■侍ノ里☆鳴海/SAMURAI★TOWN★NARUMI【鳴海城-その4】

1560年5月未明、今川義元が2万5000名の今川軍を率いて駿河国から尾張征伐に出陣する。

5月18日に『沓掛城』に到着し一晩過ごす。

今川軍の先陣隊により桶狭間に本陣を築く。

織田軍にも『桶狭間に今川軍の大群が本陣を築く』との一報が入る。

5月19日、早朝に織田信長がひそかに『清州城』から出陣する。

今川義元が率いる今川軍も『沓掛城』を朝に出陣し、お昼前に桶狭間の本陣に入る。

今川軍の『大高城』の松平元康(徳川家康)らが、『鳴海城』との間に築かれた織田軍の『鷲津砦』と『丸根砦』を攻撃して凋落させる。

織田信長は途中、熱田神宮に立ち寄り“戦勝祈願”し、大高方面から狼煙(のろし)が上がっている事で『鷲津砦』と『丸根砦』が凋落した事を確認し、そのまま一気に『鳴海城』近くの『善照寺砦』に入る。


『大高城』の戦況は桶狭間の今川義元にも一報が届き、前哨戦の勝利により『幸先良し』とし、そこに桶廻間村の村民から食料やお酒が届けられる。

気分を良くした今川義元などは、駿河国からの長旅など兵への労い(ねぎらい)も込めて祝杯を上げる。

このお酒などは、実は織田軍の刺客が村民に扮して紛れ込み、今川軍の戦気を失わせるための貢ぎ物だったと言われてる。

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