■侍ノ里☆鳴海/SAMURAI★TOWN★NARUMI【鳴海城-その6】

ここからは、この桶狭間の戦いを一帯とした事情や地理など別角度の解釈となる。

そもそも、なぜ、今川義元がこの時期に尾張へ進軍したのか?

その動機付けした1つが、尾張国の『鳴海城』『大高城』『沓掛城』を手に入れた事にある。

これを誘導したのが『鳴海城』の城主だった山口教継(のりつぐ)と山口教吉(のりよし)の山口親子である。

織田方だった山口親子の寝返りに、織田軍の“再度の山口親子の裏切り”という流布により今川義元は山口親子に切腹を命じる。

もし、今川義元がこの流布を信じる事なく、山口親子を今川軍の武将として率いていたら、桶狭間の戦いは別の結果だったかもしれない。

当然にその後、豊臣秀吉の飛躍も無いし、徳川幕府の存在も無く、今川義元が“天下統一”していたかもしれない。

それを、何かに導かれるように今川義元が率いる今川軍は、山口親子が御膳立てした『鳴海城』『大高城』『沓掛城』が結ぶ三角形の中の桶狭間に本陣を築く。

そして、万が一にも敗戦となる事が無い天下の大名として名高い駿河国の今川義元は、その地が“死に場所”となる。

今川義元を桶狭間に導いたのは、切腹を命ぜられ“無念の死”を遂げた山口親子の“執念”とも見れる。

そして、その山口親子の“怨念”と“復讐”が、織田信長が率いる織田軍に勝利をもたらした。

これが、この土地に隠された“桶狭間の戦い”なのかもしれない。

わたし・・・『御先祖様、こんなものでよろしかったでしょうか?』

御先祖様・・・『うむっ!』

現世でも、このような“なぜ?”っと言う怪奇現象も、このような事情が隠れているかもしれない。

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