・・・ここ数日、サクラについて、神社について調べ物をしていたら、たいへんどうしょうもない文章を読んでしまった。
ウィキペディアでなく、パロディ版のほう。
ウィキペディアも時折へんなことが書いてあるけど、パロディ版のほうは、へんなことしか書いていない。しかし、若干の知的さと明晰さ、思考をひっくり返す魅力がある。ような気がする。
どのサイトのことなのかは想像におまかせする。
自然観察とかはなんにも関係のないはなし。
トイレには最近、美人な女神様がいるらしい。もちろん素敵な歌だなあ。
ついつい、いつの間にか鼻歌になりますよね、あのメロディ。
で、そのサイトではトイレには神さまがちゃんといますよ。だって。
紙様。
くるくる回すたびにご利益がある。まわし過ぎるとご利益がなくなる。適量、適量。

きちんと神棚もある。いや、紙棚。

ううむ、昨日のタチイヌノフグリの記事以降、どうにもこんな思考になってしまっている。
どうしたことか。
そういえば、子どものころに、なんにでも神さまがいるからねって教えられた。
たとえば、便所の神様は、左手でうんち、右手でおしっこを受け止める。(逆だったかな?)
なので、つばを便器にぺっと吐くと、神様の顔にかかることになって大変失礼。
うん、そういうことをすると、ばちがあたるという戒めだろうな。
汚いところだからなんでも捨ててよいとか、どうでもよいというわけではない。
うんちもおしっこも、そのために便所があるんだから失礼ではない。でもつばはだめよ。
また、堰におしっこをしてはいけない。堰にも神様がいると言われた。
堰におしっこをすると、ち○○んが曲がると・・・。
堰はとても大事なものなので、当然おしっこをしてはいけないけど、こんな風に教えられるとまだ違うかなって気がする。堰にいるのは竜神様かな?水神様?
道徳教育なんていうと、堅苦しいけど、日本に昔からいる神様はなんだか身近ですぐに怒ったりする。
マナーをこんな風に教えてたんだろうなって思う。
いまだに、ごはんの前と後に、(たくさん人がいるとこっそり)両手をあわせてなむなむとやってしまう。まあ、癖みたいなもの。
よくテレビなどで、お百姓さんに感謝してたべなさいって言ってるシーンがあるけども、うちの場合はコメは自分の家でつくっているから、田んぼや山や川にいただきます、になるのかな?
ぼくは特に何教の信者、とかではない。もちろんうちの集落全体が檀家になってるお寺の信者ってことになるのかな?そこの和尚さんの話を聞くのは好きだけど、宗教心ってこととは別な気がする。
最近は、宗教心でどうってよりも、その背景にある民俗的な部分に興味がわいてきた。
神社に行けば、いろんな神様を拝み、お寺に行けば仏様を拝む。朝日やら夕日やらもなむなむ。
うちの集落には、祠とか神社とかたくさんある。多けりゃ多いほど良いって感じである。
・・・やはり便所の紙様も、ありがたや~ってのが良いようだ。昔のドラマかなにかで、トイレットペーパーは一尺まで!っていうようなのを見た記憶があるけど、そんなことをしなくっても、ありがたいなあ、って思えば無駄遣いしないよね。
便所にはいっていれば、たいていの場合はだれも見てないから、紙は使い放題であるけど、紙様が見てござると思えば大事にも使うというものだろう。もったいないし、ありがたい。
エコやリサイクルって言葉を知る前からきちんと大事に使ってたはずなのですな。
そうそう、サクラね。サクラも神社と関係あるようなので調べてる途中。
例年だと、そろそろうちのちかくでも咲く。たいてい、連休前くらいが満開。
今朝は、神社(?)の境内の掃除で集落の作業の日。丁寧に掃除をしに行って参ります。
あぁ、遅れる。
ウィキペディアでなく、パロディ版のほう。
ウィキペディアも時折へんなことが書いてあるけど、パロディ版のほうは、へんなことしか書いていない。しかし、若干の知的さと明晰さ、思考をひっくり返す魅力がある。ような気がする。
どのサイトのことなのかは想像におまかせする。
自然観察とかはなんにも関係のないはなし。
トイレには最近、美人な女神様がいるらしい。もちろん素敵な歌だなあ。
ついつい、いつの間にか鼻歌になりますよね、あのメロディ。
で、そのサイトではトイレには神さまがちゃんといますよ。だって。
紙様。
くるくる回すたびにご利益がある。まわし過ぎるとご利益がなくなる。適量、適量。

きちんと神棚もある。いや、紙棚。

ううむ、昨日のタチイヌノフグリの記事以降、どうにもこんな思考になってしまっている。
どうしたことか。
そういえば、子どものころに、なんにでも神さまがいるからねって教えられた。
たとえば、便所の神様は、左手でうんち、右手でおしっこを受け止める。(逆だったかな?)
なので、つばを便器にぺっと吐くと、神様の顔にかかることになって大変失礼。
うん、そういうことをすると、ばちがあたるという戒めだろうな。
汚いところだからなんでも捨ててよいとか、どうでもよいというわけではない。
うんちもおしっこも、そのために便所があるんだから失礼ではない。でもつばはだめよ。
また、堰におしっこをしてはいけない。堰にも神様がいると言われた。
堰におしっこをすると、ち○○んが曲がると・・・。
堰はとても大事なものなので、当然おしっこをしてはいけないけど、こんな風に教えられるとまだ違うかなって気がする。堰にいるのは竜神様かな?水神様?
道徳教育なんていうと、堅苦しいけど、日本に昔からいる神様はなんだか身近ですぐに怒ったりする。
マナーをこんな風に教えてたんだろうなって思う。
いまだに、ごはんの前と後に、(たくさん人がいるとこっそり)両手をあわせてなむなむとやってしまう。まあ、癖みたいなもの。
よくテレビなどで、お百姓さんに感謝してたべなさいって言ってるシーンがあるけども、うちの場合はコメは自分の家でつくっているから、田んぼや山や川にいただきます、になるのかな?
ぼくは特に何教の信者、とかではない。もちろんうちの集落全体が檀家になってるお寺の信者ってことになるのかな?そこの和尚さんの話を聞くのは好きだけど、宗教心ってこととは別な気がする。
最近は、宗教心でどうってよりも、その背景にある民俗的な部分に興味がわいてきた。
神社に行けば、いろんな神様を拝み、お寺に行けば仏様を拝む。朝日やら夕日やらもなむなむ。
うちの集落には、祠とか神社とかたくさんある。多けりゃ多いほど良いって感じである。
・・・やはり便所の紙様も、ありがたや~ってのが良いようだ。昔のドラマかなにかで、トイレットペーパーは一尺まで!っていうようなのを見た記憶があるけど、そんなことをしなくっても、ありがたいなあ、って思えば無駄遣いしないよね。
便所にはいっていれば、たいていの場合はだれも見てないから、紙は使い放題であるけど、紙様が見てござると思えば大事にも使うというものだろう。もったいないし、ありがたい。
エコやリサイクルって言葉を知る前からきちんと大事に使ってたはずなのですな。
そうそう、サクラね。サクラも神社と関係あるようなので調べてる途中。
例年だと、そろそろうちのちかくでも咲く。たいてい、連休前くらいが満開。
今朝は、神社(?)の境内の掃除で集落の作業の日。丁寧に掃除をしに行って参ります。
あぁ、遅れる。