4月からはじめたclimb×100(Plant、蟲の50もおなじ)が5月から8月までのぶんたまっていました。
ようやく銀行と納付するところに行きました。
climb×100とはなんじゃ?というかたは、こちら
4月2日「Climb×100 裏山から」
はい、いつも記事の下に書いてある数字たちです。
15,100円。
5月~8月までの分を足したら、こんな金額になっていました。

4月は納入済みでしたので、ええと?足し算が苦手です。
前回に納付した3,050円のうち、3,000円は、ひょんなことでいただいたお金でした。
実は、8月など、蟲×50などと追加したものですから、金額の進むのが早くなったのですが、じつはこれまたひょんなことでいただいたお金があったのでした。
なぜか、写真のコンテストみたいなもので入賞して、いらないといったのだけど賞金を1万円いただきました。
今回は、それも入れて納入。
ええと、足し算ができましたよ。
合計18,150円。そのうち、13,000円は、うっかりいただいたお金なので、自分で出したのは5,050円。
領収書もいちおうもらいました。
前回は、赤十字にしたのですが、今回は社会福祉協議会というところ。
ボランティアにいくと、ボランティアセンターというところで、お仕事をいただくのですが、そこを運営しているのが社会福祉協議会という組織なのでした。

はてはて。このお金たちはどこに行って、どんなふうになるのかしら?
そうでした。
昨日、お金についてのはなしを、と書いたのです。
こないだの、日曜。知り合いと夕食を食べに、居酒屋に行きました。
ぼくは、お酒はまったく飲まないもので、いつも「とりあえず、ごはん!」です。
このクサカゲロウは、その待ち合わせをすっかり忘れて夢中になってしまった虫です。
おかげで遅刻しました。

う~ん、儚い感じでほんとうに綺麗でした。
それで、いろんなはなしをしたのですが、知り合いの中に、経済学部出身だという、ビザールでストレインジなかたがおり、彼とね、「うちらはほんとイレギュラーだなあ」と意気投合したのです。
彼とは、お金とはなんだろうね。という話をしました。
まず、お金は価値が無い。ということから。
またオカシナことをと言われそうですけれど、たしかにお金は使い道がないのですね。
なにかと交換できるという以外には。
交換しかできないんですね。
(この話は、「経済ってそういうことだったのか会議」(日経新聞社)などにも書いてあります)
(5円玉は、ツメを削るのに使えますけれどね。一万円札は、メモ紙にするには模様が濃すぎるし、はなをかんだり、おしりをふくには硬すぎる。しかも、水も吸いにくいから、コーヒーをこぼしてもふけません)
次に、ではなぜ価値があると思うのか、ということ。
その彼とは、やはり「お金」とは共同幻想だろうということになりました。
上で、価値がないと書きましたけれど、実際に(社会的に)は、とても価値がある、というか、価値そのもののように扱われております。
無価値なものに、価値があると思い込んでいるのは、ヒトの社会だからですねえ。
まさに、ねこにこばん。
みんなが、欲しい、欲しいと思う故に、価値があるのだなあ、なんてね。
(このことを考えると、草やら、ちょうちょやらを眺めていればいとおかし、なんていうのは、究極的にアナーキーな行為ですなあ。山に登って、風と雲を愛でる。なんてのもパンクでございますか)
共同幻想というのは、みなで支えないとすっかりなくなってしまいます。
みなで支えるためには、なにを支えるのか、という眼が必要なのですが、うっかりもすると、「お金」そのものに、しっかりと価値があるのだと思い込むかたには、それが幻想であることがわかりませんから、それでは支えられないのかもしれません。
お金、お金といいますけど、昔のお金は貝などであったと良く聞きます。
これは、サワグルミの実です。
価値があることにしましょ、ということなので、たとえば、この食べるに適さないサワグルミでもよいのですねえ。あとトチノミとかね。

そのような、世であったならば。
「やや、あいつは、トチノミばかり集めやがって、なんとトチノミ欲の亡者であるか」
などという会話も聞かれたことでしょう。
ぼくも、お金のために毎日、仕事に出かけていきます。
無価値なのになあ。とも思うのですが、ぼくは原理的であるよりその場あわせで行くほうが性にあう、とも思うので、現在実際に通用する通貨を入手するため、仕事をしたふりなどしております。
お店にいって、「オレは客だぞ!」といばるかたがいるかも知れませんけれど、支払う先のかた(お店のひととかね)が、お金がほしいな、と思っていただかないと、お金など使えません。
実際には、なんの価値もない通貨を、実際に使えるようであるためには、みんなで欲しいな、とおもっていなくってはね。
つまるところ、山の幸、海の幸を流通させるためにあるのが、お金ですね。
お金がないと、山の人は、海の幸を食べられません。
無価値だろうとわかっておっても、価値があるようにみんなで振る舞いをするのが、大人なのかもしれません。なにせ幻想ですから。
とね。こんなことをしばらく、話しておりました。
このあと、居酒屋さんに、ごちそうさまと言って帰りました。
居酒屋さんが、ここでは日本円は通用しねえぜ。と言わなくって良かったです。
戯言におつきあいいただきましてありがとうございます。たまにこういうことを書きます。
Plant×50
サワグルミ・・・1種×50=50円
9月1日から累計1,050円 4~8月:18,150円
ようやく銀行と納付するところに行きました。
climb×100とはなんじゃ?というかたは、こちら
4月2日「Climb×100 裏山から」
はい、いつも記事の下に書いてある数字たちです。
15,100円。
5月~8月までの分を足したら、こんな金額になっていました。

4月は納入済みでしたので、ええと?足し算が苦手です。
前回に納付した3,050円のうち、3,000円は、ひょんなことでいただいたお金でした。
実は、8月など、蟲×50などと追加したものですから、金額の進むのが早くなったのですが、じつはこれまたひょんなことでいただいたお金があったのでした。
なぜか、写真のコンテストみたいなもので入賞して、いらないといったのだけど賞金を1万円いただきました。
今回は、それも入れて納入。
ええと、足し算ができましたよ。
合計18,150円。そのうち、13,000円は、うっかりいただいたお金なので、自分で出したのは5,050円。
領収書もいちおうもらいました。
前回は、赤十字にしたのですが、今回は社会福祉協議会というところ。
ボランティアにいくと、ボランティアセンターというところで、お仕事をいただくのですが、そこを運営しているのが社会福祉協議会という組織なのでした。

はてはて。このお金たちはどこに行って、どんなふうになるのかしら?
そうでした。
昨日、お金についてのはなしを、と書いたのです。
こないだの、日曜。知り合いと夕食を食べに、居酒屋に行きました。
ぼくは、お酒はまったく飲まないもので、いつも「とりあえず、ごはん!」です。
このクサカゲロウは、その待ち合わせをすっかり忘れて夢中になってしまった虫です。
おかげで遅刻しました。

う~ん、儚い感じでほんとうに綺麗でした。
それで、いろんなはなしをしたのですが、知り合いの中に、経済学部出身だという、ビザールでストレインジなかたがおり、彼とね、「うちらはほんとイレギュラーだなあ」と意気投合したのです。
彼とは、お金とはなんだろうね。という話をしました。
まず、お金は価値が無い。ということから。
またオカシナことをと言われそうですけれど、たしかにお金は使い道がないのですね。
なにかと交換できるという以外には。
交換しかできないんですね。
(この話は、「経済ってそういうことだったのか会議」(日経新聞社)などにも書いてあります)
(5円玉は、ツメを削るのに使えますけれどね。一万円札は、メモ紙にするには模様が濃すぎるし、はなをかんだり、おしりをふくには硬すぎる。しかも、水も吸いにくいから、コーヒーをこぼしてもふけません)
次に、ではなぜ価値があると思うのか、ということ。
その彼とは、やはり「お金」とは共同幻想だろうということになりました。
上で、価値がないと書きましたけれど、実際に(社会的に)は、とても価値がある、というか、価値そのもののように扱われております。
無価値なものに、価値があると思い込んでいるのは、ヒトの社会だからですねえ。
まさに、ねこにこばん。
みんなが、欲しい、欲しいと思う故に、価値があるのだなあ、なんてね。
(このことを考えると、草やら、ちょうちょやらを眺めていればいとおかし、なんていうのは、究極的にアナーキーな行為ですなあ。山に登って、風と雲を愛でる。なんてのもパンクでございますか)
共同幻想というのは、みなで支えないとすっかりなくなってしまいます。
みなで支えるためには、なにを支えるのか、という眼が必要なのですが、うっかりもすると、「お金」そのものに、しっかりと価値があるのだと思い込むかたには、それが幻想であることがわかりませんから、それでは支えられないのかもしれません。
お金、お金といいますけど、昔のお金は貝などであったと良く聞きます。
これは、サワグルミの実です。
価値があることにしましょ、ということなので、たとえば、この食べるに適さないサワグルミでもよいのですねえ。あとトチノミとかね。

そのような、世であったならば。
「やや、あいつは、トチノミばかり集めやがって、なんとトチノミ欲の亡者であるか」
などという会話も聞かれたことでしょう。
ぼくも、お金のために毎日、仕事に出かけていきます。
無価値なのになあ。とも思うのですが、ぼくは原理的であるよりその場あわせで行くほうが性にあう、とも思うので、現在実際に通用する通貨を入手するため、仕事をしたふりなどしております。
お店にいって、「オレは客だぞ!」といばるかたがいるかも知れませんけれど、支払う先のかた(お店のひととかね)が、お金がほしいな、と思っていただかないと、お金など使えません。
実際には、なんの価値もない通貨を、実際に使えるようであるためには、みんなで欲しいな、とおもっていなくってはね。
つまるところ、山の幸、海の幸を流通させるためにあるのが、お金ですね。
お金がないと、山の人は、海の幸を食べられません。
無価値だろうとわかっておっても、価値があるようにみんなで振る舞いをするのが、大人なのかもしれません。なにせ幻想ですから。
とね。こんなことをしばらく、話しておりました。
このあと、居酒屋さんに、ごちそうさまと言って帰りました。
居酒屋さんが、ここでは日本円は通用しねえぜ。と言わなくって良かったです。
戯言におつきあいいただきましてありがとうございます。たまにこういうことを書きます。
Plant×50
サワグルミ・・・1種×50=50円
9月1日から累計1,050円 4~8月:18,150円