先週の土曜のことです。
前回も書いた重要文化的景観の記念シンポジウムというのがあり行ってきました。
会場には、シンポジウムがあるからというわけではないのでしょうけれど、かつてここにあった映画館の当時のポスターが展示されていました。どうやら物好きな方が大事に保管してあったようです。

ゴジラは知っていますが、ラドンとバランは知りません。
結構な点数のポスターや当時のプログラムなどいろんな資料がありました。

重要文化的景観の選定を受けるのは、東北では三例目、山形県内では初というようなことで、テレビ局のカメラも数局で来ていたり、新聞社などの姿もありました。
ぼくの住む町は1万人にも満たないちいさなところなのですが、会場には数百人が来ていたということですから結構な人数ですね。町の人口の約3%が集まったとして、人口の多い横浜市に割合をかけてみると11万人が一堂に会した、というようなくらい。

シンポジウムには、学者さんなどが来ていろいろ説明しておりました。
写っているのは、愛媛県の外泊の石積みの集落の様子だそうです。
棚田もそうですが、住んでいる人にとっては土地の形状などから「人が住むには、耕すにはこうなるという当然の帰結」としての集落のかたちとなり、あるいはそれに時代の変遷などが加わっていって、それらがよく残っているところが文化的景観のナントカ、というようなことだそうです。地元の人からすると、棚田なども「んだがらね。ここで米作るったらこやんばいとかしょうないべ」ということの積み重ねなわけですね。

さて、その後に時間もちょっとあるので、ひな祭りの様子を見に行きました。
ここはそうですね。ちっちゃい博物館みたいなところです。

あちこちからの寄贈のあったおひな様を地元の方が整理したり飾ったりしていました。
もともとのおうちのかたは、お引越しや家の建て替えで飾れなくなったのを引き取ったりしたようなことです。
古いものから、新しいもの、大きいのに小さいのまでいろんなものがありました。
こういったものに造詣の深い方であれば解説のしようもありますが、ぼくにはちょっとわかりません。

おひな様の前にはひな膳が添えられてありました。

お、これがかど焼きですね。お魚デーのお店から来たのかもしれません。
たまごもあります。
たまごもかども、かつては貴重なごちそうであったことでしょうから、このようにお供えするのだと思います。
たとえば山奥の宿に行って、都会から来たかたには山菜などがごちそうになるのに、宿では刺身を出す、なんて笑い話のようなことがありますね。山奥の人にとっては、山菜は普段の食べものでお客さんに出すにはしのびないのでごちそうとして刺身を出す、と。

面白いのはこんなふうにいろんな人形やなにかが飾ってあるものです。
うちの近所でも、こういうなにかしらの形をしたものをおひな様の時期にならべて飾るという風習がありました。おひな様だけでなくて、人の形、なにかしらの形をしたもの、を出して飾るということなのでしょう。
とぼけただるま。

お稲荷様はなぜか左右が入れ替わって鏡に映ったようですね。

こちらはいつも展示してあるものです。
以前に紹介した(2012年12月23日「歴史の息吹を感じる 文化遺産シンポジウム」)のアオソの栽培の出荷するかたちがこういったものだったそうです。

こちらは、収穫したアオソの茎から繊維を取り出すひき具。

つまり、ひな市でおひな様を買いに来るかたは、ここの川港からアオソや絹糸を出荷し、その財でもっておひな様をちょっとずつ買い求めたりして、そのようにして町場が形成された、という成り立ちのようです。
良質のアオソが採れるためには、山で風が遮られるような深い山あいの地が必要で、運ぶには舟運の発達していることが必要で、というようなものがたりなのですね。なるほど。
さて、ここのひな祭りでは、個人のおうち(3軒ほどのようです)のおひな様を見ることもできるようになっていました。
ここは、由緒ある羊羹やさんのおうちのおひな様。
個人宅なのでそれほどたくさんの人は入れませんが、入れ替わり数人ずつお客様があるようでした。遠くからいらしたかたが多いようでした。

ちょっと面白いおひな様。
かごを担いだ様子のものでした。

今度は丸いポストです。

このあとは、予約していた歯医者さんに行きました・・・。(その様子は載せません)
前回も書いた重要文化的景観の記念シンポジウムというのがあり行ってきました。
会場には、シンポジウムがあるからというわけではないのでしょうけれど、かつてここにあった映画館の当時のポスターが展示されていました。どうやら物好きな方が大事に保管してあったようです。

ゴジラは知っていますが、ラドンとバランは知りません。
結構な点数のポスターや当時のプログラムなどいろんな資料がありました。

重要文化的景観の選定を受けるのは、東北では三例目、山形県内では初というようなことで、テレビ局のカメラも数局で来ていたり、新聞社などの姿もありました。
ぼくの住む町は1万人にも満たないちいさなところなのですが、会場には数百人が来ていたということですから結構な人数ですね。町の人口の約3%が集まったとして、人口の多い横浜市に割合をかけてみると11万人が一堂に会した、というようなくらい。

シンポジウムには、学者さんなどが来ていろいろ説明しておりました。
写っているのは、愛媛県の外泊の石積みの集落の様子だそうです。
棚田もそうですが、住んでいる人にとっては土地の形状などから「人が住むには、耕すにはこうなるという当然の帰結」としての集落のかたちとなり、あるいはそれに時代の変遷などが加わっていって、それらがよく残っているところが文化的景観のナントカ、というようなことだそうです。地元の人からすると、棚田なども「んだがらね。ここで米作るったらこやんばいとかしょうないべ」ということの積み重ねなわけですね。

さて、その後に時間もちょっとあるので、ひな祭りの様子を見に行きました。
ここはそうですね。ちっちゃい博物館みたいなところです。

あちこちからの寄贈のあったおひな様を地元の方が整理したり飾ったりしていました。
もともとのおうちのかたは、お引越しや家の建て替えで飾れなくなったのを引き取ったりしたようなことです。
古いものから、新しいもの、大きいのに小さいのまでいろんなものがありました。
こういったものに造詣の深い方であれば解説のしようもありますが、ぼくにはちょっとわかりません。

おひな様の前にはひな膳が添えられてありました。

お、これがかど焼きですね。お魚デーのお店から来たのかもしれません。
たまごもあります。
たまごもかども、かつては貴重なごちそうであったことでしょうから、このようにお供えするのだと思います。
たとえば山奥の宿に行って、都会から来たかたには山菜などがごちそうになるのに、宿では刺身を出す、なんて笑い話のようなことがありますね。山奥の人にとっては、山菜は普段の食べものでお客さんに出すにはしのびないのでごちそうとして刺身を出す、と。

面白いのはこんなふうにいろんな人形やなにかが飾ってあるものです。
うちの近所でも、こういうなにかしらの形をしたものをおひな様の時期にならべて飾るという風習がありました。おひな様だけでなくて、人の形、なにかしらの形をしたもの、を出して飾るということなのでしょう。
とぼけただるま。

お稲荷様はなぜか左右が入れ替わって鏡に映ったようですね。

こちらはいつも展示してあるものです。
以前に紹介した(2012年12月23日「歴史の息吹を感じる 文化遺産シンポジウム」)のアオソの栽培の出荷するかたちがこういったものだったそうです。

こちらは、収穫したアオソの茎から繊維を取り出すひき具。

つまり、ひな市でおひな様を買いに来るかたは、ここの川港からアオソや絹糸を出荷し、その財でもっておひな様をちょっとずつ買い求めたりして、そのようにして町場が形成された、という成り立ちのようです。
良質のアオソが採れるためには、山で風が遮られるような深い山あいの地が必要で、運ぶには舟運の発達していることが必要で、というようなものがたりなのですね。なるほど。
さて、ここのひな祭りでは、個人のおうち(3軒ほどのようです)のおひな様を見ることもできるようになっていました。
ここは、由緒ある羊羹やさんのおうちのおひな様。
個人宅なのでそれほどたくさんの人は入れませんが、入れ替わり数人ずつお客様があるようでした。遠くからいらしたかたが多いようでした。

ちょっと面白いおひな様。
かごを担いだ様子のものでした。

今度は丸いポストです。

このあとは、予約していた歯医者さんに行きました・・・。(その様子は載せません)