またまた図鑑のはなし。すみません。

イネ科の植物は、似たものが多くてよくわからないので、いつも使う図鑑のほかに特徴の記載が多いものを買いました。このシリーズはなかなかかゆいところに手が届くようなものが多い。マニアック。
イチゴツナギの仲間の違いがわからなくっても、実生活に影響は・・・皆無!でしょうけど。

星を見るのも好きなのですが、天文学=astronomy はastro=星 nom=名付ける なんて聞いたこともあります。。
※nomy=nomos(法則)とする説のほうが主流なのかな?

イネ科はじめ、シダや、カヤツリグサの仲間のなどは、もう何で名前が違うんだ?という状態です。
星も、星座を設定して名前をつけているから違うことがやっとわかる。

違うから名前をつけている。名前がつけてあるから違いが認識できる。
違いのわかる男は、コーヒーのCMですが、センスの良さとは、対象物をどこまで細分化して認識できるか。と考えるならば、

う~ん。なにがなんだかわからなくなってきた。

とにかく、「文化」という言葉があるのだから、名前をつけることは大事な営みなのだろうと思う。

$山の草とか花とか虫とか-イネ科ハンドブック

あ、なんでこんなわけのわからないことに頭を悩ましているかというと、子どもたちが地震や津波を絵や日記、壁新聞にしている光景を見たからです。

恐怖とはなにがなんだかわからないもの。危険とはなにがどう危ないかわかっているもの。
こう定義するなら、この差は大きいと思うのだ。

ネット上でも、この震災のことは多くの人が記事にしている。なにが起きたのか、と。
多分、みんな「恐怖」を記事や文にすることで細分化し、名前をつけているんだと思う。
そうすることで、取り扱い可能な「危険」の段階まで変化させようとしているんだろう。

子どもは、基本的にいつも大人の雰囲気をしっかり把握しているものなので、無邪気であってほしい、元気でいてほしいと大人が望めば、そうしてしまうんだろうと思う。であればこそ、大人でもそわそわしてしまう今のこの気分や感情を吐き出させておくことも必要なことだろう。へんな気分は、こころのなかにほうっておくと・・・腐敗します。

子どもたちに絵を描かせた、先生や保護者はそういうことを知っていてさせているのかな。なんて。

ぼくも、こんなことを書いてなんとなくすっきりしはじめているのだしね。

ここまで、読んでいただいた方がいましたらお付き合いしていただきありがとうございます。