太陽の観察会を行った日(7月6日でした)は、商店街とその付近の通りでクラシックカーの路上展覧会?が行われていました。
道路は一般のクルマが通れない歩行者天国になっておりました。
街角のクラシックカー

ぼくが行ったのは午後からで、その時間にも観客は多かったのですが、午前中はここにクラシックカーが並ぶ様子を見るのにもっとたくさんの観客とカメラマンが来ていらっしゃったとのことでした。
クラシックカー1

昭和の風情の残る商店街にずらりと懐かしいクルマが並んでいます。
昭和の頃までに作られたクルマが約50台ほど、東北各地から集まったとのことでした。
クラシックカー2

ぼくには古いクルマ知識の素養がなく、ああ、クラシカルだなあ、というくらいにしかわからないのが残念です。
クラシックカー3

うむ、このクルマは知っております。(塗装はカスタムと思いますが)
ぼくが学生のころまではまだ生産が続いていた記憶があります。最終の生産のバージョンを、新車でまだ買えるから買っておかないか?なんて友人と話した記憶があります。
ビートル

ずーっとあちらのほうまでクルマが並び、信号機のもうひとつ向こうの角を曲がってまたひとつ先の信号機までが会場となったようでした。
並ぶ車

同時に開催されたのが、この町の古い写真などの資料の展示でした。元銀行(銀行が合併し、同じ町内に2つも店舗は置けないというので空いてしまった建物)を使っての展示でした。
街歩きのボランティアガイドさんたちがあれこれ案内をしてくれておりました。
写真展ガイドの様子

大正のころの、トンネルと線路の工事中の様子だそうです。最上川も写っておりますね。みんなでなにを見ているのでしょうか。
工事の様子など見てみると、いやはや、田んぼなどにそのままざざっと土砂を盛り上げているような感じで、かなりワイルドな工法のようでした。
線路のできたころ

昭和初期の、このあたりの冬の装いだそうです。
女性はしゅっとした端正な顔立ちで、服装は写真を撮るくらいの何かしらの機会でしょうから、おめかしなどしていたものでしょうか?凛とした雰囲気を感じました。
昭和初期冬の装い

木の橋のころの最上橋と思われる写真です。
写真の右上に、たいへん美しいフォームで川へ飛び込んでいる方と、橋の上にたくさんの観客があるようでした。向かいの岸に見えるのは、猫茶屋と呼ばれた茶屋だそうです。今はもうこの茶屋はありません。
木橋の頃の最上橋

写真以外の資料もありました。
大正のころに発行された路線図(全国版)の一部です。登山の案内も兼ねて、山の名前も入っているのですが、飯豊、出羽三山、鳥海、蔵王などの名があるのに、朝日連峰が入っておりません。
朝日連峰には、かつて軍道(直江兼続の大河ドラマでも登場したそうです)があったものの実質は数年で使われなくなり、山岳信仰はそんなに盛んには続かず、という具合で、普段から登山の対象となる山域ではなかったようです。大正の頃には、固定された登山道は無く地元の大学の山岳部や大島亮吉という方が記録に残しているのは、大正の後半のことでした。
しかし、地元の大学で登った際に、先達としてうちの近くの集落の方が同行していたようだと聞きますので、地元では生活の場(山菜や狩猟で)としては山を利用していたことでしょう。
昔の路線図

これは珍しい!大正のころに測図と書いてある地形図です。縮尺は1/50000で、一見しては、驚くほどの正確さのようでした。すごいものです。詳細はともかく、歩く際の地形図としては今も使えるくらいかもしれません。
古い道なども記されており、今の登山道とは一部が同じ、主稜線には道は無い、という様子などがわかりました。貴重な記録です。
大正年間の地形図

主稜線には、道が記されていないのですが、障子ヶ岳のところから、天狗角力取山、出合川、以東へのルートに道らしき線が描かれていました。天狗角力取から川へ落ちるところが、今は尾根に沿ってですが、これでは岩屋澤小屋というのがあり、その沢沿いを通るようでした。岩屋と名があるのだから、きっと岩屋(洞窟みたいなの)があるのでしょう。
 地形図拡大

このルートは、実は今は刈り払いや手入れはされておらず、一般の登山道では無くなっていました。実質は一部がヤブとなっていてなかなか大変だそうです。恥ずかしながらぼくは、このルートは未踏で、毎年、今年こそ行きたいと思いつつ数年が経っておるのでした。
この地形図では、登山道を記すという趣旨ではないと思われ、おそらくこのルートは、かねてから山形の内陸と海沿いの庄内を結ぶ生活路の一部であったのでしょう。
そういう様子を知ると、さらにぐぐっと、通ってみたい意欲をかきたてるものがありますね。

こちらの写真の展示は、観光客よりも地元の商店街や近くにお住まいの方に好評を博したそうで、このあと一週間ほど見ることができるようになっておりました。今回初めて一般に公開された秘蔵の写真もあったそうです。