昨日のつづきです。
山から戻った後は、ここの登山口の古寺鉱泉朝陽館(ちょうようかんと読みます)で、山じまいの行事でした。
この古寺鉱泉は、大朝日へ一番近いルートとして登るかたも多いのですが、うちの会では、この道を直したり手入れする活動をしています。
小屋の管理や、小屋に荷物を持っていくときにも、ここの鉱泉によって、「行ってまいります」と言います。
夜の古寺鉱泉。
鉱泉とは・・・いろいろ書くとよくわからなくなりますが、要するに、温泉ほどには暑くないけれど、いろんな成分の入っているぬるいお湯。という感じ?
ここでは、薪で温めておふろにしています。ほんのりと薪の燃える香りがします。

なお、ここは、山小屋ではなく、駐車場から数分のところ(昔は1時間ほど歩きました)で、泊まりにだけくるかたもいます。秘湯、隠れ家、という感じですよ。
山じまいの行事と言っても、みんなで集まってごはんを食べると。そういうことでした。
しかし、先輩たちのおはなしというのは、聞くと楽しいものです。

今年の山の様子や、来年にしないといけない道の補修の箇所、山で、こんなことがあった、ああだった、こうだった。と話題は非常にローカルです。それぞれの山域のそれぞれの会に、特有の登り方、山での過ごし方、身内でだけ通じる地名、そういうものがあって、それは、先輩たちから、このような会でもって口伝で伝えられていくのだ。そのように感じます。
ガイドブックにも、技術書にも載らないし、文字になってはもう動かなくなってしまう物語というのがあります。
ぼくは、まだぺーぺーの若造のひよこちゃんなので、その末席を汚す機会をいただいたというだけで身の縮む思いがします。
山岳会は、だんだんと会員が減り、会になっていても、仲良しの会みたいな、そういったところが増えていると聞きます。ぼくの入っている会は、高い山を攻略するために技術を研鑽するというわけではなく、この山域に集う会という感じです。会にもいろいろあります。

たしかに、個人で楽しむのも良いし、ぼくも、勝手にあちこち行っています。
山岳会なんていかにも体育会系的で嫌だ、ということなのか、それともなにかに所属すると、個人としての自分自身がなくなるということであるのか。それは各人次第とは思います。
所属することで、自分自身のチャンネルや視点がひとつ増えると思ってはどうかなあ、と考えたりします。(このはなしは、たいへんにくどくなるので、このへんでやめます)
この鉱泉も、会の光景の一部としてたしかに含まれている光景だなあ。そういうところですね。
囲炉裏は、いつの間にか薪ストーブになりました。

古寺鉱泉の昔の看板。

子どものころに、ここに泊まりに来たことを思い出しました。
あれからずいぶん経ったはずなのに、イメージは昔のままです。

柱がなんとなく直っていたり、廊下のつきあたりの板が変わっていたり、そういうところもあるのだけど、全体としてはそのままのイメージ。

あ、自家発電ができるようになって、それが動いている間は、電灯が点くようになりました。
でも、黒光りする廊下や、角の丸くなった階段はそのまま。

夜、70代半ばを過ぎた先輩とおはなしをしながら床につきました。
そのかたは、未だに小屋に通っているのですが、立ち止まって休憩というのをほとんどしません。
水を飲むために、一服清水と三沢清水で二度立ち止まります。
「どうやったら休憩をせずに登れるのでしょうか?」と聞くと、「休憩はしますよ。歩きながらします」ということでした。
山に行った回数を聞くだけ野暮なのですけれど、800回以上は、この山に行っているということでした。
ぼくは、今年は大朝日には4回しか行けませんでした。朝日連峰へはほかの山を含めて、日数としては12日間だけ。きっと、おなじところに800回登らないと、見えない光景があるのだ。どんな光景を見ているのかな。先輩というのは、実に得がたく、遥か遠くにいるように見えます。
来年は、いつものルートのほかに、大朝日から三面に抜け、ずっとふもとの西のほうまで行って、五味沢に、そこから角楢小屋のあたりを通ってまた大朝日へ歩こうかなと楽しそうでした。
朝は、自家発電の電気ではなく、ランプになっていました。

これが、昨日の最後に載せた写真です。

鉱泉の前は、古寺川が流れていて、朝の冷気があります。
春には、川沿いや近くの尾根に、オウレンにワサビ、イワウチワにコチャルメルソウ・・・そのほか、たくさん。咲きます。


ぼくは、この日は朝から仕事だったので、先に発ちました。
朝日山岳歌にも、「日ごとに励む、その暇に」とあります。励まなくては。

山じまいとなりましたが、冬は冬で、朝日連峰の風裏(東側)の山などで、夏は行きにくい登山道の無いヤブの山に行ったりします。冬山訓練、春山訓練にも行かなくっちゃ。
・・・読み返してみると、ずいぶんと汗臭い感じがしますけれど、まあ、それも良いか。
山から戻った後は、ここの登山口の古寺鉱泉朝陽館(ちょうようかんと読みます)で、山じまいの行事でした。
この古寺鉱泉は、大朝日へ一番近いルートとして登るかたも多いのですが、うちの会では、この道を直したり手入れする活動をしています。
小屋の管理や、小屋に荷物を持っていくときにも、ここの鉱泉によって、「行ってまいります」と言います。
夜の古寺鉱泉。
鉱泉とは・・・いろいろ書くとよくわからなくなりますが、要するに、温泉ほどには暑くないけれど、いろんな成分の入っているぬるいお湯。という感じ?
ここでは、薪で温めておふろにしています。ほんのりと薪の燃える香りがします。

なお、ここは、山小屋ではなく、駐車場から数分のところ(昔は1時間ほど歩きました)で、泊まりにだけくるかたもいます。秘湯、隠れ家、という感じですよ。
山じまいの行事と言っても、みんなで集まってごはんを食べると。そういうことでした。
しかし、先輩たちのおはなしというのは、聞くと楽しいものです。

今年の山の様子や、来年にしないといけない道の補修の箇所、山で、こんなことがあった、ああだった、こうだった。と話題は非常にローカルです。それぞれの山域のそれぞれの会に、特有の登り方、山での過ごし方、身内でだけ通じる地名、そういうものがあって、それは、先輩たちから、このような会でもって口伝で伝えられていくのだ。そのように感じます。
ガイドブックにも、技術書にも載らないし、文字になってはもう動かなくなってしまう物語というのがあります。
ぼくは、まだぺーぺーの若造のひよこちゃんなので、その末席を汚す機会をいただいたというだけで身の縮む思いがします。
山岳会は、だんだんと会員が減り、会になっていても、仲良しの会みたいな、そういったところが増えていると聞きます。ぼくの入っている会は、高い山を攻略するために技術を研鑽するというわけではなく、この山域に集う会という感じです。会にもいろいろあります。

たしかに、個人で楽しむのも良いし、ぼくも、勝手にあちこち行っています。
山岳会なんていかにも体育会系的で嫌だ、ということなのか、それともなにかに所属すると、個人としての自分自身がなくなるということであるのか。それは各人次第とは思います。
所属することで、自分自身のチャンネルや視点がひとつ増えると思ってはどうかなあ、と考えたりします。(このはなしは、たいへんにくどくなるので、このへんでやめます)
この鉱泉も、会の光景の一部としてたしかに含まれている光景だなあ。そういうところですね。
囲炉裏は、いつの間にか薪ストーブになりました。

古寺鉱泉の昔の看板。

子どものころに、ここに泊まりに来たことを思い出しました。
あれからずいぶん経ったはずなのに、イメージは昔のままです。

柱がなんとなく直っていたり、廊下のつきあたりの板が変わっていたり、そういうところもあるのだけど、全体としてはそのままのイメージ。

あ、自家発電ができるようになって、それが動いている間は、電灯が点くようになりました。
でも、黒光りする廊下や、角の丸くなった階段はそのまま。

夜、70代半ばを過ぎた先輩とおはなしをしながら床につきました。
そのかたは、未だに小屋に通っているのですが、立ち止まって休憩というのをほとんどしません。
水を飲むために、一服清水と三沢清水で二度立ち止まります。
「どうやったら休憩をせずに登れるのでしょうか?」と聞くと、「休憩はしますよ。歩きながらします」ということでした。
山に行った回数を聞くだけ野暮なのですけれど、800回以上は、この山に行っているということでした。
ぼくは、今年は大朝日には4回しか行けませんでした。朝日連峰へはほかの山を含めて、日数としては12日間だけ。きっと、おなじところに800回登らないと、見えない光景があるのだ。どんな光景を見ているのかな。先輩というのは、実に得がたく、遥か遠くにいるように見えます。
来年は、いつものルートのほかに、大朝日から三面に抜け、ずっとふもとの西のほうまで行って、五味沢に、そこから角楢小屋のあたりを通ってまた大朝日へ歩こうかなと楽しそうでした。
朝は、自家発電の電気ではなく、ランプになっていました。

これが、昨日の最後に載せた写真です。

鉱泉の前は、古寺川が流れていて、朝の冷気があります。
春には、川沿いや近くの尾根に、オウレンにワサビ、イワウチワにコチャルメルソウ・・・そのほか、たくさん。咲きます。


ぼくは、この日は朝から仕事だったので、先に発ちました。
朝日山岳歌にも、「日ごとに励む、その暇に」とあります。励まなくては。

山じまいとなりましたが、冬は冬で、朝日連峰の風裏(東側)の山などで、夏は行きにくい登山道の無いヤブの山に行ったりします。冬山訓練、春山訓練にも行かなくっちゃ。
・・・読み返してみると、ずいぶんと汗臭い感じがしますけれど、まあ、それも良いか。