■侍ノ里☆大高/SAMURAI★TOWN★ODAKA【古戦場眺望-その2】
『鷲津砦』と共に重要な砦が『丸根砦』だ。
この『丸根砦』、画像は建物の位置関係で写っていない。
ただ、ちっとギリ『丸根砦』の裾野が見えている。
感じは『鷲津砦』と同じようなもので森の丘になっている。
だから『鷲津砦』と『丸根砦』は同じ山脈にある。
小高い丘にポコンと2つの山に築かれた砦から、織田軍は『おっぱい砦』と呼んでいた。
それを聞いた今川軍の松平元康(徳川家康)は『さすが信長様、センスが違う。』と大爆笑だったと“松平記”にも記述されている。
織田信長は戦場の名付けにも、相手の戦気を失わせる兵法を用いていたと思われる。
この『鷲津砦』と『丸根砦』の向こうには今川軍の『鳴海城』が構えている。
なぜこの織田軍の砦がここに築かれたかは、後の講釈とする。
織田信長は若い頃から大高村には頻繁に来ていたという。
『丸根砦』から大府市方面に行った新幹線北側に『蝮池』(まむしいけ)があるが、その池には古くから池主の大蛇(だいじゃ)が住むという言い伝えがあった。
近くに住む村人達は、その大蛇に怯えていた。
それを聞いた青年の頃の織田信長は迷信などを信じず、池の水を全て抜いてしまい、大蛇がいない事を証明したと言われる。
尾張守護の織田家の家督となる織田信長は、青年の頃に領土の尾張国を掛け回り、その地形や風土、村人からの情報を収集していたと言う。
特に大高村は三河国との境にある重要拠点。
自分の足で現地に運び、自分の目で観て、自分の肌で感じ、それが“血”となり“肉”となっていたからこそ、雷雨の田楽狭間で“一瞬の決断”ができたのであろう。
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