あの日から一年が経ちました。
長かったような、短かったような一年でした。

いまだに避難しているかたも多く、山形にもたくさんのかたが来ております。
はじめて山形で過ごす冬の雪の多いのには驚いたとか。
現在はこの震災のはじまりの終わり、そういう時期でしょうか。

ぼくはあの日、出張に出ていて、揺れが収まってから急ぎ事務所へと戻りました。
それから、割れたガラスを片付けたり、窓をブルーシートを探してふさいだり、ろうそくをかき集めたりしていました。
電気はなかったので、テレビは見られず、おおきな津波が来ているとラジオでは聞きましたが、映像を見たのは数日の後のことでした。

翌日もまだ停電で、このときにはガソリンスタンドは電気がないから給油できず長い列になっていました。
山の草とか花とか虫とか

ふと時計を見ると、この前の日の14時46分で、針が止まっていて、このガソリンスタンドの時計って、こんなに正確にあわせてたのか~、なんてことに妙にびっくりしたりしました。
山の草とか花とか虫とか

このときまでは、ここから4月のはじめまで続く燃料不足と日常品の不足はまだ知らないでいました。

数日の後、うちから一番近くのコンビニでははじめは残っていたお菓子などもなにもなくなりました。
山の草とか花とか虫とか

スーパーもどこに行っても、なんにもなく、山形は直接の被害はあまりなかったのですが、物流が止まるということがこういうことなのだと実感しました。(いろんなものの配送センタが仙台なのでした)
普段は意識しないいろいろなものに支えられているのだということでしょうか。
一方、うちのちかくの高齢者世帯では、普段から買い物にいけないものだから、山菜の干したのや、漬物など冬に備えたものを食べているため、もともと不便なうちの集落は、物流が止まっても、みんなコメはあるし、おかずはあるし、4月になれば山菜がたくさん出るし、妙な安心感もあったのです。
山の草とか花とか虫とか

3月11日。
停電中から、ぼくが子どものころから知っている食堂はお店を開けていました。
(この写真は、その日ではなく、後日に行った際のものです。ここのラーメンは、あっさりしていてチャーシューでなく、ベーコンがトッピングしてあって実においしいんです。)
山の草とか花とか虫とか
停電したり、水が出なかったりとこういう時だから、食べにくる人がいるかもしれないから、いつものとおりにお店をやるんだよと言っていました。
エライコッチャと騒いでいるのでなく出来ることを、なるべくいつものとおりにここのとうちゃんはやっているのだと思いました。

だとすると、ぼくに、それも普段から出来ること?なんでしょう?

例えばぼく自身がなるべく健康でいること。でしょうか。
以前に聞いたのは、お医者さんや看護師さんの、一番だいじな仕事は自分の健康管理だなんてことを聞きました。激務だと聞きますが、だからこそ健康でないとやっていけないでしょうし、いざという時にお医者さんが怪我をしていたりしたら困ります。
そして、ぼくが不摂生をしてお医者さんの手をわずらわせたらこれはよろしくありません。

ええと、あとは、なるべくたくさんの方とフレンドリーでいること。とか。
ぼくの住む集落は、今は8軒の家がありますが、どの家の間取りも知っています。
あの家は、茶の間はここで、台所はここで、ここのばあちゃんは、ここが寝室、とか。
消防団にも入っていますが、職業としての消防署でわからない情報というのは、そういう間取りとか、ここの家のひとは、この時間には畑にいる、とかそういうことでしょう。
どうして間取りまで知っているのか、というと、子どものころに子ども会の行事で、地蔵様をおんぶして家々をめぐる行事、お雛様の飾ったのを見に行く行事などがあったからです。
また、前の記事で名刺交換会的なものに行ったと書きました、いろんな活動をしているかたの顔合わせのようなものでしたが、そういうのもフレンドリーであることに入るのかな。

また、ブログだって出来ることのうちに入るのかもしれません。(ぼくのは稚拙ですが)
山形は地震の揺れで壊れたものなどは少ないし、津波もきませんでした。
ところが、観光業などは、3月からの半年くらいは山形県内でもたいへんにひどい状況のようでした。
今も、まだ回復したとは言いがたいものがあります。
たとえば朝日連峰は、山は山のまま、雄大なままでおります。
温泉なども素敵なところがありますし、食べものは美味しいし、たくさんの人から読んでいただいているわけではないのですが、東北も山形も素敵じゃないか、とちょっとでもねえ。思っていただけたらとも思うのでした。(写真を撮るのも、文字を書くのもそもそも趣味だし)

国とはなにか、共同体とはなにか、ということも考えた一年でありました。
ぼくたちの住むここは、民主主義の国家であって、ということは、ぼくらがいるから国があるのであって、国のしたにぼくらがいる、というわけではないはずなのです。
日本とはなにか、という時に、「はい、これです」ととりだして指し示すことのできないものですから、そういうものはやすやす信用できるものではありません。
「国」というものに他責的である言説を見聞きしますが、そのようなかたは果たして独裁国家にでもお住まいになりたいのかしらと思ったりもするのでした。
国というと、ずいぶん巨大なしっかりしたもののようですが、その中身はつまるところ、ひとりひとりの普段の暮らしであり、農作業や山仕事やレジ打ちや旋盤の作業、ラーメンを作ること(たくさんあって書ききれませんね)、そういうものの積み重ねでしかなく、だからこそ、おかしな方向に行っているなと思ったら、それもひとりひとりが引き受けていくしかない(すでに普段から、ほとんどの方はそうしているから成り立っている)ことなのでありましょう。

というわけで、今日はいつものとおり、山の仲間(先輩ですね)と、山にいました。
雪洞の作り方を教わったり、逆に、この木はこう遊べるとか、こういうところが楽しいとか。
そういうところからはじまるなにかしら、そういうものがあるかもしれませんから。