■侍ノ里☆桶狭間/SAMURAI★TOWN★OKEHAZAMA【桶狭間古戦場-その2】

1560年5月18日、遠い駿河国から遠征した今川義元が率いる今川軍は、三河国と尾張国との境目に建つ『沓掛城』で1晩を過ごした。

そして『大高城』まで進軍するため、19日の辰の刻(たつ/8時)に『沓掛城』を出陣した。

その道中に『桶廻間村』があり、午の刻(うま/12時)頃に到着して本陣を置く。

今川軍が本陣を築いたと言われる地域は、『おけはざま山』という小高い丘の中腹と言われる。

現在は住宅地になっているが、丘の形状は残っており、そのすぐ下場が『桶狭間合戦場』となっている。

実は、この今川軍の本陣や『桶狭間合戦場』はこの周辺に2ヶ所存在し、名古屋市と豊明市で意見が割れている。

『おけはざま山』を頂点に東側が豊明市で、西側が名古屋市である。

ただ、豊明市の『沓掛城』から出陣し4時間あまりを歩いてきて、普通で考えれば、丘の手前で陣を張るより、とりあえず丘を越えて陣を張る方が次に出陣しやすい。

また、織田信長が率いる織田軍が潜伏していた『釜ヶ谷』の立地との関係もある。

この地形や軍略から考えても、今川軍は名古屋市に本陣を築いたと考えるのが自然ではある。

まぁ、豊明市側の言い分や思いも分からない訳ではない。

今更、460年以上前の事実を調べようがないため、正確な答えを出すのではなく、この地で当時の想いを馳せるのもいい。

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