らせん です重いったらないよ
まったく さっさとどいてくれ

使われなくなって久しい階段は毎度のことのように呟きます。
以前は表通りに行くのにみんなが使っていたはずなのに。
一体いつのまにこんなになっちまったんだ。。。
重いったらないよ
そんなこと言わないでよ
アタシがどいたら そりゃぁ淋しくなるでしょ
横たわった木の枝がくすくすと笑うのも毎度のことです
伸びすぎて伐られたのか
いつだったかの大風大雨の日にボキリと折れて
始末に困った何人かが階段の上に とりあえず。。。 と言いながら
置いて行ってそれっきり
階段と木の枝はそれからは持ちつ持たれつ
重いよ
そんなこと言わないでよ
の会話を繰り返し。。。
あ
見た?
うん 見た見た
こっち見てたね
うん カメラ出して写真撮ってた
誰だろう
誰だろうね
使われなくなった階段とその上に横たわる太い木の枝を
撮って行った男の人
伸び放題の草もざわざわと騒ぎます
風にあおられた音ではなく
興味と感心と それから久しぶりに訪れた訪問者
例え階段に上れなくても
階段があることに気がついた人
そのことだけでこれからずっと長い間話ができます
重いね
そんなこと言わないでよ
以外の会話が出来るのは 階段にも 折れた枝にも
ぞくぞくするような興奮なのです
そう例えその人の目には
使われなくなった階段と放置された太い枝 のように見えたとしても
ぞくぞくしびれる 気分です

はい、どなたか別の方のブログを開いてしまった?と思われた方もあるかもしれません。
いえ、わたくしはロッキーチャック
でございます。世の中には、いろいろな方がブログを書いており、時折、おぉ!こ、これは!と思わずひざを叩いてしまうようなものがあります。
そのようななかに、主に階段の探検記、街のあれこれを書いていらっしゃる
らせんさんの「気分は螺旋 進め!階段探検隊。」がございます。このうえの文は、2013年9月30日「すきまやはじっこを覗いて 文化的景観の街歩き2」でぼくが載せたとある階段に寄稿していただいたものでありました。(寄稿していただいて、いつか機会を見て載せねばなるまいと思っていたのですが、ようやっと叶いました)
こういった現代の街並みの中の暮らしのあれこれ、あるいは人の営みが重ねられ、または痕跡が積み重なったようなのを考察するのを、時に考現学、建物については、トマソン建築(単にトマソンとも)などと呼ぶこともあります。(なぜトマソン
、なのかは各自お調べください)らせんさんの記事の場合には、それがただ珍しいというだけでなく、そこになにかしら郷愁や詩情、情緒、雅趣、あるいはポエジーが感ぜられますね。
ぼくも時折、まち歩きなどした際にはこんなふうな、忘れかけられたような光景を載せることがありますが、実は学生のころから、いえ、最もこのようなのを楽しんでいたのは、社会人になってすぐのころだったでしょうか?
お休みの日には、街のなかのあれこれ、または、今は人の住まなくなった集落の跡、廃線跡や廃トンネル、そんななにかしら郷愁や、誰かの想い出の残っていそうな場所を、自転車
や原付で探検するのが好きでした。今回のものは、分類するならば「純粋階段」というものにあたるのかもしれません。
上記の階段は、途中に大きな木の枝が横たわり、段にすっかり草が繁茂して今はもう階段としての用を果たしてはおりません。階段の用を果たさない階段は、つまり純粋に階段そのものとしてそこにあると、そういったことなのでしょう。
話題の彗星を眺めに行った朝の数日前のことです。
クルマを運転中にふと視界に入ったすっかり黄色に染まった階段。ああ、これは見に行かなくてはいけない。そういった景色がそこにありました。
というわけで、その後にその階段に会いに向かったわけなのです。
ということで、明日のおはなしは階段探検隊、不肖の弟子が階段探検初挑戦、
上手く探検できるかな、な気分です
