今日は、モンタナから来ている知り合いと話をしてきました。
今日は、ずっとみぞれの降る日でした。みぞれは英語でなに?と聞くと、「freezing rain」と言っていました。(英和辞書では、sleet となっていましたけど)。
モンタナは、山形よりもずっと寒いらしいです。10月から5月ころまでは、雪が降るといっていました。
降りかたが違うので、どちらが大変だとは言えないかな、ということだそうです。
素直に白状してしまえば、紅葉は好きではありませんでした。
いや、正確に書くのなら、嫌いだったと書くほうが良いかもしれません。
子どものころに、家の向かいの尾根の山は、黄色や赤の毛糸玉を散らしたような光景になり、父は、「ほら、ここに住んでて良かったろ?」と聞くのですけれど、うんとは言えませんでした。

明るい雰囲気の秋は、いろいろな収穫のある秋は10月の末ごろまでで、その後の紅葉、晩秋のころは、こんな日が多くなります。
(これは、うちの向かいの山ではありませんけどね)

輪郭の無い雲が、すぐそこ、というところまでたれこめて冷たい雨が降ります。
セミの声も無いし、秋の夜の虫の音も、鳥の声も無し。
チョウもバッタいないし、花も終わってしまいました。
おにごっこやかくれんぼをして、楽しく遊んでいたのに、気がついたら、みんな帰ってしまって置いていかれたような気持ちになります。
秋の心と書いて、愁う。とな。
コナラが、オレンジ色に染まっていても、

どのみち、まもなく散ってしまう。死に瀕するようにしか見えなかったのですね。

子どものころに、読んだ星の本では、「冬は晴天が続き、空気が乾燥して澄み、寒いけれど星を眺めるのに適していますよ」と書いてありました。
子どものころに読んだ本では、太平洋側はどうとか、日本海側はこうとか、そこまで詳しく書いてあるものではなく、その本は太平洋側の視点で書かれたものだったのかなと思います。
ぼくの子どものころの記憶では、冬はずっとずっと暗めの曇りか、雪か、吹雪でした。星は稀にしか見られません。
空気はじっとりと湿り、一度ぬれたながぐつに手袋に帽子は、ストーブにあてないとずっと濡れたままでした。
だけども、だんだんと大きくなるにつれ、雪遊びも楽しいものだなあと思うようにもなりました。
この写真のようだと、いかにも寒そうですが、歩いている分には暑いったらないです。

たま~に、青空。

晴れた夜には、雪は表情を変え、高く昇った月できらきらと光ります。

紅葉のころも、また良いものか。と思うようになったのは、ごく最近でしょうか。
ファインダを覗くと、このような景色が見えます。

一説によると、赤くなる葉は、植物が、「私はこんなに元気です」ということでもあるらしいです。
赤い色になるためには、結構な体力を使うと言います。(このへんは、まだ謎らしいけど)

葉を落とすのは、木々の冬支度なのでしょうね。
今日の昼ごろ、雨は降ったままでしたけれど、ちらちらっと陽が射しました。

子どものころは、ぼくは偏食気味で、ごはんばっかり食べていました。
山菜にきのこなどは、旬のころになると毎朝、毎晩、食卓に並ぶし、冬はずっと漬物。
不思議なもので、これがまた、30歳を越えたころから美味しくって仕方が無い。へへへ。
子どものころには、大人などくだらん。と思っていたけれど、年とともに好きなものが増えていきます。なので、紅葉は好きではありませんでした。
では
今日は、ずっとみぞれの降る日でした。みぞれは英語でなに?と聞くと、「freezing rain」と言っていました。(英和辞書では、sleet となっていましたけど)。
モンタナは、山形よりもずっと寒いらしいです。10月から5月ころまでは、雪が降るといっていました。
降りかたが違うので、どちらが大変だとは言えないかな、ということだそうです。
素直に白状してしまえば、紅葉は好きではありませんでした。
いや、正確に書くのなら、嫌いだったと書くほうが良いかもしれません。
子どものころに、家の向かいの尾根の山は、黄色や赤の毛糸玉を散らしたような光景になり、父は、「ほら、ここに住んでて良かったろ?」と聞くのですけれど、うんとは言えませんでした。

明るい雰囲気の秋は、いろいろな収穫のある秋は10月の末ごろまでで、その後の紅葉、晩秋のころは、こんな日が多くなります。
(これは、うちの向かいの山ではありませんけどね)

輪郭の無い雲が、すぐそこ、というところまでたれこめて冷たい雨が降ります。
セミの声も無いし、秋の夜の虫の音も、鳥の声も無し。
チョウもバッタいないし、花も終わってしまいました。
おにごっこやかくれんぼをして、楽しく遊んでいたのに、気がついたら、みんな帰ってしまって置いていかれたような気持ちになります。
秋の心と書いて、愁う。とな。
コナラが、オレンジ色に染まっていても、

どのみち、まもなく散ってしまう。死に瀕するようにしか見えなかったのですね。

子どものころに、読んだ星の本では、「冬は晴天が続き、空気が乾燥して澄み、寒いけれど星を眺めるのに適していますよ」と書いてありました。
子どものころに読んだ本では、太平洋側はどうとか、日本海側はこうとか、そこまで詳しく書いてあるものではなく、その本は太平洋側の視点で書かれたものだったのかなと思います。
ぼくの子どものころの記憶では、冬はずっとずっと暗めの曇りか、雪か、吹雪でした。星は稀にしか見られません。
空気はじっとりと湿り、一度ぬれたながぐつに手袋に帽子は、ストーブにあてないとずっと濡れたままでした。
だけども、だんだんと大きくなるにつれ、雪遊びも楽しいものだなあと思うようにもなりました。
この写真のようだと、いかにも寒そうですが、歩いている分には暑いったらないです。

たま~に、青空。

晴れた夜には、雪は表情を変え、高く昇った月できらきらと光ります。

紅葉のころも、また良いものか。と思うようになったのは、ごく最近でしょうか。
ファインダを覗くと、このような景色が見えます。

一説によると、赤くなる葉は、植物が、「私はこんなに元気です」ということでもあるらしいです。
赤い色になるためには、結構な体力を使うと言います。(このへんは、まだ謎らしいけど)

葉を落とすのは、木々の冬支度なのでしょうね。
今日の昼ごろ、雨は降ったままでしたけれど、ちらちらっと陽が射しました。

子どものころは、ぼくは偏食気味で、ごはんばっかり食べていました。
山菜にきのこなどは、旬のころになると毎朝、毎晩、食卓に並ぶし、冬はずっと漬物。
不思議なもので、これがまた、30歳を越えたころから美味しくって仕方が無い。へへへ。
子どものころには、大人などくだらん。と思っていたけれど、年とともに好きなものが増えていきます。なので、紅葉は好きではありませんでした。
では