5月も下旬に入ると、陽射しはいよいよ強くなり、暖かいというよりも暑いくらいの日があるようになってまいりました。
家のなかのどこかの隙間に隠れて冬を越したクサギカメムシたちは、家のなかをうろうろしていたりします。
クサギカメムシは、そのにおいの強烈なことから、「へくさむし」「へひりむし」「へっぴりむし」などと呼ばれます。
なお、「へくさむし」の「ヘクサ」は、体が六角形なことから、「Hexa(ギリシア語の6)」ではないかというような洒落た御仁もいらっしゃったりします。
カメムシの仲間にはにおいを出すものが多くいますが、これはテントウムシの黄色の汁や、イナゴの口から出てくる緑の汁などとおなじく、身を守る手段であるようです。
でも、手に乗せたくらいではにおいは出しません。
カメムシは、命の危険を感じるとにおいを出してなんとか逃げようとしているわけで、においが出てしまうのは、たとえば足で踏んでしまったり、つかんだりしてしまった場合ですね。
考えてもみましょう、彼らから見たら山のような大きさのヒトが、その指でつまむわけですから、これは一大事です。命の危険を感じて、なんとか生き延びねばなるまいと最後の抵抗を試みておるのです。そうならないように、よく観察したり、愛でたりしたくなったらそっとすくうように手に取るのがよいと思います。この状態で、そっと包むようににぎったり、指でつついたりするくらいではにおいは出さないのです。

数日前のとある夜のことです。
ふと近くから濃厚なカメムシの香りがただよいました。
あらまあ、カメムシくんの上に座ってしまったかな?と思ったのですが、においのもとをたどってみると細長いカメムシがいつものクサギカメムシを捕まえていました。

こちらのカメムシは、オオトビサシガメという名があります。「サシガメ」とは、刺すカメムシのことでしょう。これも、家の中で越冬するのが多く、クサギカメムシほどの数はいませんがよく見かける虫です。
色合いがクサギカメムシと似ているので、子どものころなどには、「あの細長いのはへくさむしのオスだ(あるいはメスだ)」というような認識でありました。
なお、こちらのサシガメはにおいは出しませんが、捕まえると刺すことがあります。
クサギカメムシを捕まえているのからわかるとおり、肉食のカメムシの仲間です。

この細長いオオトビサシガメにも、ほかの名前がありました。
聞いたはなしでは、山形県の大蔵村の肘折という温泉地ではこのカメムシを「ヴァイオリンヘクサンボ」と呼ぶそうです。「へくさむし」を肘折では「へくさんぼ」なんですね。
ヴァイオリンとは、オオトビサシガメのエレガントな曲線の腹部のへりの様子をヴァイオリンになぞらえたのでありましょう。雅趣に富んだことでありますね。

彼らはにおいのためか、見た目のためか、嫌いだという方が多く見受けられる虫のひとつです。
クサギカメムシのにおいの体液は、ひふに直接付着したのをそのままにするとかぶれてしまうことがあります。サシガメのほうは刺しますね(でもほとんど刺しません)。
特段に害をなすようなことをするのでないのに、カメムシ専用の殺虫剤があるほどです。
ぼくなどは殺虫剤のほうが、確実に人体に害があるだろうと思ったりもしておりました。
野外にはハチたちも増えてきました。
これはオオマルハナバチかなと思います。マルハナバチの仲間は、ふわふわの毛、丸っこい体形と花に夢中になっている様子などから、「まるちゃん」と呼び慣らして愛でる方もあります。
彼らの行動の中でなんといっても可愛らしいのは、花の蜜を吸い過ぎて体重が重くなり、飛び立てなくなって地面をころころ転がっていることがある様子でありましょう。
でもやはり、ハチ=刺す、というので嫌うというか怖がる方が多くおりますね。
ハナバチもミツバチも刺すことは刺しますが、ほとんど刺しません。
カメムシのにおいと同じく、つかまれたりした際に最後の手段として仕方なく刺すのです。

先日に、とある山の上にトネリコの仲間の花を見に行った際に、暖かい陽射しの中でクマバチが飛んでいました。ピアノなどの曲に、くまばちの飛行、というせわしない曲がありますね。このような情景でありましょうか。
春先のふわんと暖かく、風に木々の花の香りが満ちる頃合に、大きな黒っぽいハチが空中に静止するように飛んでいるのがクマバチ(これはその中のキムネクマバチであろうかと思います)のオスです。

まるいおしりに、いかにも滑らかそうな黄色の毛皮。ちょこんと立てたふたつの触角。
これが可愛いというのでなくてなにが可愛いというのだろうかという様子ですね。

クマバチのオスは、今の時期にはなわばりを作って、そのなわばりに入ってきたほかのちいさなハチやアブを追い払っていました。

顔をよく見てみましょう。
顔の前に黄色の鼻のようなものがあります。この黄色いのがオスの特徴のようです。
メスにはこれはなく、眼はちいさく、大きなあごが目立ちます。
顔はほとんどが眼、というような眼の大きさです。
こんなふうに、空中を見張りするように飛んでいると、いかにも刺してきそう!と怖く思ってしまうのですが、彼らはオスですから刺したくても刺せません。ハチの針は、産卵管の変化したものなのでオスは刺せないのですね。

ハチも嫌がられる虫のひとつですね。ハチの場合には、においや不潔な感じ、というのでなく刺すから怖くて嫌、ということでしょう。
ハチもまたたいへんに種類の多い昆虫のひとつです。
そのうち刺すものは、ある説では2%ほど。
ハチの仲間は、まだ名前も生態もわからないものが多くありますが、刺すものなどは大型なのと刺すことで注意深く観察されやすいことから既にかなり知られております。
反面、刺さないハチの仲間のちいさなものなどはまだよくわからない種類がたくさんあり、草むらで網を草をなでるように振る(スウィーピングと呼びます)と、ちいさなハチのたくさんいることいること。そのために、ハチのうち人を刺すようなものは2%よりももっと割合が低いのではないかと思っております。
また、「アブハチ取らず」というように並べて呼ばれたりするアブも、そのほとんどは刺しません。
どうも、虫(昆虫だけでなく)というと、わけも無く嫌いな方がたいへんに多くおり、彼らを殺傷するのにいろいろな手段を講じており、年々様々な殺虫剤の開発される様子は鬼気迫る狂気じみた様子であると思っておりました。
カミキリムシやクワガタ、シロアリなどがいないと森の木々はいつまでも分解されず、毛や鳥の羽根を食べるカツオブシムシやシバンムシがいないと、動物の毛はいつまでも分解されずに残ってしまうことでしょう。あるいは、アブやハエやハチなども植物の受粉と深い関係にあるので彼らがいないとたくさんの木々や草が実ることがないことでしょう。
人類などは居なくなっても地球上のほとんどの生き物は困ることはなく、いっそすっきり安心して過ごすことでしょうけれど、虫たちがいないと人類などはとても生きていかれません。
虫の嫌いなかたに、いきなり、虫に敬意を払いなさいな、というのは無理のあることですが、もうちょっとよく眺めてみると、怖いものは一部だし、たいへんに綺麗好きなものが多いし、彼らの多様な暮らしぶりにだんだんと楽しくなってくるのではあるまいかと思っております。
嫌いなものが多いより、好きなものが多いほうがずいぶんと日々の楽しいことであるのはまず間違いのないことでありましょう。
家のなかのどこかの隙間に隠れて冬を越したクサギカメムシたちは、家のなかをうろうろしていたりします。
クサギカメムシは、そのにおいの強烈なことから、「へくさむし」「へひりむし」「へっぴりむし」などと呼ばれます。
なお、「へくさむし」の「ヘクサ」は、体が六角形なことから、「Hexa(ギリシア語の6)」ではないかというような洒落た御仁もいらっしゃったりします。
カメムシの仲間にはにおいを出すものが多くいますが、これはテントウムシの黄色の汁や、イナゴの口から出てくる緑の汁などとおなじく、身を守る手段であるようです。
でも、手に乗せたくらいではにおいは出しません。
カメムシは、命の危険を感じるとにおいを出してなんとか逃げようとしているわけで、においが出てしまうのは、たとえば足で踏んでしまったり、つかんだりしてしまった場合ですね。
考えてもみましょう、彼らから見たら山のような大きさのヒトが、その指でつまむわけですから、これは一大事です。命の危険を感じて、なんとか生き延びねばなるまいと最後の抵抗を試みておるのです。そうならないように、よく観察したり、愛でたりしたくなったらそっとすくうように手に取るのがよいと思います。この状態で、そっと包むようににぎったり、指でつついたりするくらいではにおいは出さないのです。

数日前のとある夜のことです。
ふと近くから濃厚なカメムシの香りがただよいました。
あらまあ、カメムシくんの上に座ってしまったかな?と思ったのですが、においのもとをたどってみると細長いカメムシがいつものクサギカメムシを捕まえていました。

こちらのカメムシは、オオトビサシガメという名があります。「サシガメ」とは、刺すカメムシのことでしょう。これも、家の中で越冬するのが多く、クサギカメムシほどの数はいませんがよく見かける虫です。
色合いがクサギカメムシと似ているので、子どものころなどには、「あの細長いのはへくさむしのオスだ(あるいはメスだ)」というような認識でありました。
なお、こちらのサシガメはにおいは出しませんが、捕まえると刺すことがあります。
クサギカメムシを捕まえているのからわかるとおり、肉食のカメムシの仲間です。

この細長いオオトビサシガメにも、ほかの名前がありました。
聞いたはなしでは、山形県の大蔵村の肘折という温泉地ではこのカメムシを「ヴァイオリンヘクサンボ」と呼ぶそうです。「へくさむし」を肘折では「へくさんぼ」なんですね。
ヴァイオリンとは、オオトビサシガメのエレガントな曲線の腹部のへりの様子をヴァイオリンになぞらえたのでありましょう。雅趣に富んだことでありますね。

彼らはにおいのためか、見た目のためか、嫌いだという方が多く見受けられる虫のひとつです。
クサギカメムシのにおいの体液は、ひふに直接付着したのをそのままにするとかぶれてしまうことがあります。サシガメのほうは刺しますね(でもほとんど刺しません)。
特段に害をなすようなことをするのでないのに、カメムシ専用の殺虫剤があるほどです。
ぼくなどは殺虫剤のほうが、確実に人体に害があるだろうと思ったりもしておりました。
野外にはハチたちも増えてきました。
これはオオマルハナバチかなと思います。マルハナバチの仲間は、ふわふわの毛、丸っこい体形と花に夢中になっている様子などから、「まるちゃん」と呼び慣らして愛でる方もあります。
彼らの行動の中でなんといっても可愛らしいのは、花の蜜を吸い過ぎて体重が重くなり、飛び立てなくなって地面をころころ転がっていることがある様子でありましょう。
でもやはり、ハチ=刺す、というので嫌うというか怖がる方が多くおりますね。
ハナバチもミツバチも刺すことは刺しますが、ほとんど刺しません。
カメムシのにおいと同じく、つかまれたりした際に最後の手段として仕方なく刺すのです。

先日に、とある山の上にトネリコの仲間の花を見に行った際に、暖かい陽射しの中でクマバチが飛んでいました。ピアノなどの曲に、くまばちの飛行、というせわしない曲がありますね。このような情景でありましょうか。
春先のふわんと暖かく、風に木々の花の香りが満ちる頃合に、大きな黒っぽいハチが空中に静止するように飛んでいるのがクマバチ(これはその中のキムネクマバチであろうかと思います)のオスです。

まるいおしりに、いかにも滑らかそうな黄色の毛皮。ちょこんと立てたふたつの触角。
これが可愛いというのでなくてなにが可愛いというのだろうかという様子ですね。

クマバチのオスは、今の時期にはなわばりを作って、そのなわばりに入ってきたほかのちいさなハチやアブを追い払っていました。

顔をよく見てみましょう。
顔の前に黄色の鼻のようなものがあります。この黄色いのがオスの特徴のようです。
メスにはこれはなく、眼はちいさく、大きなあごが目立ちます。
顔はほとんどが眼、というような眼の大きさです。
こんなふうに、空中を見張りするように飛んでいると、いかにも刺してきそう!と怖く思ってしまうのですが、彼らはオスですから刺したくても刺せません。ハチの針は、産卵管の変化したものなのでオスは刺せないのですね。

ハチも嫌がられる虫のひとつですね。ハチの場合には、においや不潔な感じ、というのでなく刺すから怖くて嫌、ということでしょう。
ハチもまたたいへんに種類の多い昆虫のひとつです。
そのうち刺すものは、ある説では2%ほど。
ハチの仲間は、まだ名前も生態もわからないものが多くありますが、刺すものなどは大型なのと刺すことで注意深く観察されやすいことから既にかなり知られております。
反面、刺さないハチの仲間のちいさなものなどはまだよくわからない種類がたくさんあり、草むらで網を草をなでるように振る(スウィーピングと呼びます)と、ちいさなハチのたくさんいることいること。そのために、ハチのうち人を刺すようなものは2%よりももっと割合が低いのではないかと思っております。
また、「アブハチ取らず」というように並べて呼ばれたりするアブも、そのほとんどは刺しません。
どうも、虫(昆虫だけでなく)というと、わけも無く嫌いな方がたいへんに多くおり、彼らを殺傷するのにいろいろな手段を講じており、年々様々な殺虫剤の開発される様子は鬼気迫る狂気じみた様子であると思っておりました。
カミキリムシやクワガタ、シロアリなどがいないと森の木々はいつまでも分解されず、毛や鳥の羽根を食べるカツオブシムシやシバンムシがいないと、動物の毛はいつまでも分解されずに残ってしまうことでしょう。あるいは、アブやハエやハチなども植物の受粉と深い関係にあるので彼らがいないとたくさんの木々や草が実ることがないことでしょう。
人類などは居なくなっても地球上のほとんどの生き物は困ることはなく、いっそすっきり安心して過ごすことでしょうけれど、虫たちがいないと人類などはとても生きていかれません。
虫の嫌いなかたに、いきなり、虫に敬意を払いなさいな、というのは無理のあることですが、もうちょっとよく眺めてみると、怖いものは一部だし、たいへんに綺麗好きなものが多いし、彼らの多様な暮らしぶりにだんだんと楽しくなってくるのではあるまいかと思っております。
嫌いなものが多いより、好きなものが多いほうがずいぶんと日々の楽しいことであるのはまず間違いのないことでありましょう。