ぼくのうちから数キロ離れたちいさな沢のむこうに、ちいさな集落がありました。
でも今はもう、ありません。
つい、数日前にもうだれもいなくなってしまいました。

まだ、夏に通ってくる人はいます。
でも、住む人はいません。
山の草とか花とか虫とか-道の向こう

ある春の日には、このお堂にも、供え物があげられて、お祭りの日があったのかもしれません。
しかし、ここを詣でる人もいなくなりました。
山の草とか花とか虫とか-お堂

集落の奥に、養蚕の共業センターというのがありました。
うちも同じですが、かつては、たくさんの桑畑があり、養蚕が盛んでした。
絹の需要が少なくなると、桑の畑は果樹園になりました。
今、果樹生産のさかんなのは、養蚕のための桑畑を果樹園にしたからだと聞きます。
山の草とか花とか虫とか-養蚕共業組合センター
養蚕にまつわる、オシラサマ信仰に、蚕影山神社、諏訪神社に関する年中行事などはぼくの集落にもちょっと面影があります。

それぞれの集落に、それぞれの暮らしと物語があります。
人の集まって住むところには、かならず物語があります。

火の見やぐらも、鳴らす人も、火の気配のすることももうありません。
山の草とか花とか虫とか-火の見やぐら
さようなら。

ぼくの住む集落には、8軒の家があります。
そのうち、お年寄りだけの家は4軒。残りの4軒のうち2軒は数年後には、そうなります。
うちの集落のもうひとつ奥の集落は、今年の2月になくなりました。

稲作のはじまったころ。
稲作は、ちいさな沢のおくを棚田、谷地田にして田んぼが作られていたといいます。
平野部での大規模なたんぼが作られるようになったのは、灌漑の技術が発展した後のことでしょうか。
この集落は、一体いつからあったものか。
地形に、水利を見る限り、ふらふらと山のなかを歩いていて、このようなちいさな沢の奥にちょっとたいらなところがあったならば、ぼくなら、住み良いぞ、ここ。って思います。
きっと、もっともっと昔のひともそのように思ったに違いないのです。

山奥のはじっこのちいさな集落は、新聞にも、テレビにも出ませんが、確実に消えつつあります。

山村は、田んぼも山もあり、食料に燃料、いろいろの生産を担ってきました。
農山村の生産余剰として、都市はあります。
人の集まりの成り立ちを見るに、都市の辺縁として農山村があるわけではありません。

では、生産の場所としての田舎はどこに行ったのか。
ええ、海外に行きました。
どこか遠くで、見えないところで食料に燃料が作られて運ばれてきます。
その食料は、ちいさな子どもが学校に行かずに、畑を耕して作っているものかもしれません。
日本列島は、水資源のほんとに恵まれたところだといいます。
せっかく作れる田んぼは、夏草に埋もれ、山に還っていきます。
一説には、水田の生産力は、小麦畑の3倍だそうです。しかし、水田を作れる水環境は稀有なものです。

さあ、思考しなくっちゃ。想像しなくっちゃ。そういう場面です。

ぼくはですね、なるべくたくさんの人が、兼業農家になったらよい。
そんなふうに思っていますよ。
ひとりのひとが、なるべくいろんなことをすること。それが、良いのじゃないかな。

ぼくらの町に、今年も雪が降ります。
山の草とか花とか虫とか-終着駅

この角度からの写真・・・。
山の草とか花とか虫とか-終着駅に列車が止まる
この駅は、ここから先にはどこにも行きません。
線路はここまでなので、この角度から列車が撮れます。列車を撮るのが好きな方が、時折遠くから来て、写真を撮っていたりします。
ちょっと珍しいでしょう?終着駅。

でも、線路は、ここでお終いなのでなく、ここから始まっています。