一週間のご無沙汰でした。
春は一気に進むかのようで、そうでもないようで。
4月4日の夕暮れ後、西の空。
昼の時間はぐんぐん長くなり、夕暮れはふと気がつくとずいぶん遅くなりました。
今日(4/15)は、8月の下旬とだいたい同じ昼の長さになっています。
4月に入っても、雪が幾度も降り、あるいは積もったりもしましたが夕焼けの色合いの感じられる西の空には冬の大三角が傾いておりました。

その翌日の夕暮れ。
うちの田んぼはまだ半分ほどは雪の下ですが、街近くの田んぼでは雪は消えて雪解けの水が鏡のように夕焼けを映していました。

暖かい日があったかと思うとまた雪が舞ったりします。
うちのわん、はちょっと足を怪我していて、まだぴょこぴょこと歩くのですがずいぶん元気になりました。
毛並みはもこっとしていてまだ冬の毛ですね。(実は毛皮の下でメタボリックなんとかになっていたりするのかもしれませんが)

ふきのとうは育ち、ちいさな象牙色の花束になりました。

暖かくなったり、寒くなったり。
そういった合間には家の向かいの斜面にもやが舞います。

電柱にとまっているヤマガラ。
なにか上の方向を気にしておりますね。

気になっていたのは電柱の穴のようでした。
えさを探しているものか、愛の巣穴の物件を探しているものか。
この穴はヤマガラにとってもちょっと大きさが足らないようですよ。

暖かい雨になった日などは川は濁流になっていました。

堂々と道路の真ん中を歩くニワトリ。なんとなく威厳があって、こちらが道を譲らないといけない気持ちになったりします。

カラスも巣をかける時期でしょうか。
こういったところに巣をかけると撤去されたりすることもあると聞きます。

そうです。
祖母が亡くなりました。
数年前に倒れてから、とうとう自宅で過ごせるまでに回復することが出来ませんでした。
季節の移ろうのを愛でる方であって、サクラの咲くのや、ツバメが毎年巣をかけ、幾世代もうちの小屋から巣立っていくのを毎年嬉しそうに眺め、教えてくれました。
ゼンマイの出る頃には晴れればゼンマイを干し、そんなうちに田んぼの仕事が始まり、ササの葉の開く季節にはササ巻きを結い、ウメが実れば梅干を、シソが育てばしそ巻きを、秋には干し柿をつるし、冬には凍みもちや凍み大根や。そのようにして過ごすうちにまたサクラの時期を迎えるのです。
そのように素直に季節の流れのなかで過ごせる世代は祖母の世代がしまいなのかもしれないと感じたりします。
お寺さまのお葬式の後には、集落のほかの家のみなさんがお見送りしてくれました。
近所の家々のおばあちゃんたちが唱えるお経にあわせて10数mある数珠をくるくる回すのです。
このように見送られるのもあとどのくらい先までのことでしょう。ぼくの順番にはこのように見送る人もないでしょう。

その前後、10日~12日にかけては雪の舞う日が続きました。

冬の終わるこの時期には、亡くなる方がずいぶん多いということです。(実際の数字がどうなのかわかりませんが)
冬を頑張って乗り切って春の気配に安心するものか、あるいは残されたものがすぐに春の生命の息吹に癒されることを願ってかわかりません。
もう高齢の身でありましたし、数年前に倒れてからさよならの時間もずいぶんとあったのです。(倒れた数日後に意識を取り戻したときには、お医者様が言うには、なぜこの状態で生きていられるのかよくわからないという体の状態であったそうです。なんにしろ体が丈夫な人なのでした。)
一週間のお休みは喪に服すということもありましたが、たくさんの人が集まり、様々な準備や片付けをしていたということもありました。
ばあさまの過ごすように素直に季節の中にあるというのは、雇われの身のぼくにはなかなか出来ぬことですね。ここに書き取られる季節の移ろいなどは多分に作為的であるかもしれませんが仕方ありません、さあて、また記述をはじめましょう。
春は一気に進むかのようで、そうでもないようで。
4月4日の夕暮れ後、西の空。
昼の時間はぐんぐん長くなり、夕暮れはふと気がつくとずいぶん遅くなりました。
今日(4/15)は、8月の下旬とだいたい同じ昼の長さになっています。
4月に入っても、雪が幾度も降り、あるいは積もったりもしましたが夕焼けの色合いの感じられる西の空には冬の大三角が傾いておりました。

その翌日の夕暮れ。
うちの田んぼはまだ半分ほどは雪の下ですが、街近くの田んぼでは雪は消えて雪解けの水が鏡のように夕焼けを映していました。

暖かい日があったかと思うとまた雪が舞ったりします。
うちのわん、はちょっと足を怪我していて、まだぴょこぴょこと歩くのですがずいぶん元気になりました。
毛並みはもこっとしていてまだ冬の毛ですね。(実は毛皮の下でメタボリックなんとかになっていたりするのかもしれませんが)

ふきのとうは育ち、ちいさな象牙色の花束になりました。

暖かくなったり、寒くなったり。
そういった合間には家の向かいの斜面にもやが舞います。

電柱にとまっているヤマガラ。
なにか上の方向を気にしておりますね。

気になっていたのは電柱の穴のようでした。
えさを探しているものか、愛の巣穴の物件を探しているものか。
この穴はヤマガラにとってもちょっと大きさが足らないようですよ。

暖かい雨になった日などは川は濁流になっていました。

堂々と道路の真ん中を歩くニワトリ。なんとなく威厳があって、こちらが道を譲らないといけない気持ちになったりします。

カラスも巣をかける時期でしょうか。
こういったところに巣をかけると撤去されたりすることもあると聞きます。

そうです。
祖母が亡くなりました。
数年前に倒れてから、とうとう自宅で過ごせるまでに回復することが出来ませんでした。
季節の移ろうのを愛でる方であって、サクラの咲くのや、ツバメが毎年巣をかけ、幾世代もうちの小屋から巣立っていくのを毎年嬉しそうに眺め、教えてくれました。
ゼンマイの出る頃には晴れればゼンマイを干し、そんなうちに田んぼの仕事が始まり、ササの葉の開く季節にはササ巻きを結い、ウメが実れば梅干を、シソが育てばしそ巻きを、秋には干し柿をつるし、冬には凍みもちや凍み大根や。そのようにして過ごすうちにまたサクラの時期を迎えるのです。
そのように素直に季節の流れのなかで過ごせる世代は祖母の世代がしまいなのかもしれないと感じたりします。
お寺さまのお葬式の後には、集落のほかの家のみなさんがお見送りしてくれました。
近所の家々のおばあちゃんたちが唱えるお経にあわせて10数mある数珠をくるくる回すのです。
このように見送られるのもあとどのくらい先までのことでしょう。ぼくの順番にはこのように見送る人もないでしょう。

その前後、10日~12日にかけては雪の舞う日が続きました。

冬の終わるこの時期には、亡くなる方がずいぶん多いということです。(実際の数字がどうなのかわかりませんが)
冬を頑張って乗り切って春の気配に安心するものか、あるいは残されたものがすぐに春の生命の息吹に癒されることを願ってかわかりません。
もう高齢の身でありましたし、数年前に倒れてからさよならの時間もずいぶんとあったのです。(倒れた数日後に意識を取り戻したときには、お医者様が言うには、なぜこの状態で生きていられるのかよくわからないという体の状態であったそうです。なんにしろ体が丈夫な人なのでした。)
一週間のお休みは喪に服すということもありましたが、たくさんの人が集まり、様々な準備や片付けをしていたということもありました。
ばあさまの過ごすように素直に季節の中にあるというのは、雇われの身のぼくにはなかなか出来ぬことですね。ここに書き取られる季節の移ろいなどは多分に作為的であるかもしれませんが仕方ありません、さあて、また記述をはじめましょう。