あらまあ。もう一昨日に書いたことになってしまいましたがばくだんのおじさんのいたところの隣の建物ではお雛様が飾られていて、春の今の時期にはみんなが見られるようになっていました。(入場料は100円でした)
山の草とか花とか虫とか-会場全景

山の草とか花とか虫とか-お雛様

お内裏様とお雛様の並んだ様子。
山の草とか花とか虫とか-お雛様2

また、庄内のほうでは昔からあるようなのですが、最近のうちの近所のちょっとした流行のつり雛だそうです。大根とかニンジンとか、蛸とかがぶらさがっていました。
山の草とか花とか虫とか-つりびな

なかなか興味深く懐かしいのは、こういうちいさな人形たちでした。
これはいぬ、ですね。
山の草とか花とか虫とか-いぬ

うちの集落にはかつて、子ども会で集落の家々のお雛様の飾られたのを「お雛様みせでけらっしゃ~い」とみんなでまわる行事がありました。
そこでおやつをもらったりして、それを決まった家でわけっこするのです。

今になって思うと、子どものいない家でもお雛様を飾る機会になるし、冬の間にじっと家にいたのを、お雛様を飾るのに家のなかや押入れを整理して季節のはじまりの行事だったのだという気がします。
またいつだったかに書いた、地蔵様遊ばせという行事とおなじく、各家庭をこうやって子どものうちからまわることで集落の家々の間取りだとかそういうものも知るようになるのですね。(これは消防団の活動などに、何十年か後に役に立つわけです)

そうそう、はなしを戻して。
ちいさなお雛様には子どもの姿や。
山の草とか花とか虫とか-こどもたち

お稲荷様もおりました。
山の草とか花とか虫とか-おいなりさま

このほかにも、うちで飾っていたのにはなぜだか太陽の塔の模型や、ウルトラマンや怪獣がありました。(ようするに人形の類はなんでも飾る)

うちの町などのやまあいの地域では、かつて繊維の生産が行われました。
これはアオソ(青苧、からむし、ちょま、とも)から作った麻の糸です。
アオソについては2011年9月13日「わたとアオソ 繊維をとるもの
山の草とか花とか虫とか-あおそ糸

糸の様子を大きく見てみましょう。
触るとはりがあって、ごわごわっとした風合いでまさに麻という感じです。
山の草とか花とか虫とか-あおそ糸アップ

山形ではかつて、最上川の舟運が盛んでした。山形の特産品というと、ベニバナですがベニバナは最上川沿いのひらけたところに多く、アオソはそういう開けた風の強いところでは幹同士がぶつかり合ってふしくれだってしまうから山の間の谷のところ(ぼくの住んでるようなところ)で栽培されました。

アオソの糸は、船に乗って最上川を下り、京都など関西へ出荷されたそうです。
そして都へ行った船が帰り道には、こういうお雛様や都会の文物を載せて帰ってきたのです。
ここの会場だけでなく、町内でひな祭りをしているのですが、その帰ってきた船でやってきたお雛様や人形はひな市というような市がたって(今年は3月29日におこなわれました)、そこに山の集落からお雛様を買いに行ったのですね。
でも、立派なのを買えるひとばかりではないから、一年にひとつ、お稲荷様だとか子どもの人形だとか、そういうちいさいのを求めたりしたのです。

都市と農村は、対比的な構図で描かれますが、ほんとうはこういうように、農村の産物があってそれが集まる場所が都市で、そこから文化が生まれ農村に還流するというひとつの流れがあったのでしょう。
あっちとこっち、ではなくわっかのようになっていたのですね。くるくる。

この建物は、以前にも一度星空とともに登場しましたが、自分で載せたのにすっかりいつの記事だか忘れてしまいました。
これは昔、山の奥にあった集落から移築をしたものです。
山の草とか花とか虫とか-資料館

これがありし日の姿です。
昭和53年にここに移築され、その前後にこの集落はみんな町へと引っ越しました。
この建物の持ち主だった家は、庄屋さんでアオソや絹の生産で財をなしたそうです。
昔はかやぶきだったのですが、移築のさいにかやぶきからトタンの屋根になりました。
かやぶきは、集落ごとのつながりのなかで出来るものなので、移築をしたらトタンになってしまうのも仕方ないかなあ、でももったいないなあ、なんて気もします。(かやぶきにしていたら維持できなくて、もう崩れていたかもしれません)
山の草とか花とか虫とか-昔のこの建物

ここは、歴史民俗資料館となっていて、今はあまり資料も残っていないようですが、ちょっとだけ民具のようなものもありました。
山の草とか花とか虫とか-なわない機
これはなわないの機械です。たしか足踏み式だったと思います。
右のふたつにわかれたところからわらを入れてやると、左の丸いところに縄が出来る・・・という。
この機械は、うちにも小屋に昔あって、小学生のころにまだ雪のある今の時期に手伝いをさせられたような記憶があります。(今はもうない)

昨日に、知り合いから「年をとるごとに、地元の歴史だとかそういうのが気になってきたのですよね」というようなことを聞きました。
「地元」というのは不思議なもので、これは「国」というのが共同の幻想であるのとおなじく、「町」もそのようなものですね。「わたしは○○町民(市民、国民)です」と名乗るものが集まっているのが町や市や国のことでしょうか。
幻想というのはヒトの頭のなかにあるもので、この幻想をつなげていくのが歴史というものだろうかと思うのでした。
(ついでにもひとつたとえると、お盆には先祖が帰ってきて・・・ということがありますが、ほんとうは帰ってくるのはその家出身の子孫です。その家にかかわるヒトが集まって、「うちのご先祖は」というものがたりをするから「イエ」が立ち上がるのでしょう)

さて、数日前から歯が痛くなりました。ばたばたとせわしなくしていたら腫れてきてしまいました。
こういうややこしいことを考えるときというのは、ぼくの場合はなにかしら体調のよろしくないときだったりします。町には歯医者さんがありますから助かります。日本全国がほんとうに田舎ばかりだったらお医者さんに行かれません。