文藝春秋 2010年8月号
「特別企画 的中した予言50」

伊藤みどり
「大根足だって勝てるんです!」
吉井妙子(ジャーナリスト)


 いつから日本人はこれほどまでにフィギュアスケート好きになったのか?
 浅田真央が銀、高橋大輔が銅メダルを獲得したバンクーバー五輪直後は、日本国民が一億層評論家と化し、そこかしこで「真央ちゃんの採点が低すぎる」「トリプルアクセルはもっと評価されるべき」などという議論が交わされた。しかも、ルッツだのフリップだの専門用語も飛び出す。今やフィギュアスケートは、日本の人気競技になった感すらする。
 人気だけではない。実力も世界一と言っていい。バンクーバー五輪で金メダルは獲れなかったものの、女子3男子3の出場枠を手にしたのは日本だけ。スケート王国の米国は男女合わせて5、開催国のカナダは4だった。
 名実共に日本がフィギュアスケートの頂点に立っているのだ。私たちが熱くなっても当然だろう。
 それにしても、芸術性や優雅な美しさを求められ、日本人には縁遠かったフィギュアスケートが、なぜこれほどまでに身近なスポーツとして定着したのか。その起爆剤になったのが、1992年アルベールビル五輪で銀メダルを獲得した伊藤みどりの出現だった。
「私が世界で活躍し始めた80年代後半は、外国メディアには"大根足のスケーター"と揶揄されていましたからね。技術を高めれば、大根足だって勝てるんです!」
 "大根足"は伊藤というより、日本人独特の短軀単側を譬えたものだが、気品と格式を重んじるフィギュアスケート界で、145センチの伊藤は鬼子のような存在だった。当時、女王に君臨していたカタリナ・ビットに代表されるように、容姿の美しさや優雅さが評価を左右する大事な要素になっていたのだ。
「芸術点を高めようと思っても、私の容姿では限界がある。髪を伸ばしてリボンをつけ、コスチュームを派手にしたところで、ビットの美しさには近づけない。誰もやっていない技を取り入れ、精度を高めるしかなかった」
 高校三年生で初出場した88年のカルガリー五輪。畳み掛けるジャンプの迫力、歯切れのいいステップやスピンは観衆を虜にし、ジャッジは芸術点から技術点に目が移るようになった。
 カルガリー五輪直後、優勝したビットは、フィギュアの採点が芸術点重視から技術点重視に移行しつつあるのを警戒し、「観客はゴム鞠が跳ねるのを見に来るわけではない」と発言、「フィギュアは芸術か、スポーツか」と論争を騒ぎになったこともあるが、伊藤が見せた技術力の高さは、多くの人々の心を摑んだのである。山が大きく動いた。
 アルベールビル五輪では女子選手では五輪で初めて、トリプルアクセルにも成功。
「このときの私の銀が、今の日本人選手の実力を底上げしたんじゃないですか」
 逆説的な言い方で自分の言葉を補足する。
「金メダルを期待されていた私が銀に終わった。このときからスケート連盟はジュニアからしっかり育成するべきと気づき、野辺山合宿(全国有望新人発掘合宿)に本腰を入れ始めましたからね」
 その第一期生がトリノ五輪で金メダルを獲得した荒川静香である。
 一方、伊藤の最大の功績は、フィギュア界を芸術性重視からアスリート性も求められる競技に変えたことよりもはむしろ、日本では高嶺の花だったフィギュアを庶民のお稽古事に根付かせたことだという。そう語るのは、伊藤以降、浅田や村上佳菜子まで数々のトップ選手を育て上げた山田満知子コーチだ。
「フィギュアはお金持ちのお嬢さんがやるものと相場が決まっていたけど、家庭に恵まれないみどりが活躍したことで、身近なスポーツになった。それにあんなに小さい子がトリプルアクセルを決めれば、私だって出来ると誰もが思う。フィギュアに親しむ子どもが増えれば、日本が強くなって当然」
 フィギュア界の革命児となった伊藤が、茶目っ気たっぷりに言った。

「私が活躍し出すと海外メディアの形容も『東洋の真珠』とか『ジャンピング・ドール』に変わってきましたからね。強さは感動を得て、美に変わるんです」



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最後の彼女の言葉が印象的だ。

伊藤みどりのジャンプは芸術だった。
素晴らしいスケーター。

不器用だし、脆い部分もあるのだろう。
今、このように発言できるまでは、多くの時間が必要だったと思う。

そして、今の彼女の在り方にも尊敬を覚える。


伊藤みどりという素晴らしいスケーターを育てたのは、山田満知子である。
この2つの才能の出会いが、日本のフィギュアを牽引してきたのは事実。
彼女達があっての今の日本フィギュアだ。


何故か五輪前くらいからメディアに露出しはじめた山田コーチ。
当時は、浅田選手の様子が全くわからず不安を感じるファンは、
彼女から発信される浅田情報を好意的に受け止めた。
(どうしてもタラソワ批判をせずにおれない姿勢にはうんざりだったが)

それが、今はどうだろう?

彼女が変わったのか?
受け止める側の私達が変わったのか?


いえることはただ一つ。
メディアの扱いは変わった。

山田コーチを持ち上げ、メインにすえる記事の多いこと。
メディアへの露出の増えたこと。

優秀なマネージャーさんの力?

生徒の育成に名古屋の"ママ力"(おそらく"まま・りょく"と読むと思われる)を利用すると発言していたが、
その"ママ力"に飲まれてしまったのだろうか・・・・。


今晩の夜9:00からのTBS「解禁!マル秘ストーリー」では、
どんなことが語られるのだろうか?


山田コーチの功罪。
今までの功績を評価できなくなるような言動は出来れば謹んで欲しい。

これ以上、失望したくないから。
尊敬していたのだから。





【Midori Ito 1992 Albertville Olympics LP (USTV)】
http://www.youtube.com/watch?v=polwvMNVgFU




時代は変わった。
体型も変わった。
いまや、大根足の日本人スケーターは殆どいない。

しかし、彼女ほどのジャンパーは現れないだろう。



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『バンクーバー五輪直後は、日本国民が一億層評論家と化し、そこかしこで「真央ちゃんの採点が低すぎる」「トリプルアクセルはもっと評価されるべき」などという議論が交わされた。』
えっ?
あんなにメディアでは毎日、いかにキムが素晴らしいか報道していたのに?

と思ったが・・・、
ISUジャッジをひっぱりだしてきて、
いかにキムが素晴らしいか、
いかにキムの得点が正しいか、
説明させていたから、それが世論だったのかもしれない。


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