今日は、暖かく晴れ、雪も解けてきてなんだか春のような気持ちになった日でした。
ちいさな草が芽を出していて、写真を撮りたいなと思ったらば、メモリカードを忘れていて撮られませんでした。

さて、先日にちょっと書いた「文化的景観」(2012年11月21日「ちょっとだけ街歩き」)というもの、それについてその後に、シンポジウムなどがあったのに参加をしておりました。そのなかで、なるほど、そういうことかというのがあったので、メモのように書いておきたいと思います。(長くなってしまったので、おひまなときにでも眺めてみてください)

シンポジウムのなかで、文化的景観というのはどんなものかという説明にあったのは、次のようなことでした。
「これまで、文化財というと、仏像や絵画や建築や、そういったものそのものを指定して守りましょうということで推移してきたのですが、文化的景観については、そういうことでなしに、現在の風景や文化というのが出来上がった様子を含めて評価、保存しましょうという考え方になってきています。
これは動物などにたとえると、ゴクラクチョウという珍しい鳥がいるとして、それは今までの保護の方法では、しっかりした標本にするとか、かごに入れて飼うとか、人工飼育をこころみるとかそういったやり方で保存を図ってきました。
ところが、生き物というのはそういうふうに生きているのでなしに、周囲の環境を含めて生きているのものであるので、現在は生物種の保護については、環境を含めてまるごと、観察するにしてもかごの中の鳥を見るのでなく、それが生きている場所に行き、何年もともに過ごすというようなやり方にかわってきたのです。
それとおなじように、文化財もそれそのものだけでなく、いろんな文化や風習を生み出した風土、地形、風景を守っていこうというようになったのですね」

だそうです。

今日は、ちょっと夜に会食があり、ちょっとしっかりしたお店にあがって食事してきました。
そこのお店には、やな(魚を採るわな)の写真がありました。
山の草とか花とか虫とか-やなの写真

こちらは約90年前のえはがき、ここの駅が出来た当時の記念はがきでのやなの様子です。
このやなそのものは、今はありませんが、岩盤にはこのやながあった当時の穴が残されています。
山の草とか花とか虫とか-百目木のやな

どういうところにあったのかというと、次の写真の川の手前のぐいっと曲がったところ、ですね。一番目の写真のおくに見える島のようなところは、中島と呼ばれたりして、その手前で最上川はふたつにわかれています。
山の草とか花とか虫とか-最上川の屈曲点

写真を撮ったところからの最上川沿いに街の広がる様子。
この写真を撮ったところは、かつて中世の山城があったとされるところで、山城の遺跡そのものも、国指定の文化財になりました(2009年のことだったかと思います)
山の草とか花とか虫とか-街の広がる様子
この山城のある山は、最上川が南から流れて来たところに立ちはだかるように位置していて、ここから最上川は村山盆地へと流れを大きく、ぐいらっと変えていきます。
ここの街の成り立ちの最初のころと考えられるのは、この中世の山城の城下町としての発達であったそうです。

その後、江戸時代に変わるころにはお城は、街の西のほうへ所在を変え、同じ頃には最上川の船運が盛んになったそうです。
船運は、その奥の朝日連峰のふもとあたりの山村からのいろいろな産物を運んで出荷し、その積荷の帰り荷として、関西からのお雛様などをもたらしたということです。
もっと立派なお雛様もあったのですが、これは土人形やそういうのですね。
こういったちいさな人形は、山からいろいろな産物を運んできたかたがひな市というので年に数個、ちょっとずつ買い求めて、山の暮らしでもおひなさまを飾ったりしたのだそうです。うちにもこういうちいさなお雛様や人形があり、かつては集落の子ども会で、おひなさまを各家々を訪ねてみせてもらう風習がありました。
山の草とか花とか虫とか-お雛様

ひな市は、3月ごろにまだ続いております。
山の草とか花とか虫とか-ひな市

その当時、新たにお城ができたことにより、城下町としての性格も持って神社や、お寺なども、かつての山城のところから新たに出来た武家屋敷などとあわせて配置をされたそうです。
これは八幡様。
秋には、八幡様の縁日に秋祭りがこれまた続いております。
山の草とか花とか虫とか-八幡様

これは、その秋祭りの際に奉納される獅子舞(ほんとうは鹿踊り)の様子。
獅子舞は、ふたつ、みこしもふたつ、囃子屋台(2011年9月18日「秋祭り」に少し書いていました。)、後は3年に一度の奴、夜の演芸会など、ほかにもいくつもの町内会から競うようにいろんな奉納があります。
山の草とか花とか虫とか-秋祭りのしし踊り

ほかの神社では、これは天満さまのお祭なのですが、こちらは、雨乞いの天満様というような位置づけになっていて、それにともなうおはなしが残っています。(このときには、こちらのお祭をなぜかお手伝いに行っていました)
山の草とか花とか虫とか-天満神社

時代は少し変わり、今から90年ほど前に、駅ができました。
駅が出来た際にも、囃子屋台が練り歩きたいへんな盛況だったそうです。
山の草とか花とか虫とか-駅とSL

このころに始まったのは、花火大会があります。
2011年8月15日「花火大会へ
この写真では、灯篭の流れている様子。
この花火大会は今年で90周年(と記憶しておりますが)となり、県内でも最古のものとなったそうです。
山の草とか花とか虫とか-花火大会の夜の最上橋
この夜には、最上橋はろうそくを欄干においてライトアップ(キャンドルアップ?)されます。
最上橋は、うえの鉄道貨物のはじまった水上から陸路へという変遷の次に、自動車の時代になった象徴のようでもありますね。

街並みのほうはというと、この商店は昭和11年にあったここの街の大火の後に立てられて、今も残る町屋風の商店建築です。
山の草とか花とか虫とか-古い商店

商店街は、その後に次々といろんな時代に建て替えを経て時代の混在する街並みになっています。
山の草とか花とか虫とか-花火大会の夜の商店街

昭和のおわり近くには、コンクリの塀なども多くなってきていたのですが、商店街の方は、これを昔のとおりに板の塀にしたいというので、これは何年前でしょう?
このときにも、どういう経緯だか板を張ったり塗ったりするお手伝いに行っていました。
山の草とか花とか虫とか-塀を直す

おはなしのなかで、「文化」とは耕すということ、なんだと説明がありました。
「文化」なんていうと、なんだかコンサートホールで立派なオーケストラを聴くとか、美術館で有名な絵をみるとかそういうことのように感じるのですが、もともとは耕すことなのだそうです。
そのために「文化的景観」というのは、例えば耕してきた経過で自然の山が棚田になったような、そういうことなんだよということでした。
ここの場合でいうと、やながあり漁労の風景があり、舟運があってそれにともなういろんな行事やしきたりやそういうのがあり、やがて鉄道、自動車。

こうやって、ぼくがこれまで紹介してきただけでもいろんな人がいろんなことをしておりますね。
「文化的景観」、耕すことがなんで風景なんだというのは、人が活動することで出来上がった風景という意味合いなのだそうです。
その活動の中には、お祭の奉納の踊りなどはかつては無形文化財というようなやりかたがあり、神社仏閣についても文化財としての指定などのやりかたがありました。

ここには、そういう時代の流れが地層のようにいろんなところに色濃く残されていて、今現在において、立派な建物が立ち並んで景観として素晴らしいという(いえ、いろんな時代が混在してるので、景色としてみるとあまりぱっとしなかったりするんです)ことだけでなくて、時代時代のヒトの生き物としての営みが読み取れるような場所だ、ということで今回の選定となった・・・のだそうです。

もちろん、ここではこれからもいろんな生活があり、産業の変化があり、営みも変わっていくことになるのでしょうけれど、そういう古いものを残しつつ、ほかの市街地で行われたような画一的な区画整理や、新しく街そのものを作ってしまうようなやり方でなくて変化をしていくように、そういうことなのだろうと思いました。