さて、冷たい肉そばを食べていただきました後は、月山の中腹の目的地に着く前に、ちょこっと寄り道しました。
少し重めの門構え、地元ではちょっと有名なお店です。
かつて三山線という鉄道路線があり、昭和49年に廃線になるまで出羽三山への参拝客を運んだ鉄道でありました。ここはその終着駅のあった場所の駅前にあたるところなのです。
祖霊の至る霊峰月山へ行くのですから、普段の生活の心持ちから、徐々に順を追って、ということもありましょう。

さておき、ここでは一足先にひな祭りの展示をしており、3月の山形の各地で催されるひな飾りの様子を見ていただきたいなと思ったのです。
玄関を入るとすぐに、新しい時代のおひな様の飾りがありました。
お店の方にお願いをして、解説をつけていただきました。(実は、解説の方は、お隣の集落の顔見知りの方です)

つるし飾りは、近年になって、うちの近くでも見られるようになりましたが、山形の場合には、元々は庄内地方の一部でなされる飾りでありました。
ここには、全国のつるし飾りのうち3つの様式で展示がされていました。
吊るす上の部分の形状や、数の決まりなどが異なっているそうです。

たわらとねずみ。
たわらにねずみがついては困る・・・と米を作っている立場としては思ってしまいますが、なにかいわれがあるのでしょう。

うさぎ。

百人一首の古いものも置かれていました。

あとは貝殻に絵付けをしたもの。
子どものころのことを思い出すと、こんな大きな貝殻は、海の遠い山形の内陸部ではまず見かける機会が無く(せいぜい田んぼの水路などにたまにいるシジミを見るくらい)、珍しがられたことでしょう。海に近くにお住まいの方には、砂浜に行けばありふれた石ころみたいなものなのでしょうけれど。

玄関から奥に、3つの広間を続けて使い、かなりの数の雛人形の展示になっていました。
でも、そちらは撮影ができないとのこと。貴重なものもあるそうです。
この日は、ほかにも次々と雛人形の展示を見に来る方がありました。
3月になって、雪解けの雰囲気になってきますと、山形の各地でこのように催され、県外から多くのお客様があります。
そのあと、お茶とデザートを。
干し柿(手前の真っ白なの)が特においしゅうございました。
普通の干し柿とちょっと違っていて、フレッシュさがあり、どんなふうに干すとこうなるのか聞きたいと思いました。

部屋からはすぐ近くの川も見えます。
水鳥も多くあり、眺めていると次々にちいさな鳥たちもやってきました。
実は、ぼくらの使ったお部屋が、川の手前に雪があったものですから、ちょっと部屋を抜け出して、見晴らしのよいところに行ったらば、目の前をヤマセミのような飛び方で飛んでいくものがあり、すこし駆け出して(建物内の廊下ですが)追いかけてしまいました。
うむ、あの飛び方、色合い、大きさ、きっとヤマセミだったに違いないと思うのですが。

というわけで、お店を出て、西の目的地に進むにつれ、だんだんと雪の量が多くなってまいります。お店のあたりは、1.5mほど、目的地の志津は、先日に5mほどに達したそうです。
ここにお住まいの方の言うことには、常時人が住むところの雪の量としては日本一なのでないか、ということでした。昭和49年の豪雪の際には、この温泉街の方の設置した雪尺が7mのものでは足りずに3mを追加し、9.5mほどの雪の量であったという話もあります。

まだ明るい時間帯に到着し、ムサママさんと娘のムサ姉さんに宿にチェックインしてもらい、この後、明るいうちの雪はたごを見学に歩きました。
少し重めの門構え、地元ではちょっと有名なお店です。
かつて三山線という鉄道路線があり、昭和49年に廃線になるまで出羽三山への参拝客を運んだ鉄道でありました。ここはその終着駅のあった場所の駅前にあたるところなのです。
祖霊の至る霊峰月山へ行くのですから、普段の生活の心持ちから、徐々に順を追って、ということもありましょう。

さておき、ここでは一足先にひな祭りの展示をしており、3月の山形の各地で催されるひな飾りの様子を見ていただきたいなと思ったのです。
玄関を入るとすぐに、新しい時代のおひな様の飾りがありました。
お店の方にお願いをして、解説をつけていただきました。(実は、解説の方は、お隣の集落の顔見知りの方です)

つるし飾りは、近年になって、うちの近くでも見られるようになりましたが、山形の場合には、元々は庄内地方の一部でなされる飾りでありました。
ここには、全国のつるし飾りのうち3つの様式で展示がされていました。
吊るす上の部分の形状や、数の決まりなどが異なっているそうです。

たわらとねずみ。
たわらにねずみがついては困る・・・と米を作っている立場としては思ってしまいますが、なにかいわれがあるのでしょう。

うさぎ。

百人一首の古いものも置かれていました。

あとは貝殻に絵付けをしたもの。
子どものころのことを思い出すと、こんな大きな貝殻は、海の遠い山形の内陸部ではまず見かける機会が無く(せいぜい田んぼの水路などにたまにいるシジミを見るくらい)、珍しがられたことでしょう。海に近くにお住まいの方には、砂浜に行けばありふれた石ころみたいなものなのでしょうけれど。

玄関から奥に、3つの広間を続けて使い、かなりの数の雛人形の展示になっていました。
でも、そちらは撮影ができないとのこと。貴重なものもあるそうです。
この日は、ほかにも次々と雛人形の展示を見に来る方がありました。
3月になって、雪解けの雰囲気になってきますと、山形の各地でこのように催され、県外から多くのお客様があります。
そのあと、お茶とデザートを。
干し柿(手前の真っ白なの)が特においしゅうございました。
普通の干し柿とちょっと違っていて、フレッシュさがあり、どんなふうに干すとこうなるのか聞きたいと思いました。

部屋からはすぐ近くの川も見えます。
水鳥も多くあり、眺めていると次々にちいさな鳥たちもやってきました。
実は、ぼくらの使ったお部屋が、川の手前に雪があったものですから、ちょっと部屋を抜け出して、見晴らしのよいところに行ったらば、目の前をヤマセミのような飛び方で飛んでいくものがあり、すこし駆け出して(建物内の廊下ですが)追いかけてしまいました。
うむ、あの飛び方、色合い、大きさ、きっとヤマセミだったに違いないと思うのですが。

というわけで、お店を出て、西の目的地に進むにつれ、だんだんと雪の量が多くなってまいります。お店のあたりは、1.5mほど、目的地の志津は、先日に5mほどに達したそうです。
ここにお住まいの方の言うことには、常時人が住むところの雪の量としては日本一なのでないか、ということでした。昭和49年の豪雪の際には、この温泉街の方の設置した雪尺が7mのものでは足りずに3mを追加し、9.5mほどの雪の量であったという話もあります。

まだ明るい時間帯に到着し、ムサママさんと娘のムサ姉さんに宿にチェックインしてもらい、この後、明るいうちの雪はたごを見学に歩きました。