夕暮れの色合いというものは、毎日ちょっとづつ違っているなあという気がします。
この日は、爽やかな雰囲気の夕暮れでした。
西の空に、赤味を増す西陽に照らされたふんわりとした雲。

電線は空の写真を撮るのにちょっと邪魔に感じることもありますが、画を構成するひとつの部品と考えてみると、ぐっと生活感が出るように思います。
今の時代には、人の暮らすところにはまずほとんど電線があります。
電線がこんなふうに入っていると、ああ、人の生活している街の中で撮ったんだな、暮らしの中で見える夕暮れの風景なんだ、というようなことが感じられるようになりますね。

アンテナなども面白いかもしれません。
このアンテナからお茶の間のテレビへ線が引かれていて、茶の間ではおじいちゃんとおばあちゃんがせんべいをかじりながらテレビを見ているのかもしれませんし、夕暮れ近くに、夕食を作っているお母さんが、そろそろ子どもたちを呼んできたほうがよいかしら?と思案しているかもしれません。
そろそろサンマの焼けるにおいもただよう気配がしてきました。

淋しい夕暮れもあるし、待ち遠しい夕暮れもあるし(星を観るぞと思っていると待ち遠しいですね)、悲しかったり、暖かだったり、不気味だったり、いろいろです。
この日は涼しく爽やかさのある青い空の夕焼けでした。

朝夕が冷え込むようになってからはカツラの葉の色合いが明るくなってきました。
カツラの木は、山近くを歩いていると沢や斜面の下近くの地面に水気のあるところによく生えています。また、公園などの街の中には、好んで植えられる木でもありますね。
この木は植えられたものでしょう。

正午くらいに撮った写真ですが、昼でも秋の気配のある陽射しになったなあと感じられるお日様の高さです。
カツラの葉は、陽射しを透かして軽やかな色合いとなっておりました。

木の足元には、もう落ちている葉もありました。

カツラの葉といえば、ほのかにキャラメルの香りがします。
不思議なことに、落ちてから日数が経ちすぎても新しすぎても香りがしません。
湿りすぎても、乾きすぎてもだめですね。
どういうわけかわかりませんが、一枚一枚のにおいの強さが違っています。
このカツラの葉の香りが、ふと鼻をくすぐると、落ち葉の季節がやってきたんだ、というお知らせであります。

もうひとつ、秋の香りと言えば、キンモクセイでありましょう。
キンモクセイは外国(中国原産らしい)からやってきた木だそうで、うちの近くにはありません。
仕事で通っている街の中にはいくつかキンモクセイのあるお庭があります。
あまり本数は多くないため、街を歩いていて、キンモクセイの香りがしてくると、鼻をくんくん、香りを追っていくとその先にキンモクセイの木を発見!という遊びもできます。
本数が多すぎると、あちこちで香りすぎて追いかけられません。

丸みを帯び、きなこみたいな色合いのちいさな花が枝にたくさんついていました。

このキンモクセイの植えてあったおうちはなかなかに趣のあるおうちでした。
漆喰の壁、木枠の窓。柱も見えています。最近のおうちは外壁が金属や窯業系のサイディングが多くなり、こんなふうに柱の見えるおうちも少なくなってきました。

そのお向かいにあるホルモン焼きの美味しい食堂の角に植えられたナナカマドの赤い実。
写真の奥に写っているのは換気扇のフードです。
このフードからは、秋だけでなく夕方になると美味しそうな香りがしてきます。
ぼくは普段はあまり肉を食べないんですが、香りだけでごはんの進みそうなよいにおいがするのです。

いえ、ホルモン焼きのにおいのはなしをしたいのでありませんでした。
こないだの満月の夜にお月見をしましたが、学生のころに友人と集まってお月見をしたことがあり、その夕暮れはずいぶん気持ちのよい気温と天候で、友人宅に歩いていく途中の街並みのなかで、キンモクセイの香りがしていたのを思い出します。やや、逆でしょうか、キンモクセイの香りをかぐと、そんなふうにお月見したのを思い出します。
中秋の名月は毎年ちょっとずつ季節の進み具合が違うので、もれなくキンモクセイの香りがするわけではないのですが、その時からぼくの頭のなかではキンモクセイの香り=お月見。というような連想のパターンになっておりました。
実は、その出来事以前には、キンモクセイの香り=トイレ。であったのですが、ある程度以上の年齢の方でないと、トイレを連想することはないのでしょうね、今はいろんな香りのトイレの芳香剤がありますからね。ぼくが子どものころには、トイレの芳香剤の香りと言えばキンモクセイの香りであったのです。
いえ、トイレのはなしでもありません。
においというのは、人間の脳みそのなかの原始的な部分が担当する感覚なんだと聞いた記憶があります。目で見たりするのは、割合と理性的に分析するようなんですが、においはより感情や想い出させるのに直接訴えかけるんだそうなことであります。
香りで感じる秋、というのも風情がありますね。
どこかから、落ち葉を燃してイモを焼く香りなどしてこないかしらん?と思います。
この日は、爽やかな雰囲気の夕暮れでした。
西の空に、赤味を増す西陽に照らされたふんわりとした雲。

電線は空の写真を撮るのにちょっと邪魔に感じることもありますが、画を構成するひとつの部品と考えてみると、ぐっと生活感が出るように思います。
今の時代には、人の暮らすところにはまずほとんど電線があります。
電線がこんなふうに入っていると、ああ、人の生活している街の中で撮ったんだな、暮らしの中で見える夕暮れの風景なんだ、というようなことが感じられるようになりますね。

アンテナなども面白いかもしれません。
このアンテナからお茶の間のテレビへ線が引かれていて、茶の間ではおじいちゃんとおばあちゃんがせんべいをかじりながらテレビを見ているのかもしれませんし、夕暮れ近くに、夕食を作っているお母さんが、そろそろ子どもたちを呼んできたほうがよいかしら?と思案しているかもしれません。
そろそろサンマの焼けるにおいもただよう気配がしてきました。

淋しい夕暮れもあるし、待ち遠しい夕暮れもあるし(星を観るぞと思っていると待ち遠しいですね)、悲しかったり、暖かだったり、不気味だったり、いろいろです。
この日は涼しく爽やかさのある青い空の夕焼けでした。

朝夕が冷え込むようになってからはカツラの葉の色合いが明るくなってきました。
カツラの木は、山近くを歩いていると沢や斜面の下近くの地面に水気のあるところによく生えています。また、公園などの街の中には、好んで植えられる木でもありますね。
この木は植えられたものでしょう。

正午くらいに撮った写真ですが、昼でも秋の気配のある陽射しになったなあと感じられるお日様の高さです。
カツラの葉は、陽射しを透かして軽やかな色合いとなっておりました。

木の足元には、もう落ちている葉もありました。

カツラの葉といえば、ほのかにキャラメルの香りがします。
不思議なことに、落ちてから日数が経ちすぎても新しすぎても香りがしません。
湿りすぎても、乾きすぎてもだめですね。
どういうわけかわかりませんが、一枚一枚のにおいの強さが違っています。
このカツラの葉の香りが、ふと鼻をくすぐると、落ち葉の季節がやってきたんだ、というお知らせであります。

もうひとつ、秋の香りと言えば、キンモクセイでありましょう。
キンモクセイは外国(中国原産らしい)からやってきた木だそうで、うちの近くにはありません。
仕事で通っている街の中にはいくつかキンモクセイのあるお庭があります。
あまり本数は多くないため、街を歩いていて、キンモクセイの香りがしてくると、鼻をくんくん、香りを追っていくとその先にキンモクセイの木を発見!という遊びもできます。
本数が多すぎると、あちこちで香りすぎて追いかけられません。

丸みを帯び、きなこみたいな色合いのちいさな花が枝にたくさんついていました。

このキンモクセイの植えてあったおうちはなかなかに趣のあるおうちでした。
漆喰の壁、木枠の窓。柱も見えています。最近のおうちは外壁が金属や窯業系のサイディングが多くなり、こんなふうに柱の見えるおうちも少なくなってきました。

そのお向かいにあるホルモン焼きの美味しい食堂の角に植えられたナナカマドの赤い実。
写真の奥に写っているのは換気扇のフードです。
このフードからは、秋だけでなく夕方になると美味しそうな香りがしてきます。
ぼくは普段はあまり肉を食べないんですが、香りだけでごはんの進みそうなよいにおいがするのです。

いえ、ホルモン焼きのにおいのはなしをしたいのでありませんでした。
こないだの満月の夜にお月見をしましたが、学生のころに友人と集まってお月見をしたことがあり、その夕暮れはずいぶん気持ちのよい気温と天候で、友人宅に歩いていく途中の街並みのなかで、キンモクセイの香りがしていたのを思い出します。やや、逆でしょうか、キンモクセイの香りをかぐと、そんなふうにお月見したのを思い出します。
中秋の名月は毎年ちょっとずつ季節の進み具合が違うので、もれなくキンモクセイの香りがするわけではないのですが、その時からぼくの頭のなかではキンモクセイの香り=お月見。というような連想のパターンになっておりました。
実は、その出来事以前には、キンモクセイの香り=トイレ。であったのですが、ある程度以上の年齢の方でないと、トイレを連想することはないのでしょうね、今はいろんな香りのトイレの芳香剤がありますからね。ぼくが子どものころには、トイレの芳香剤の香りと言えばキンモクセイの香りであったのです。
いえ、トイレのはなしでもありません。
においというのは、人間の脳みそのなかの原始的な部分が担当する感覚なんだと聞いた記憶があります。目で見たりするのは、割合と理性的に分析するようなんですが、においはより感情や想い出させるのに直接訴えかけるんだそうなことであります。
香りで感じる秋、というのも風情がありますね。
どこかから、落ち葉を燃してイモを焼く香りなどしてこないかしらん?と思います。