スズメたち、日を追うごとににぎやかに元気になっております。
まだ雪囲いのある木に集まっては散らばり、屋根の軒先に飛んでいっては追いかけっこしています。

恋の時期なのでしょうけれど、どれがオスでどれがメスやら?見分けはつきません。

この日はこないだの山の集まり(県の山岳連盟)とは別な山の会議がありました。
地元の遭難対策委員会の捜索救助隊の総会と研修会でした。
ぼくは仕事が終わってから合流したので途中からの参加になりました。
会場に急いで向かい、到着したら小屋番さんのクルマに山用のスキーが積んでありました。
ジルブレッタの登山靴で履けるスキーのビンディングです。このタイプのスキー金具は珍しくなりました。ぼくも欲しいですが今はなかなか手に入らないそうです。

今回はロープの講習などを少しやったようでした。
ぼくも参加しているこの捜索救助隊は、担当するエリアの特徴から、山菜やきのこ採りで道迷いなどで帰ってこない遭難の捜索が多くなっておりロープを使って救助という場面はこれまではかなり少ないのですが、覚えておいたほうがよいのはもちろんのことです。
山菜やきのこ採りの場合には、このあたりのちいさく入り組んだ深い沢や尾根、濃いヤブ、登山と違って移動する範囲がなかなか特定できずに探すのがたいへんということがあります。そのため、山登りをする山岳会由来のメンバーが約半数、あと半数は鉄砲ぶちの方や地元の山慣れしている方、という人員構成(ぼくはまだどちらも不十分ですが)となっていました。山岳会由来のメンバーはロープのほうは一応大丈夫(?)ですが、そうでない方は登山用ロープの結び方もわからない、というような背景もあります。
山菜やきのこ採りの遭難は、意外に件数が多く、これからの雪解け後は山に入る人も多くなってきますから、要注意の時期になってきます。活躍することが無いのが一番よろしいことですが。

会場の地元の集落の集会場に、ここの建物がある敷地がかつて山から伐りだした木を集めるところであった当時の写真がありました。
昭和20年代、終戦後すぐのもののようです。
この時代の写真はほかのところのものもいくつか見たことがありますが、今ともっとも違ってみえるのは回りの山の木々の様子です。ふもと近くは山の木々が少なく、スギの植林が見当たりません。
今は木があまり使われなくなり山には木々がすごく茂っています。今の時代というのは、日本列島に人が集まって住むようになってからもっとも山に木々の茂っている時代かもしれませんね。ウサギが減ったとか虫の種類が変わったとか、そういったことも関連しているのでないかという声が多く聞こえます。

貯木場まで木を運んでいた渓谷沿いの道(トロッコも走っていたはずです)。

昔に剣道を教えてもらっていた方も隊に入っており、その方が昭和の中ごろの朝日連峰周辺の地図を持ってきていました。
今の地形図に書かれていない沢や山の名前がたくさん書いてあります。

小朝日岳のあたり。
小さな沢の名前もありますし、山の名前も、例えば今はハナヌキ峰となっているところが花ノ木峰、であったりしました。
西朝日岳の名前の書いてあるピークも違っていたり、西朝日岳直近に水場が書かれていたりします。

三方境から天狗へのルートの途中の、オバラメキ、コバラメキの下の沢に、漢字の記載がありました。オバラメキは大原目木、コバラメキは小原目木。

少し昔の地図は見ているだけで楽しいものですが、こういった細かい地形の名前は実際的に捜索にも必要だよなあと思うところがあります。
ほかの山域での捜索に加わったことがありますが、ややこしいのはそれぞれの隊の現在地の確認だなあということがありました。
みんなで同じ地図を持って座標やブロックで位置を把握する、GPSを導入するというのも方法としてありますが、山は平面ではないので、人の移動(行方不明になっている人そのものも)はやはり地形に沿っているものですから基本としては沢や尾根やピークの名前をみんなが共通したものをあらかじめ土地勘を養っておくというのが大事なのだろうなと思うこともありました。
地図は落としたり、風で飛ばされるかもしれない、GPSは電池が切れたり故障すると使えない、二次遭難を防ぐためにも大事なことだぞ、これは。と。
そのうちに写しとったりさせてもらおうかな、と思っています。
まだ雪囲いのある木に集まっては散らばり、屋根の軒先に飛んでいっては追いかけっこしています。

恋の時期なのでしょうけれど、どれがオスでどれがメスやら?見分けはつきません。

この日はこないだの山の集まり(県の山岳連盟)とは別な山の会議がありました。
地元の遭難対策委員会の捜索救助隊の総会と研修会でした。
ぼくは仕事が終わってから合流したので途中からの参加になりました。
会場に急いで向かい、到着したら小屋番さんのクルマに山用のスキーが積んでありました。
ジルブレッタの登山靴で履けるスキーのビンディングです。このタイプのスキー金具は珍しくなりました。ぼくも欲しいですが今はなかなか手に入らないそうです。

今回はロープの講習などを少しやったようでした。
ぼくも参加しているこの捜索救助隊は、担当するエリアの特徴から、山菜やきのこ採りで道迷いなどで帰ってこない遭難の捜索が多くなっておりロープを使って救助という場面はこれまではかなり少ないのですが、覚えておいたほうがよいのはもちろんのことです。
山菜やきのこ採りの場合には、このあたりのちいさく入り組んだ深い沢や尾根、濃いヤブ、登山と違って移動する範囲がなかなか特定できずに探すのがたいへんということがあります。そのため、山登りをする山岳会由来のメンバーが約半数、あと半数は鉄砲ぶちの方や地元の山慣れしている方、という人員構成(ぼくはまだどちらも不十分ですが)となっていました。山岳会由来のメンバーはロープのほうは一応大丈夫(?)ですが、そうでない方は登山用ロープの結び方もわからない、というような背景もあります。
山菜やきのこ採りの遭難は、意外に件数が多く、これからの雪解け後は山に入る人も多くなってきますから、要注意の時期になってきます。活躍することが無いのが一番よろしいことですが。

会場の地元の集落の集会場に、ここの建物がある敷地がかつて山から伐りだした木を集めるところであった当時の写真がありました。
昭和20年代、終戦後すぐのもののようです。
この時代の写真はほかのところのものもいくつか見たことがありますが、今ともっとも違ってみえるのは回りの山の木々の様子です。ふもと近くは山の木々が少なく、スギの植林が見当たりません。
今は木があまり使われなくなり山には木々がすごく茂っています。今の時代というのは、日本列島に人が集まって住むようになってからもっとも山に木々の茂っている時代かもしれませんね。ウサギが減ったとか虫の種類が変わったとか、そういったことも関連しているのでないかという声が多く聞こえます。

貯木場まで木を運んでいた渓谷沿いの道(トロッコも走っていたはずです)。

昔に剣道を教えてもらっていた方も隊に入っており、その方が昭和の中ごろの朝日連峰周辺の地図を持ってきていました。
今の地形図に書かれていない沢や山の名前がたくさん書いてあります。

小朝日岳のあたり。
小さな沢の名前もありますし、山の名前も、例えば今はハナヌキ峰となっているところが花ノ木峰、であったりしました。
西朝日岳の名前の書いてあるピークも違っていたり、西朝日岳直近に水場が書かれていたりします。

三方境から天狗へのルートの途中の、オバラメキ、コバラメキの下の沢に、漢字の記載がありました。オバラメキは大原目木、コバラメキは小原目木。

少し昔の地図は見ているだけで楽しいものですが、こういった細かい地形の名前は実際的に捜索にも必要だよなあと思うところがあります。
ほかの山域での捜索に加わったことがありますが、ややこしいのはそれぞれの隊の現在地の確認だなあということがありました。
みんなで同じ地図を持って座標やブロックで位置を把握する、GPSを導入するというのも方法としてありますが、山は平面ではないので、人の移動(行方不明になっている人そのものも)はやはり地形に沿っているものですから基本としては沢や尾根やピークの名前をみんなが共通したものをあらかじめ土地勘を養っておくというのが大事なのだろうなと思うこともありました。
地図は落としたり、風で飛ばされるかもしれない、GPSは電池が切れたり故障すると使えない、二次遭難を防ぐためにも大事なことだぞ、これは。と。
そのうちに写しとったりさせてもらおうかな、と思っています。