川越城から南へ11kmの平成12年に富士見市が城趾公園として整備した難波田城趾へ行ってみた。9時に駐車場到着。綺麗に整備されていて当時の城のイメージが狂った。復元された木橋を渡り2の曲輪へ。本丸門の先には石碑が建っていた。その先は民家が建ち並んでいる。城は3重の堀と土塁に囲まれていたと言うので、復元されたのは半分ほどなのだろうか。
内堀にはスイレンが咲いている。菖蒲や蓮も咲くようだ。戻って3の曲輪から4の曲輪へ進む。曲がりくねった道は虎口を兼ねているのだろう。追手門がありここが本来の入り口。小さな子2人とお母さんが遊んでいた。「近くに良い公園があって良いですね」と挨拶すると「近くじゃなくて車で来たの・・」だって。他に見学者はいない。
木橋の先の資料館を見学。駐車場も資料館も無料です。無料大好き!この城の城主難波田氏は川越城主・扇谷上杉氏に使えていた。難波田憲重(法名が善銀)は松山城主になり川越城を北条氏から取り戻すための河越夜戦では扇谷上杉氏の重臣として戦った。残念ながら扇谷上杉朝定と共に討死にしてしまい扇谷上杉氏は途絶え、難波田氏は力を失う。武蔵国は北条氏の支配する国になっていく。河越夜戦に関してはいろいろ書かれている内容と史実とはかなり違うようなので機会があったら書きたいね。
資料館を出た西側は古民家ゾーン。金子家・鈴木家・大澤家の古民家が移築されている。裏側を回って城跡へ戻る。
さらにもっと昔の縄文時代にも行ってみようと水子貝塚公園へ向かった。まだ9時40分だが30台は置ける駐車場に空きがない。ここは広い公園になっているようなので近所の家族連れが遊びに来ているのだろう。コロナ感染者がやたら増えているので近場で広い場所を求めているのだろう。諦めて帰宅した。



























