今年の春にお袋が亡くなり昨日無事に田舎のお墓で納骨が終わりました
このお墓は東北震災のあった相馬(新地)にあるお墓で、津波当時周りの町並みは全て津波により流された
津波は漁港町を全て飲み込みそのまますぐ近くの高台にあったお墓のあった場所まで到達、鋭くせりあがった地形のお蔭で津波はお墓の丘を回り込むように流れていき、常磐線の新地駅方面へと流れていった
同じく高台にあった実家は地元の人でさえあの家まで津波が行くとは思わなかったという場所にあったが、その回り込んだ津波が行き場をなくして波がせりあがり、実家のあった場所でせき止められて津波に流されてしまった
お墓~実家のとこにあった高台の丘に津波はぶつかり、お墓の方は低地があった新地駅の方に流れる場所があっあために無事、お墓より高台にあった実家付近は波の逃げる場所がなかったためせりあがった波に飲み込まれた結果となった
今回、納骨が終わった後にその実家の前の港へ行ってきた

この小さな港は小さな時によく田舎の従兄弟と釣りに行っていた場所で少しずつではあるが港も再開し始めていた
港の背中側には近くにあった被害を受けた神社の鳥居や祠などが移設されていて、その場所からか被害にあった人たちを祀っているようにも見えた

松川浦も津波の被害はあったが、こちらは新地に比べて被害が少なめだったため、お店関係は割りと早い時期に復興していた
被害が少なめとは言っても一階部分はほとんどのお店や家で流された程だったので当事者はとても苦労しただろう
今回は田舎で、葬儀やらあるといつもここから寿司を頼む「斎春」でご飯たべた
ここは旅館と食堂が一緒に連なる珍しい場所だが、会場も広く冠婚葬祭等の前夜祭や親族の宿泊場所、その実家への食事配達やらに活用される事が多い
実際にうちの田舎の葬儀や法事でもここから寿司をいつも配達してもらってたし、実家に泊まりきれない親族の宿泊場所に使っていた(うちの田舎は昔ながらの土地なので前の日に行き前夜祭みたいな行事をする事が多い)
斎春はお店の前でおみやげもたくさん売ってるので凄く便利な老舗のお店、地元に人に言わせれば少し高いという人が多いが、今回は復興支援の意味も兼ねて希少な魚をいただいてきた
写真だと分かりにくいが凄くデカイ!ちなみに左のご飯はどんぶり飯の器、魚の大きさは軽く手のひらを広げたよりも大きい
このつぼ鯛は珍しい魚で深海魚の1種、市場に出回ってるものはほとんどが外国産の輸入もので国産のものは非常に珍しいため幻の魚と呼ばれている

一緒に行った他の人は「サーモンとイクラの親子丼」や「復興海鮮丼」などを食べていた
復興支援ということでお土産もここでたくさん買っていった。港町ということもありお土産は地元漁港や地元産地のもので作られたものを選んだ

関連記事
関連動画
田舎の実家の兄貴が斎した津波当時の様子
お袋の納骨終わった(LINEの記事)