みなさま、お久しぶりでございます。
え?だれ?ロッキーチャックなどというのは知りません、とおっしゃらないでくださいませ。
10日ほどお休みをいただいておりましたが、体調を崩したとかではなく、いろいろとまあ充実をしておりました。それと、なんとなくね、パソコンから離れてしまっておったのでした。
さて、年末年始(もういつのはなしだったかという感じですが)のことや雪の中の暮らしの様子もお伝えしたいことがありますが、わが家の大師さまのおはなしも途中でございますので、順を追ってまいりましょう。
ようやく展示のある部屋に着き、はじめに目に入ったのは、うちのとなりの集落の青苧(アオソ、カラムシとも)の繊維で作られた御戸帳(おとちょう)でした。
これは神社の御神体の前にかけられた幕の一種でございます。当地の産物であったアオソ、現在は国内ではあまり生産されませんが、ラミーと呼ばれる繊維のによって織られたものです。
アオソはイラクサ科(ウワバミソウやアカソなどがありますね)の一種で、茎の表皮の内側の滑らかな繊維をへらでしごいて採取するのですが、天然繊維の中では最も長く強靭な繊維が採れるのです。近年は登山ウエアにも一部利用されたりもしておるようですね。

※例によって書き始めるといくら書いても書ききれませんのでアオソのはなしはあらためて。
わおぅ。

次に目に飛び込みましたのは大量のししがしらでした。これはとなり町のとある神社に奉納されたもので、実際の神社に奉納された形のまま運び展示をしてありました。一定期間で御炊き上げをするということでしたが、それでもこの量です。
ここの信仰のかたちとしては、獅子頭を奉納する、というものなのですが、不思議なことに、獅子舞や踊りは行われないというようなことでした。

かなり古い時代のものもあるようでした。

これの調査をした教授さんがおり、すこしおはなしを聞いたところ、いろいろ教えてもらったのでしたが・・・。おおむね忘れてしまいました。
うちの近辺で「シシ」と言う場合、シカやカモシカも含めて「シシ」であって、ライオンの類の獅子だけがシシではないのですが、この獅子頭はライオンのほうのシシなんですね。なんてはなしだけ記憶にあります。
順路に沿って進むうちに、やあやあ、おりました。うちの大師さまです。
カラフルな仏像のひとつ手前にちょこんと鎮座ましましておりました。

おとなりには御詠歌の額もおいてありました。

こちらがロッキーチャック家の秘仏、大師さまであります。ちんまりとしておりますね。

調査の結果によると、この像が作られたのは明治25年(西暦1892年)、京都の七条仏師に学んだうちの近くの街に住んでいた仏師の家系の4代目、林次郎兵衛という仏師によって作られたもので、明治25年の前後に、うちの集落を含む一帯で、新四国八十八ヶ所霊場の制定に伴って造像されたものであろうとのことでした。
「新四国八十八ヶ所霊場」というのは、弘法大師空海ゆかりの本家の四国の霊場にあやかってちいさな規模で設けられたものであろうと思います。
そんなわけで、大師さま、なのでしたね。
「大師さま」と言っても、いろんな大師さまがあるようで、「日本の歴史上、朝廷から大師号(諡号)を賜った高僧は24人」と善通寺のHPにありました。
ぼくの行った数日前に、母と祖父が様子を見に行き祖父の言うことには、「大師さまはままかへでもらってねようだった」(ごはんを食べさせてもらっていないようであった)とのこと。母の言うことには、「前掛けも帽子もかむっておらず裸のようではずかしそうであった」とのこと。
ほかにもいろいろな展示がありました。
これらは出羽三山の山岳信仰関係の仏像群の一部。各種多様なお姿をあらわしておりました。
興味深いものがいくつもありましたが、おそれおおくあまり撮られませんでした。

その奥の部屋には、高畠町というところで行われていた石の切り出しの様子が記録されておりました。
写真のおふたりが座っているのが切り出された高畠石と呼ばれた石です。ベンチを兼ねて展示されておりました。

石を切り出した道具たち。

石を見ると、ふむ、これは凝灰岩ですね。古い時代の火山灰が堆積し石になったものです。

石を切る職人さんの映像もありました。
この映像が記録された後に、これに映っていた手作業で石の切り出しを行う職人さんが引退し、手作業での採石は行われなくなったそうです。たいへんに貴重な記録です。

というわけで、大師さまの無事も確認し、先におうちへ帰ることにしました。
館内の窓の取っ手。これは真鍮でございましょう。

雪の中庭。
なんとなく北欧や東欧のような風情が感じられました。(行ったことは無いですけれどもね)

この日の夕暮れは、ともし火の日でした。(詳細は省きます)

雪の中に灯る火。これだけで火の暖かさ、ありがたさがぐんと感じられるものです。

展示をしてある様子を見て思うのは、山形にはプリミティブ(原始的な、素朴な)な祈りの光景が今も色濃く生きているのかもしれないということでした。今回展示してあったのは形を為したものですが、それにも至らない民俗、習俗のような信仰のかたちもいろいろと残っておるように思います。宗教以前の信仰、いえ、祈りそのものの風景かもわかりませんね。
自然の一部として包まれるようにわれわれもあり、山や川や気候の烈しさがいまだ身近に感じられるものだから、祈りも絶えずにあるのかもしれません。
え?だれ?ロッキーチャックなどというのは知りません、とおっしゃらないでくださいませ。
10日ほどお休みをいただいておりましたが、体調を崩したとかではなく、いろいろとまあ充実をしておりました。それと、なんとなくね、パソコンから離れてしまっておったのでした。
さて、年末年始(もういつのはなしだったかという感じですが)のことや雪の中の暮らしの様子もお伝えしたいことがありますが、わが家の大師さまのおはなしも途中でございますので、順を追ってまいりましょう。
ようやく展示のある部屋に着き、はじめに目に入ったのは、うちのとなりの集落の青苧(アオソ、カラムシとも)の繊維で作られた御戸帳(おとちょう)でした。
これは神社の御神体の前にかけられた幕の一種でございます。当地の産物であったアオソ、現在は国内ではあまり生産されませんが、ラミーと呼ばれる繊維のによって織られたものです。
アオソはイラクサ科(ウワバミソウやアカソなどがありますね)の一種で、茎の表皮の内側の滑らかな繊維をへらでしごいて採取するのですが、天然繊維の中では最も長く強靭な繊維が採れるのです。近年は登山ウエアにも一部利用されたりもしておるようですね。

※例によって書き始めるといくら書いても書ききれませんのでアオソのはなしはあらためて。
わおぅ。

次に目に飛び込みましたのは大量のししがしらでした。これはとなり町のとある神社に奉納されたもので、実際の神社に奉納された形のまま運び展示をしてありました。一定期間で御炊き上げをするということでしたが、それでもこの量です。
ここの信仰のかたちとしては、獅子頭を奉納する、というものなのですが、不思議なことに、獅子舞や踊りは行われないというようなことでした。

かなり古い時代のものもあるようでした。

これの調査をした教授さんがおり、すこしおはなしを聞いたところ、いろいろ教えてもらったのでしたが・・・。おおむね忘れてしまいました。
うちの近辺で「シシ」と言う場合、シカやカモシカも含めて「シシ」であって、ライオンの類の獅子だけがシシではないのですが、この獅子頭はライオンのほうのシシなんですね。なんてはなしだけ記憶にあります。
順路に沿って進むうちに、やあやあ、おりました。うちの大師さまです。
カラフルな仏像のひとつ手前にちょこんと鎮座ましましておりました。

おとなりには御詠歌の額もおいてありました。

こちらがロッキーチャック家の秘仏、大師さまであります。ちんまりとしておりますね。

調査の結果によると、この像が作られたのは明治25年(西暦1892年)、京都の七条仏師に学んだうちの近くの街に住んでいた仏師の家系の4代目、林次郎兵衛という仏師によって作られたもので、明治25年の前後に、うちの集落を含む一帯で、新四国八十八ヶ所霊場の制定に伴って造像されたものであろうとのことでした。
「新四国八十八ヶ所霊場」というのは、弘法大師空海ゆかりの本家の四国の霊場にあやかってちいさな規模で設けられたものであろうと思います。
そんなわけで、大師さま、なのでしたね。
「大師さま」と言っても、いろんな大師さまがあるようで、「日本の歴史上、朝廷から大師号(諡号)を賜った高僧は24人」と善通寺のHPにありました。
ぼくの行った数日前に、母と祖父が様子を見に行き祖父の言うことには、「大師さまはままかへでもらってねようだった」(ごはんを食べさせてもらっていないようであった)とのこと。母の言うことには、「前掛けも帽子もかむっておらず裸のようではずかしそうであった」とのこと。
ほかにもいろいろな展示がありました。
これらは出羽三山の山岳信仰関係の仏像群の一部。各種多様なお姿をあらわしておりました。
興味深いものがいくつもありましたが、おそれおおくあまり撮られませんでした。

その奥の部屋には、高畠町というところで行われていた石の切り出しの様子が記録されておりました。
写真のおふたりが座っているのが切り出された高畠石と呼ばれた石です。ベンチを兼ねて展示されておりました。

石を切り出した道具たち。

石を見ると、ふむ、これは凝灰岩ですね。古い時代の火山灰が堆積し石になったものです。

石を切る職人さんの映像もありました。
この映像が記録された後に、これに映っていた手作業で石の切り出しを行う職人さんが引退し、手作業での採石は行われなくなったそうです。たいへんに貴重な記録です。

というわけで、大師さまの無事も確認し、先におうちへ帰ることにしました。
館内の窓の取っ手。これは真鍮でございましょう。

雪の中庭。
なんとなく北欧や東欧のような風情が感じられました。(行ったことは無いですけれどもね)

この日の夕暮れは、ともし火の日でした。(詳細は省きます)

雪の中に灯る火。これだけで火の暖かさ、ありがたさがぐんと感じられるものです。

展示をしてある様子を見て思うのは、山形にはプリミティブ(原始的な、素朴な)な祈りの光景が今も色濃く生きているのかもしれないということでした。今回展示してあったのは形を為したものですが、それにも至らない民俗、習俗のような信仰のかたちもいろいろと残っておるように思います。宗教以前の信仰、いえ、祈りそのものの風景かもわかりませんね。
自然の一部として包まれるようにわれわれもあり、山や川や気候の烈しさがいまだ身近に感じられるものだから、祈りも絶えずにあるのかもしれません。