ)りて

(を)るところの戶を閉ぢおきしに

イエスきたり彼らの中に立ちて言ひ

たまふ『平安(へいあん)なんぢらに

在れ』

我々の将来の体は、キリストの復活
後の体のようだろう

 

 

以前、母親が亡くなった後に悲しい

夢で母親と会えた記事を書いた下差し

 


『天國にいる者は我々とは交信が出

来ない』

とあるなら、惡鬼の仕業??

ただ、体感的に短かったので、母親

を認めて駆け寄り抱き着いて「お母

さん、ありがとう、ありがとう…」

ですぐ眠りが破られた。キチンとし

た会話はなかったような氣がする、

あっちは喋っていたけど頭に入って

こなかった感じ。もしかしたら本当

に神様より天国での存在を見せても

らったのかもという希望を持つ目がハート

 


新しいエルサレム

(ペテロ後書3:7-13)
"7 されど同じ御言(みことば)により

て今の天と地とは蓄(たくは)へられ、

火にて燒かれん爲に敬虔ならぬ人々

の審判(さばき)と滅亡(ほろび)との日

まで保たるるなり。

 

8 愛する者よ、なんぢら此の一事(い

ちじ)を忘るな。主の御前(みまえ)

は一日は千年のごとく、千年は一日のごとし。

 

9 主その約束を果すに遲(おそ)きは、

或人(あるひと)の遲(おそ)しと思ふが

如きにあらず、ただ一人の亡ぶるを

も望(のぞ)み給はず、凡ての人の悔改

(くいあらため)に至らんことを望(の

ぞ)みて、汝らを永(なが)く忍(しの)

び給ふなり。


10 されど主の日は夜の盜人(ぬすび

と)のごとく來らん、その日には天と

どろきて去り、もろもろの天體(てん

たい)は燒け崩(くづ)れ、地とその中

にある工(わざ)とは燒け盡(つ)きん。


11 かく此等のものはみな崩(くづ)

べければ、汝等いかに潔(きよ)き行狀

(ぎゃうじゃう)と敬虔とをもて、

 

12 神の日の來(きた)るを待ち、之を

(すみ)かにせんことを勉(つと)むべ

きにあらずや、その日には天燃え崩

れ、もろもろの天體(てんたい)燒け

溶けん。


13 されど我らは神の約束によりて義

の住(す)むところの新しき天と新しき

地とを待つ。"


(ヨハネ黙示21:1)
"and there was no more sea./海

も亦(また)なきなり。"

     下差し

Seaとは世界の国々を表す

 

     下差し

 

『もろもろの國も亦なきなり。』

 


イエス・キリストはサタンのために

死んでいない事は明確

"16 (げ)に主は御使(みつかい)を扶

(たす)けずしてアブラハムの裔(すゑ)

を扶(たす)けたまふ。"


イエス・キリスト、永遠の罪

(マタイ傳12:32)
"32 誰にても言(ことば)をもて人の

子に逆(さから)ふ者は赦されん、然

(され)れど言(ことば)をもて聖靈(せ

いれい)に逆ふ者は、この世にても後

の世にても赦(ゆる)されじ。

(マルコ傳3:29)
"然(さ)れど聖靈をけがす者は、永遠

(とこしへ)に赦されず、永遠の罪に定

めらるべし』"

地獄とは絶滅
(ペテロ後書2:4)
"4 神は罪を犯しし御使(みつかひ)

ちを赦(ゆる)さずして地獄に投げい

れ、之を黑闇(くらやみ)の穴におきて

審判(さばき)の時まで看守(かんしゅ)

し、"

幽靈 -
人にとりついていた惡鬼が、その人

が死ぬことでその場に残される。

それが惡さをする。

信じない人の死-
死とは、エデンでのアダムとイブの

不服従で始まり


1. 霊的な死
2. 肉体的な死→墓へ
3. 永久的な死→神がその死者を罪か

ら救わない

前述した、富める人と貧しき者
(ラザ

ロ)のお話(ルカ傳16:19-31)-

富や幸運は永久的な運命には関係ない

この世で影響するものは彼らを
救えない

 

 

 

 

その後、天國と地獄の描写などあり

ましたが、ここで内容の描写は止め

ようと思います目がハート

著作の最初に書かれてたのを改めて

読んで、深堀しない事に

日本人にとっては、人が死ぬと閻魔

大王により裁かれて天國行きか地獄

行きが決まる、という言い伝えがあ

るから、それ程は突拍子ないもので

は...?

これもバベルの塔崩壊前に、

(創世記11:1)
"全地(ぜんち)は一(ひとつ) の言語

(ことば)一の音のみなりき"

この名残で日本人に残された伝承な

のかしら???

ちなみに、閻魔大王のエンマ/Emma

をヘブライ語で調べるとキメてる

1. 『母』『養成する人』、『養成す

る質を反映すること』、

2. 聖書にある名『エマニュエル』と

関連付ける、エマニュエルの意味は

『神は我らと共に』

ソース下差し


聖書にある通り、地獄にいる死者は

終わりのときに神により裁かれて、

死や地獄と共に火の池に投げ込まれ

る=第2の死に遭う

日本の伝承によると、『エンマ』に

より審判を受ける

『エンマ』...『神は我らと共に』=

イエス・キリスト

 

新しい天と地、新しいエルサレムに

信仰者はイエス・キリストと共に暮

らすので。『我らと共にいる神』

 

と考察してみましたキメてる


この著作にもありましたが、

天國 - 新しい天と地
新しいエルサレムについてはヨハネ

の黙示録第21章に描写があります

これは次の投稿でキメてる