9 生活保護制度の改正(2)
2013年暮れに生活保護法改正と同時に行われた、もう1つの貧困対策がある。それが生活困窮者自立支援法(平成25年12月13日法律第105号)である。
この法律は、生活困窮者自立相談支援事業の実施、生活困窮者住居確保給付金の支給その他生活困窮者に対する自立支援に関する措置を講ずることにより、生活困窮者の自立促進を図ることを目的とする(1条)。施行期日は平成27年4月1日。
「生活困窮者」とは、現に経済的に困窮し、最低限度の生活を維持することができなくなるおそれのある者をいう(2条1項)。したがって、法律の条文には明記されていないが、対象としては、生活保護に至る前の段階にある人々が想定されている。
(1) 生活困窮者自立支援法の概要
(a) 自立相談支援事業の実施及び住居確保給付金の支給(必須事業)
福祉事務所設置自治体は、「自立相談支援事業」(就労その他の自立に関する相談支援、事業利用のためのプラン作成等)を実施する。自治体直営のほか、社会福祉協議会や社会福祉法人、NPO等への委託も可能である(他の事業も同様)。
また、福祉事務所設置自治体は、離職により住宅を失った生活困窮者等に対し家賃相当の「住居確保給付金」(有期)をおおむね9ヶ月以内に限り支給する。
(b) 就労準備支援事業、一時生活支援事業及び家計相談支援事業等の実施(任意事業)
福祉事務所設置自治体は、以下の事業を行うことができる。
①就労準備支援事業:就労に必要な訓練を日常生活自立、社会生活自立段階から有期で実施する。
②一時生活支援事業:住居のない生活困窮者に対して一定期間宿泊場所や衣食の提供等を行う。
③家計相談支援事業:家計に関する相談、家計管理に関する指導、貸付のあっせん等を行う。
④学習支援事業:生活困窮家庭の子どもを対象とする。
⑤その他生活困窮者の自立の促進に必要な事業
(c) 都道府県知事等による就労訓練事業(いわゆる「中間的就労」)の認定
都道府県知事、政令市長、中核市長は、事業者が、生活困窮者に対し、就労の機会の提供を行うとともに、就労に必要な知識及び能力の向上のために必要な訓練等を行う事業を実施する場合、その申請に基づき一定の基準に該当する事業であることを認定する。
(d) 費用
①自立相談支援事業、住居確保給付金:国庫負担3/4
②就労準備支援事業、一時生活支援事業:国庫補助2/3
③家計相談支援事業、学習支援事業その他生活困窮者の自立の促進に必要な事業:国庫補助1/2
(2) 釧路市の困窮者自立支援制度
生活困窮者自立支援法のプロトタイプになったかも知れない実践例が北海道釧路市である。
以下、みわよしこ『生活保護リアル』(日本評論社)に基づき、釧路市の事例を概観する。
(a) 釧路市の背景
釧路市は人口約18万2000人(平成24年末)。被保護実人員は9967名(平成23年12月)、生活保護費総額は145.2億円(平成23年・釧路市統計書による)。釧路市福祉事務所は所長である主幹のもと職員120人が働く。人口約18人に1人が生活保護受給者であり、1人当たり年額145.7万円、月額12.1万円の保護費が支給されている勘定になる。職員1人当たり受給者数83.0人。保護率は5.4%(全国平均3.2%)。かなり厳しい状況だと言える。
地方都市はすべてそうだが、高齢化の進行、改善しない雇用状況、税収の減少という深刻かつ構造的な問題を抱えている。釧路市もその例に漏れるものではない。長く炭鉱産業、製紙・パルプ産業、水産業に支えられてきたが、2002年に近郊の最後の炭鉱が閉山し、そこにサンマの不漁・大規模工場の縮小などが重なり、さらに状況が深刻になった。2008年、リーマンショック直前の5月には、釧路市の有効求人倍率は0.26倍にまで低下した。こうなるとハローワークは無力である。紹介すべき職がない。求職者の心がけや努力によって就労が可能になる状況ではないのだ。
しかも、マクロに見ると、失業者は産業構造の転換によって生み出されている。産業構造が転換した結果、それまでのスキルや経験がまったく評価されない状況が広範に発生している。わたしのいう《テクノクラシーの逆作用》である。
しかし、釧路市の官僚たちは諦めなかった。彼らは、独自の自立支援プログラムを考案したのである。
(b) 釧路市の自立支援制度
2004年、厚労省セーフティネット補助事業の一環である「自立支援モデル事業」がスタートした。釧路市の自立支援プログラムは、これに応募していた。この年には社会保障審議会福祉部会「生活保護制度に関する専門委員会」が、生活保護制度を「利用しやすく自立しやすい制度へ」とする方針と、日常生活自立・社会的自立・就労自立の3つの自立を中心とする自立観を示した。
当初の対象は、生活保護を利用している母子世帯であった。釧路市にとって幸運なことは、釧路公立大学という知的センターを抱え、共同研究で「何が就労を困難にしているか」「どのような条件があれば就労できそうか」などを明確にすることができたことである。釧路公立大学の研究報告書は『釧路市の母子世帯の母への就労支援に関する調査報告』として公開されている。
釧路市の自立支援事業は、まず、母子世帯の自立阻害要因を軽減することからスタートした。生活保護を利用している母親たち(有職65名、無職72名)の約85%は中卒・高校中退・高卒で、約60%は病気や障害を抱えており、就労経験も少ない。就労している母親たちのうち正規雇用は7.7%。44.6%は週に20~30時間の就労をしている。この母親たちは就労していて、なおかつ生活保護を必要としているのである。
研究は背景にも踏み込み、数多くのデータを示している。そのデータからは、母親たちが、
「両親とも低学歴で収入が少なく(または生活保護)、本人も低学歴。職歴を形成するに至らず、同じような背景を持つ配偶者と結婚、子どもに恵まれるも短期間で離別。本人も病気がちに。子どもを養うだけの収入を独力で得ることは困難。原家族にも支援するだけの余裕はなく、生活保護しかなくなった」
という半生を歩んでいる可能性の大きさを読み取ることができる。まさにテクノクラシーの逆作用そのものである。離別の理由は調査されていないようだが、世帯の経済力と強く関係するDVなどの問題が数多く含まれていると推測しても事実からそう遠くないだろう。
就労していない生活保護世帯の母親たちの80%は「働きたい」と望んでいるが、自身の健康問題がネックになっている。また、低学歴で職業キャリアが少なく、社会関係が希薄である。就労を望んで求職し、50%はいったん就労しているが、自身の健康問題・子どもの保育・子どもの健康問題により就労を継続できなかった。また、当時の生活保護制度では自家用車を保有できないことも、就労・就労継続の障害となっている。70%はパソコンを利用しておらず、就職に有効な資格も保有していない。
釧路市の自立支援モデル事業は、このように数多くの問題を抱えている母子世帯の母親たちを多面的にサポートする体制の構築を目指した。そこでは「ボランティア」「中間(的)就労」とともに、「ワーク・ライフ・バランスのとれる就労機会の拡大」「職業能力の充実」「キャリアアップ」「生活環境の充実」「母親たちのネットワークづくり」などが重要視された。
(c) 自立支援事業の展開
「自立支援モデル事業」以後、釧路市は対象世帯を母子世帯に限定せず、すべての生活保護当事者を対象とした「自立支援プログラム」を展開してきた。
中核をなしているのは「自立支援ボランティア」である。ボランティアの内容は、公園の清掃・高齢者の話し相手・知的障害者施設での布加工・動物園でのエサ作りなどの作業・農作業など多岐にわたる。ボランティアから中間的就労へ、さらに一般就労へという方向性を目指すこともできるが、現在の釧路市は、一般就労を希望する人々が全員就労できる状況ではない。
生活保護当事者に対するボランティア活動の義務化は、自民党などが主張している方向性でもある。その背景にあるのは、社会保障給付に対して給付を受ける人々の就労を義務付ける「ワークフェア」(workとwelfareを合成した造語)の考え方である。この主張をする政治家たちはしばしば、「働いてもらう」「義務を果たしてもらう」という言い方をする。確かに日本国憲法27条は労働を権利であるばかりか義務であるとし、かのスターリンでさえ1936年制定のソビエト社会主義共和国連邦憲法(スターリン憲法)でこれを定めた。
第12条 ソ同盟においては、労働は、『働かざる者は食うべからず』の原則によって、労働能力あるすべての市民の義務であり、名誉である。
しかし、『くしろの自立支援プログラムのススメ』(釧路市福祉部生活福祉事務所発行)に現われているように、釧路市の自立観は「生活保護を受給しながら無理なく自立を図る」である。生活保護から脱却(廃止)することを「自立」として就労指導するのでなく、「日常生活自立」「社会的自立」「就労自立」の3つの自立を互いにフラットな関係にあるものと考え、当事者個々人にとっての多様な「自立」を支援する。強制せず、丁寧に機会を提示する。これは真の意味で《太陽政策》と言うべきものであろう。旅人にコートを着せようと思ったら、北風のやりかたがよい。しかし、脱がせようと思ったら、太陽のやり方がよいのだ。
おそらくは、このようなキメ細かな方針のため、釧路市では「生活保護世帯の中学生の進学率95.3%(釧路市全体98.8%)、高校中退率2.4%(同じく1.3%)」(2010年度)、「生活保護世帯に給付される生活保護費1世帯あたり平均11万9000円/月」(2009年、北海道内最低)と、大きな成果を挙げている。
(3) 生活困窮者自立支援法の問題点
釧路市の実践は明らかに生活困窮者自立支援法の原型をなしている。同市では「生活保護制度は地域の希望、受給者は地域の宝」とまでいう。これはいささか持ち上げすぎであろう(苦笑)。
しかし、テクノクラシーの現実においては①就労を性急に指導しても本人を苦しめるだけであること、②就労の前提として職業訓練が必要であることを立法政策上意識したことは評価できる。
しかし、厳しい意見では、この「自立相談支援」というのは生活保護を受けさせないための《水際作戦》を合法化したものではないのかとの指摘がある。それを含めて今般の《改正》は《改悪》だという批判は根強い。
確かに生活保護水準に陥る前の《水際》でそれを食い止めようとの作戦であるには違いない。また、《水際作戦》それ自体も、自治体の財政負担を考えれば無理のない適応行動である。しかし、《水際作戦》が違法・不当に貧しい人を虐げてきたことは否定できない。許すべからざる貧困の放置はやはり認めてはならない。決して高いとは言えない生活保護水準を切り下げることが果たして妥当なことかどうか、政府はもう一度よく考えてみるべきではないか。
また、こうした自立支援がハローワークなどの機能と別に法律で定められること、したがって行政の肥大を招くことは不思議でならない。新自由主義者が空想的な《基礎所得》などに飛び付く原因は、こうしたパッチワーク的な、したがって重複と疎漏と不整合の多い社会保障制度に苛立つからではないか。年金受給に関する様々な不祥事の果てに2009年(平成21年)12月31日に消滅した社会保険庁の事例でも明らかなように、社会保障制度には極めて多くの問題点があり、国民経済が停滞している現在、それを解消しなければ国民の納得は到底得られない。
最後に、失業の本質がテクノクラシーの逆作用であることに改めて注意しよう。
釧路市が典型的であるが、生活保護受給者は、ボランティアないし中間的就労という形を取らない限り、職がない。誰でもできるように見える漁網の補修という仕事でさえ、習熟には10年を要するという。
また、機械化は安価な労働力を求めて産業の空洞化を招いた。それはカントリーリスクの壁にぶち当たっているが、国内の労働需要を著しく減退させた。これもテクノクラシーの逆作用なのだ。
このブログは北斗豪(ホクトタケル)の私見を公論として披露し、皆さんのご批判やご意見を仰ぐものです。
表題は、わたしが考える「次の文明のかたち」と、このブログの目的を示すためのものだという意思表示です。それがどのようなものか、それは、お読みいただければ少しずつご理解いただけると存じます。
なお、《北斗豪》=ホクトタケルというペンネームは、寒風吹きすさぶ暗夜のごとき現代世界において、宛てもなく大地を彷徨よう人々がふと空を見上げたとき、北天の闇に輝いて常に変わらず行く手を示す《導きの星》でありたいという願いを託したものです。
それでは、我が想いに分け入り、ご理解賜りますようお願い申し上げます。
2012年9月11日(火) 北斗豪(ホクトタケル)敬白