■侍ノ里☆鳴海/SAMURAI★TOWN★NARUMI【鳴海城-その1】

鳴海と書いて『なるみ』と読む。

そこに『鳴海城』があります。

名鉄の鳴海駅から北側に歩いた小高い丘の上。

桶狭間の戦いでは、織田軍にしても、今川軍にしても、この『鳴海城』は重要な拠点でした。

もともとは織田方の城でしたが、城主の山口教継(のりつぐ)が今川方に寝返り、戦(いくさ)当時は今川方のお城です。

今川義元は最も信頼のおける側近で鬼軍曹と言われる岡部元信を『鳴海城』に入城させ今川軍の前衛部隊とさせた。

桶狭間の戦いが勃発したのは、この“寝返り”が要因ではないかと思っています。

事の経緯は、尾張国の大名だった織田信秀(のぶひで)が1552年に死去すると、その息子の織田信長が家督として尾張国を継ぐ事になる。

織田方の家臣だった山口教継(のりつぐ)は、“うつけ者”(バカ)として名高い織田信長が家督として尾張国を支える事に嫌気が差し、東の強軍でもある今川方に“寝返”った。

山口教継(のりつぐ)は息子の山口教吉(のりよし)を『鳴海城』の城主として譲り、今川方として尾張国に睨みを効かす。

なぜ『鳴海城』が重要な拠点なのかと言うと、尾張国と東隣の三河国は境川が国境となっており、この『鳴海城』『大高城』『沓掛城』は境川に近い立地に配置されていた。

まさに尾張国の織田方にとっては存続の生命線である。

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