■侍ノ里☆鳴海/SAMURAI★TOWN★NARUMI【千鳥塚-その3】
千句塚公園から南西側が伊勢湾で、工業コンビナートや伊勢湾岸自動車道が遠目に見えます。
南側に見える山脈には織田軍の『鷲津砦』と『丸根砦』が築かれました。
そのため『清州城』からまず到着した織田信長が率いる織田軍はこの近くの『丹下砦』から、南側の今川軍の『鳴海城』と織田軍の『善照寺砦』、さらにそこから南下した『大高城』を確認できます。
そして南東側の今川軍の本陣が築かれた『桶狭間』も見渡す事ができたでしょう。
天空を仰げば1560年5月19日の雲行きも確認できます。
この地に着いた織田信長は、一瞬にして“桶狭間の戦い”の戦略を組立てたかもしれません。
この事は現代にも言える事でしょう。
たしかにネット環境整備により、なんでも簡単に情報が手に入る便利な世の中になりました。
もし、当時もネットが整備されていたなら、それに頼った織田信長は“桶狭間の戦い”で勝利する事ができたでしょうか?
たぶん、織田信長は目に見えない肌感覚で決断したからこそ、大将軍の今川義元を打ち取る事ができたと、この台地に立ってそう感じました。
それと、山口教継(のりつぐ)と山口教吉(のりよし)の山口親子による“報復”とね。
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