先日、駅の写真を載せました。
そういえば、少し前に、じいさまの歴史研究会のお知り合いから、大正時代の絵はがきを見せてもらいました。
山形県左沢駅開通記念。
そのしたに、かなで、絵はがき。とあります。はがき、は今のかなでなく、むかしのかなでしょうか。
大正11年4月23日とありますから、西暦1922年。いまから90年ほどまえのものでしょうか。

そういえば、先日にここは終着駅と書きました。
絵はがきには、駅の開通記念と書いてあります。
実は、ここの駅から、白鷹町の荒砥というところまで、最上川沿いに列車に乗ったまま、南陽市の赤湯までくるりとつながる計画があったそうです。実際には建設されることなくここが終着駅となりました。
絵はがきと同じ風景を撮ってきました。
ちょっとお付き合いくださいね。
その当時の駅です。
10年ほど前に改築になりました。
今も木造駅舎が残っていたらと思うと残念です。

まだこの駅のあったころは、玄関を出たところに、ちいさな池があり、ちいさい金魚が数匹住んでいました。待合室は寒くって、黒い筒の石油ストーブがありました。
現在の駅。
田舎の路線というと、乗る人も少なく・・・と思いますが、意外と利用率は高いように思います。
年に数回しか乗る機会がありませんが、ずっと座ったままでいることは稀です。

この線路が、村山盆地から、最上川沿いの町のあるところにいたるトンネルです。
楯山トンネル、とあります。
蒸気機関車が通り、「きしやにちういすべし」とあります。

このトンネルは、今も人気の場所で、年に数回SLが通りますが、ここは一番人気の撮影スポットだと聞きます。SLが通る日には、線路にそってずらりと三脚が並びます。
現在のトンネル。おなじアングルのところには危ないのでいけませんでした。
「きしやにちうい」しましたから。

40代のなかごろの方に話を聞くと、蒸気機関車が普通に走っていたころを覚えているそうです。
ぼくは、山のほうに住んでいたため、この駅のあるところ自体が大都会に思っていました。
ぼくの小学生のころには、ここの駅ちかくまでこないと信号機を見ることが出来ませんでしたから。
うえのトンネルは、最上川沿いのちょっと山のなかを通っています。
その場所から、川までは数百m。
そこに、橋があります。
「桟摺橋ヨリ百目木を望ム」と書いてあります。
クルマでなく人が歩いています。

現在は、クルマの通れる橋になり、名前も「桜瀬橋」となりました。
写真の右の山の尾根の先あたりに駅があります。
左は川、奥に百目木(どめき)があります。

では、その百目木。
はがきには、「新百目木ノヤナ」とあります。ヤナはもちろん魚を採る仕掛けのことですね。
建物の見えるのは、茶屋だそうです。ここらで一番大きなお座敷の部屋があり、この絵はがきを見せてくれた方は、ここで祝言をあげたそうですよ。

百目木、または百目鬼と書いてどめき、という地名がいくつもあるようです。
いつだったか、由来を調べたことがありました。
どめき、とは、川の流れの段差などがあり、「どうどうめきめき」と川音の聞こえるところ、というのが一説として見つかりました。
おなじような構図のところを探しました。
現在は茶屋はもうありません。
写真右あたりの岸は、川の向こう岸ではなく、「中島」とも呼ばれる中州になっています。
子どものころに、たまにここを通るたびにこの島の木の上に家を作ったら楽しい、と思っていました。

茶屋もヤナももうありませんけれど、川底の岩盤に柱の跡が残っています。

うえの写真を撮ったあたりから南、川の上流を眺めると、右の奥から最上川が流れて来て、ここで東に大きく流れを変えていきます。

写真の左には、先ほどの中洲。
右の上流の奥には川岸に街並みがちょっとだけ写っています。
これは、その街並みの絵はがき。
「最上橋畔ヨリ町を望ム」とあります。

現在の最上橋と町。
最上橋の西側(写真右)には、船着場があり、最上川の舟運の中継地点の川港になっていたそうです。
線路が通ったのは、川が交通路であったころからの転換になったことでしょう。
橋のたもとには、その昔、藩の米蔵だった跡地に、養蚕の繭を使った製糸工場があり、その後、木材加工の工場がありました。

川には、南からの冬の低い太陽の陽射しの中にカモたちが浮かんでいました。

昔は、川遊びの屋形船が浮かんでいたそうです。きっとカモたちもいっしょに浮かんでいたのかな。
一番上の絵はがきの袋に描かれたカメラの向こう、ちいさな木の船と民家も描かれていました。
人の暮らしと町の風景はずいぶんと変わりましたが、川の流れに地形はあまり変わりません。
ああ、おんなじだ~、と昔の絵はがきを見て思います。
「最上川逆白波のたつまでにふぶくゆふべとなりにけるかも 斎藤 茂吉」
有名な短歌です。この短歌の舞台は、当時、斎藤茂吉の住んでいた大石田のあたりでしょうか?
逆白波、この歌のほかには聞いたことのない言葉ですが、一言で情景が目に浮かびます。
最上川は、雪がほんとに似合うと思います。
そういえば、少し前に、じいさまの歴史研究会のお知り合いから、大正時代の絵はがきを見せてもらいました。
山形県左沢駅開通記念。
そのしたに、かなで、絵はがき。とあります。はがき、は今のかなでなく、むかしのかなでしょうか。
大正11年4月23日とありますから、西暦1922年。いまから90年ほどまえのものでしょうか。

そういえば、先日にここは終着駅と書きました。
絵はがきには、駅の開通記念と書いてあります。
実は、ここの駅から、白鷹町の荒砥というところまで、最上川沿いに列車に乗ったまま、南陽市の赤湯までくるりとつながる計画があったそうです。実際には建設されることなくここが終着駅となりました。
絵はがきと同じ風景を撮ってきました。
ちょっとお付き合いくださいね。
その当時の駅です。
10年ほど前に改築になりました。
今も木造駅舎が残っていたらと思うと残念です。

まだこの駅のあったころは、玄関を出たところに、ちいさな池があり、ちいさい金魚が数匹住んでいました。待合室は寒くって、黒い筒の石油ストーブがありました。
現在の駅。
田舎の路線というと、乗る人も少なく・・・と思いますが、意外と利用率は高いように思います。
年に数回しか乗る機会がありませんが、ずっと座ったままでいることは稀です。

この線路が、村山盆地から、最上川沿いの町のあるところにいたるトンネルです。
楯山トンネル、とあります。
蒸気機関車が通り、「きしやにちういすべし」とあります。

このトンネルは、今も人気の場所で、年に数回SLが通りますが、ここは一番人気の撮影スポットだと聞きます。SLが通る日には、線路にそってずらりと三脚が並びます。
現在のトンネル。おなじアングルのところには危ないのでいけませんでした。
「きしやにちうい」しましたから。

40代のなかごろの方に話を聞くと、蒸気機関車が普通に走っていたころを覚えているそうです。
ぼくは、山のほうに住んでいたため、この駅のあるところ自体が大都会に思っていました。
ぼくの小学生のころには、ここの駅ちかくまでこないと信号機を見ることが出来ませんでしたから。
うえのトンネルは、最上川沿いのちょっと山のなかを通っています。
その場所から、川までは数百m。
そこに、橋があります。
「桟摺橋ヨリ百目木を望ム」と書いてあります。
クルマでなく人が歩いています。

現在は、クルマの通れる橋になり、名前も「桜瀬橋」となりました。
写真の右の山の尾根の先あたりに駅があります。
左は川、奥に百目木(どめき)があります。

では、その百目木。
はがきには、「新百目木ノヤナ」とあります。ヤナはもちろん魚を採る仕掛けのことですね。
建物の見えるのは、茶屋だそうです。ここらで一番大きなお座敷の部屋があり、この絵はがきを見せてくれた方は、ここで祝言をあげたそうですよ。

百目木、または百目鬼と書いてどめき、という地名がいくつもあるようです。
いつだったか、由来を調べたことがありました。
どめき、とは、川の流れの段差などがあり、「どうどうめきめき」と川音の聞こえるところ、というのが一説として見つかりました。
おなじような構図のところを探しました。
現在は茶屋はもうありません。
写真右あたりの岸は、川の向こう岸ではなく、「中島」とも呼ばれる中州になっています。
子どものころに、たまにここを通るたびにこの島の木の上に家を作ったら楽しい、と思っていました。

茶屋もヤナももうありませんけれど、川底の岩盤に柱の跡が残っています。

うえの写真を撮ったあたりから南、川の上流を眺めると、右の奥から最上川が流れて来て、ここで東に大きく流れを変えていきます。

写真の左には、先ほどの中洲。
右の上流の奥には川岸に街並みがちょっとだけ写っています。
これは、その街並みの絵はがき。
「最上橋畔ヨリ町を望ム」とあります。

現在の最上橋と町。
最上橋の西側(写真右)には、船着場があり、最上川の舟運の中継地点の川港になっていたそうです。
線路が通ったのは、川が交通路であったころからの転換になったことでしょう。
橋のたもとには、その昔、藩の米蔵だった跡地に、養蚕の繭を使った製糸工場があり、その後、木材加工の工場がありました。

川には、南からの冬の低い太陽の陽射しの中にカモたちが浮かんでいました。

昔は、川遊びの屋形船が浮かんでいたそうです。きっとカモたちもいっしょに浮かんでいたのかな。
一番上の絵はがきの袋に描かれたカメラの向こう、ちいさな木の船と民家も描かれていました。
人の暮らしと町の風景はずいぶんと変わりましたが、川の流れに地形はあまり変わりません。
ああ、おんなじだ~、と昔の絵はがきを見て思います。
「最上川逆白波のたつまでにふぶくゆふべとなりにけるかも 斎藤 茂吉」
有名な短歌です。この短歌の舞台は、当時、斎藤茂吉の住んでいた大石田のあたりでしょうか?
逆白波、この歌のほかには聞いたことのない言葉ですが、一言で情景が目に浮かびます。
最上川は、雪がほんとに似合うと思います。