■侍ノ里☆豊明/SAMURAI★TOWN★TOYOAKE【桶狭間戦場-その3】
その頃、尾張大名の織田信長は、今川軍を迎え撃つため着々と準備をしていた。
今川軍へ『桶廻間村』の村民から納められたお酒と食料は、実は織田軍の刺客が差し入れたと言われる。
そんな事は露知らず、名大将の今川義元と今川軍は前戦勝とお酒に浮かれていた。
『清州城』を早朝に出陣した織田信長が率いる織田軍は、まず途中で『熱田神宮』に立ち寄り“戦勝祈願”をしている。
そして『鳴海城』の周囲に築いた『丹下砦』『善照寺砦』『中島砦』を経由して、今川軍の本陣手前の『釜ヶ谷』に潜伏する。
1560年5月19日(現在の6月頃の梅雨時期)の午後2時頃(末の刻)、歴史が示した通りである。
今川軍も駿河の遠方から来ているが、織田軍の『清州城』もなかなか遠い。
『清州城』近くの駅は、JRの清州駅か名鉄の新清州駅が同じくらいの距離なので、『鳴海城』に向かう事を考えると、織田軍は1本で行ける名鉄に乗ったと思う。
鳴海駅前の丘の上に『鳴海城』はあるが、ただ、今川軍に悟られないよう鳴海駅ではなく1つ手前の本星崎駅で下車して『丹下砦』に入ったと思われる。
『丹下砦』から織田軍本陣の『善照寺砦』に行き、そして『中島砦』まで進み、その近くの左京山駅で乗車して中京競馬場前駅で下車すれば『釜ヶ谷』はすぐである。
織田信長が率いる織田軍のルートは、歴史的にこれで立証できる。
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