ヤブツルアズキの収穫に夢中になります。
道端に、あちこちに生えているものだから、ヤブにちょっと入っていてはごそごそと収穫するのでした。
これは、まだ熟していないさやたち。
このくらいのが、まだまだあるのできっとたくさん採れるに違いないと期待が膨らみます。
もう、気分は狩猟採集民族です。

収穫が遅れたものは、このようにカラスノエンドウのはじけたさやと同じような感じで、ねじれているのでした。さやが、熟して互いにねじれてタネ(この場合はマメかなあ)を遠くに飛ばすんですね。
植えたわけでもないのに、こうなっているとなんだか、しまった~という感じがあります。

収穫は、さやごととってきて集めていました。

マメー!

うえの写真だと、大きさの比較になりません。
手に乗せるとこのような大きさで、ごまをふた周り大きくした感じです。

ええと、ついでに、うえの写真で、マメ入れになっているアルミの箱。
これは、あるときは、小物入れ、あるときは、弁当箱。あるときは飯ごう、またはフライパンになるという、トランギアのメスティンというものだそうですよ。

ヤブツルアズキを集めていると、なんだか不思議な気持ちになってきます。やはり狩猟採集民族の末裔としての血が騒ぐのでしょうか~。わくわく。
十年ほど前のこと。就職活動中に、健康診断書が必要だ、というのでお医者様を回ったことがあります。そこで、ぼくは実は色弱なのだ、ということが判明しました。
(小学生のころにも、検査に引っかかっていたのだけど忘れていた)
水玉模様で書かれた絵をなぞるのですが、ううむ?と悩んでいるとお医者様から、ほら見えないでしょ。といわれます。ああ、こんどはなぞれた!と思ったら、通常は、そちらはなぞりません。と。
普段は、なんの影響もないものだから、すっかり気にしていませんでしたが、この検査結果のため、ある種の会社は受ける資格がないとかなんとか。
まあ、ほかの職にありついているから、なんということもありませんけど。
ははあ、ぼくの目は、ほかの人とはちがうふうに世界を見ているのだ。と、しばらく悩んだ記憶があります。(男性の遺伝子に乗っている形質らしく、たしかに、いとこはほとんど色がわからないといいます。また叔父にもひとりおりますので、ぼくのも遺伝でしょうね。かなりの割合でいるそうです。)
しかしながら、この色弱というのを調べてみるとなんとも興味深いことが書いてある書物もありました。ずいぶん昔なのですっかり詳細は忘れましたけれど、なんと、採集の生活では有利に働いた可能性がある。とかなんとか。(眉唾で読んでください)
たとえば、川のなかは、こんなふうに緑色だったりするのですが、このようなシチュエーションで、獲物を見つけやすいのでは?という仮説なのです。(二匹写っています)

また、木の実など、緑色に埋もれたような状況でいち早く発見できるとかなんとか。
たしかに、フィルタがかかったようなものだとすると、そういうこともあるのかどうなのか?
(これは、ほかの人の眼で世界を見たことがないのでわかりません)
さて、事例がすっかりかわりますよ。
これは、数年前までどっぷりのめりこんでいたフライフィッシングのフライです。
水生昆虫の成虫を模したものが多いのです。

(箱のなかにいれてあって、ちょっと毛がまがったりしています)
これは、トビケラのパターン。エルクヘアカディスの省略したりしたパターンです。
大抵、いきあたりばったりで作ってしまうので、それぞればらばらです。

ウサギの毛や、鳥の羽、シカの毛(これはエルクの毛)を細い糸で巻きとめてつくります。
見本というか、テンプレートみたいなものはあるのですけどね、気分と手の赴くままに作るのがよろしいです。

不思議なのは、自分でなんとなくカゲロウに似たものができた!とか、バランスが良いとか、そういうものに限って釣れないんですね~。(私見です)
一枚上の写真は、コンパラダンもどき。
この下の写真は、それの手抜きというかテキトウに巻いたもの。

実際に、川で使ってみると、こちらのほうが釣れたりします。
どうも、ヒトの見ている虫らしさ、と、魚の見ている虫らしさには、おおきなへだたりがあります。
ヤマメのおなかのなかを見てみると、葉っぱのかけらとか、小枝とかそんなものが入っていたりします。えさのつもりで食べているのかどうなのかわかりませんけどね。
たとえば、色弱の検査でひっかからない方だって、ほかのひととおなじように見えているのかどうなのか。なんてのは、確認のしようがありません。だれもが、自分の感覚でしかものごとは捉えられません。(どの感覚も学習により変化していくものだとも思います。いままで判らなかった差が、経験によ判るようになったりしますから。)
ぼくは、色弱なんだそうですよ。というと、「じゃあ、消防車は何色?」と聞かれることがあるのですが、いやいや、色の名前というのは、事後的に学習するものであって、これが「消防車は赤」だよと、幼少のころから教えられているのだから、それは「赤」なんですなあ。
(※ぼくは、程度が軽いらしいので、そうでない場合はよくわかりません。あしからず)
ものの見方などは、そんなものであって、どうしても主観の檻からは抜けられない。そういうことを思うのでした。一つしかない客観的真実など、そもそもないのだ、なんてね。

昨夕は、白んだブルーのなかに、まだ夕焼けと呼ぶには早いほのかなオレンジ色に染まる、夏の名残のような雲を見ました。
夕焼けの色は、無段階に変化して、名のつけようがない。
でも、日暮れは、なんとなく淋しいような、懐かしいような、そのような気分になるのは誰しもおなじかしらん?と思うのですよ。
Plant×50
ヤブツルアズキ・・・1種×50=50円
蟲×50
虫もどきたち・・・4種×50=200円
9月1日から累計2,350円 4~8月:18,150円
道端に、あちこちに生えているものだから、ヤブにちょっと入っていてはごそごそと収穫するのでした。
これは、まだ熟していないさやたち。
このくらいのが、まだまだあるのできっとたくさん採れるに違いないと期待が膨らみます。
もう、気分は狩猟採集民族です。

収穫が遅れたものは、このようにカラスノエンドウのはじけたさやと同じような感じで、ねじれているのでした。さやが、熟して互いにねじれてタネ(この場合はマメかなあ)を遠くに飛ばすんですね。
植えたわけでもないのに、こうなっているとなんだか、しまった~という感じがあります。

収穫は、さやごととってきて集めていました。

マメー!

うえの写真だと、大きさの比較になりません。
手に乗せるとこのような大きさで、ごまをふた周り大きくした感じです。

ええと、ついでに、うえの写真で、マメ入れになっているアルミの箱。
これは、あるときは、小物入れ、あるときは、弁当箱。あるときは飯ごう、またはフライパンになるという、トランギアのメスティンというものだそうですよ。

ヤブツルアズキを集めていると、なんだか不思議な気持ちになってきます。やはり狩猟採集民族の末裔としての血が騒ぐのでしょうか~。わくわく。
十年ほど前のこと。就職活動中に、健康診断書が必要だ、というのでお医者様を回ったことがあります。そこで、ぼくは実は色弱なのだ、ということが判明しました。
(小学生のころにも、検査に引っかかっていたのだけど忘れていた)
水玉模様で書かれた絵をなぞるのですが、ううむ?と悩んでいるとお医者様から、ほら見えないでしょ。といわれます。ああ、こんどはなぞれた!と思ったら、通常は、そちらはなぞりません。と。
普段は、なんの影響もないものだから、すっかり気にしていませんでしたが、この検査結果のため、ある種の会社は受ける資格がないとかなんとか。
まあ、ほかの職にありついているから、なんということもありませんけど。
ははあ、ぼくの目は、ほかの人とはちがうふうに世界を見ているのだ。と、しばらく悩んだ記憶があります。(男性の遺伝子に乗っている形質らしく、たしかに、いとこはほとんど色がわからないといいます。また叔父にもひとりおりますので、ぼくのも遺伝でしょうね。かなりの割合でいるそうです。)
しかしながら、この色弱というのを調べてみるとなんとも興味深いことが書いてある書物もありました。ずいぶん昔なのですっかり詳細は忘れましたけれど、なんと、採集の生活では有利に働いた可能性がある。とかなんとか。(眉唾で読んでください)
たとえば、川のなかは、こんなふうに緑色だったりするのですが、このようなシチュエーションで、獲物を見つけやすいのでは?という仮説なのです。(二匹写っています)

また、木の実など、緑色に埋もれたような状況でいち早く発見できるとかなんとか。
たしかに、フィルタがかかったようなものだとすると、そういうこともあるのかどうなのか?
(これは、ほかの人の眼で世界を見たことがないのでわかりません)
さて、事例がすっかりかわりますよ。
これは、数年前までどっぷりのめりこんでいたフライフィッシングのフライです。
水生昆虫の成虫を模したものが多いのです。

(箱のなかにいれてあって、ちょっと毛がまがったりしています)
これは、トビケラのパターン。エルクヘアカディスの省略したりしたパターンです。
大抵、いきあたりばったりで作ってしまうので、それぞればらばらです。

ウサギの毛や、鳥の羽、シカの毛(これはエルクの毛)を細い糸で巻きとめてつくります。
見本というか、テンプレートみたいなものはあるのですけどね、気分と手の赴くままに作るのがよろしいです。

不思議なのは、自分でなんとなくカゲロウに似たものができた!とか、バランスが良いとか、そういうものに限って釣れないんですね~。(私見です)
一枚上の写真は、コンパラダンもどき。
この下の写真は、それの手抜きというかテキトウに巻いたもの。

実際に、川で使ってみると、こちらのほうが釣れたりします。
どうも、ヒトの見ている虫らしさ、と、魚の見ている虫らしさには、おおきなへだたりがあります。
ヤマメのおなかのなかを見てみると、葉っぱのかけらとか、小枝とかそんなものが入っていたりします。えさのつもりで食べているのかどうなのかわかりませんけどね。
たとえば、色弱の検査でひっかからない方だって、ほかのひととおなじように見えているのかどうなのか。なんてのは、確認のしようがありません。だれもが、自分の感覚でしかものごとは捉えられません。(どの感覚も学習により変化していくものだとも思います。いままで判らなかった差が、経験によ判るようになったりしますから。)
ぼくは、色弱なんだそうですよ。というと、「じゃあ、消防車は何色?」と聞かれることがあるのですが、いやいや、色の名前というのは、事後的に学習するものであって、これが「消防車は赤」だよと、幼少のころから教えられているのだから、それは「赤」なんですなあ。
(※ぼくは、程度が軽いらしいので、そうでない場合はよくわかりません。あしからず)
ものの見方などは、そんなものであって、どうしても主観の檻からは抜けられない。そういうことを思うのでした。一つしかない客観的真実など、そもそもないのだ、なんてね。

昨夕は、白んだブルーのなかに、まだ夕焼けと呼ぶには早いほのかなオレンジ色に染まる、夏の名残のような雲を見ました。
夕焼けの色は、無段階に変化して、名のつけようがない。
でも、日暮れは、なんとなく淋しいような、懐かしいような、そのような気分になるのは誰しもおなじかしらん?と思うのですよ。
Plant×50
ヤブツルアズキ・・・1種×50=50円
蟲×50
虫もどきたち・・・4種×50=200円
9月1日から累計2,350円 4~8月:18,150円