■侍ノ里☆緒川/SAMURAI★TOWN★OGAWA【村木砦の戦-その5】
織田信長にとって今川軍との“桶狭間の戦い”の前哨戦となった“村木砦の戦”。
もしかしたら、今川義元が率いる今川軍の攻略を、この時からすでに練っていたかもしれない。
『村木砦』から北側へ6kmほど行った所に『桶狭間』があり、どちらも尾張国と三河国の境目にある。
この辺りは知多半島の付け根にあり、当時は海や川などが入り組み、山と谷の高低差が激しい地域だった。
平地での戦(いくさ)では、大群の今川軍が有利かもしれないが、このような山や谷底、そして海に川がある立地は、少数部隊のゲリラ戦の方が有利となる事を織田信長は見抜いていたのかもしれない。
織田信長が拠点を置く『清州城』や『那古野城』(現在の名古屋城の敷地内)のある平地まで今川軍を引き込むよりも、“地の利”を活かして尾張国の出先でもある知多周辺を戦場として選んでいる。
『桶狭間』は宅地化され、当時の面影は跡地公園程度しか残っていないが、この『村木砦』は広大な田んぼや畑が広がっている。
450年前には、この地で織田軍と今川軍の武士が争っていたと思うと、少なからずとも日本は平和になったと言える。
その戦場跡地も、今ではお米を作る田んぼと、その脇には小さな花が咲くのどかな風景が残っている。
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