■侍ノ里☆緒川/SAMURAI★TOWN★OGAWA【村木砦の戦-その6】

織田軍の尾張国(愛知県西部)と今川軍の三河国(愛知県東部)、その境目には“境川”が南北を貫いている。

“境川”の川幅は300mくらいある大きな川である。

そのため国境が分かりやすい。

“境川”を南下すると海に出る。

西側の尾張国は知多郡で、伊勢湾と三河湾に挟まれた知多半島がある。

東側の三河国は碧海(へきかい)郡で、三河湾を一帯とした海岸沿いの町が連なる。

当時から海鮮に恵まれた地域だった事が分かる。

江戸時代には船で“味噌”や“お酢”を江戸まで運んでいたそうだ。

“村木砦の戦”では、熱田神宮がある『七里の渡し』辺りから船で出陣した織田信長が率いる織田軍は、ずっと南下して知多半島を一周するように、先端の『師崎港』から北上して“境川”に入り『緒川城』近くの陸地に降り立ったのではないかと想像する。

熱田から東浦町まで陸地の直線距離なら約20km(5里)だが、船で知多半島を迂回しているので約80km(20里)を約1時間程度で来たという。

当時は悪天候だったそうだが、嫌がる船頭に対して、それでも船を出させた織田信長。

最悪は荒波に飲み込まれ、船が沈んで織田軍全滅だったかもしれない。

緒川の陸地に降り立った時に織田信長は、こう思ったかもしれない。

『熱田大明神の神軍(かみいくさ)か!』

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