■侍ノ里☆緒川/SAMURAI★TOWN★OGAWA【村木砦の戦-その3】
1551年、お父さんの織田信秀(のぶひで)が亡くなり尾張国(愛知県西部)の家督に就いた織田信長。
三河国(愛知県東部)との国境の防衛強化に取組み、『清州城』の南東側に位置する『那古野城』(現在の名古屋城の敷地内)で今川軍討伐の戦略を練っていた。
そして1554年2月21日、織田信長が率いる織田軍が出陣し熱田(当時は海沿い)まで進行する。
そこから陸路ではなく船に乗って海を渡り、1時間程度で『村木砦』の近くの『緒川城』周辺に着いた。
織田信長は『緒川城』の城主の水野信元と連合を組み今川軍攻略を練る。
2月25日の辰の刻(午前8時)、織田信長が率いる織田軍の攻撃により“村木砦の戦”が勃発した。
戦場は両軍に死者や負傷者が次々と出る惨状となり、夕刻の申の刻(16時頃)に今川軍が降伏した。
織田信長も、あまりもの激戦で“涙”したと言われる。
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