
■家族より優先される仕事など、この世に存在しない【その27】
実家は同じような家が建ち並ぶ30年程前の新興住宅地です。
都心部から少し離れた郊外に出来た新興住宅地は、日本の都市圏ではどこにでもある街区でしょう。
30年経った今でも空き家はなく、人はそれなりに住んでいます。
それでも一人暮らしの母親は孤独な生活をしています。
認知症の母親を訪ねるのは子供達とデイザービスの方、それに晩御飯の宅配だけです。
ある意味、人が住んでいない過疎化の進んだ町とさほど変わらないかもしれません。
近所には人が住んでいるのになぜか。
要は典型的な核家族と希薄な近所付合いの町構成だからではないのか。
日本のどの町でも同じように近所付き合いが薄れ、戸建てであれ、マンションであれ、横に誰が住んでいるのか分からないと言われています。
近所のどこかの家でなにかあっても気付く事がなく、気にとめる事もない町を造り続けてきた日本の都市。
近所の人が問題に気付いても出しゃばりやおせっかい、余計な事ではないかと考え躊躇する。
昔ながらの風通しの良い家や町は、法律や権利、時代や志向の基に追いやられるように解体されていき、新しい立派な建物が建ち並ぶ。
人生や身体が上手く機能している内はこれでいいが、高齢者になり誰かの手を借りないと生活できなくなると、この立派な街区が役に立つのか。
大阪や京都には昔ながらの街並みが残っている下町があり、そこには祭りや地蔵盆といった昔ながらの風習が残っています。
これら伝統行事はなぜ残ってきたのか。
単に昔からやっている事だからではなく、1年に1度程度、地域住民の確認の意味もあると思います。
お年寄りから子供まで一同に神社などに集まり、その地域住民の顔合わせや近況報告を受けて確認し、そこで知恵を出し合い困り事や問題など解決していたのではないか。
確かに昔ながらの町には人付合いで煩わしい面もあると思います。
もし一人暮らしのお年寄りが認知症の疑いがあると分かれば、地域の人達が訪問したり自治体に連絡を入れたりし動いてくれる。
そうやって地域で支え合い人が循環して町が成り立っているように見えます。
高齢者の一人暮らしは、家族や自治体だけでは十分に対応できません。
結局、最後は人の力です。
人が逢い、そして愛が育む町。
このように地域の力をも排除してきた日本の都市。
絵面だけは立派な新興住宅地。
高齢化社会問題は人として残すべきものを捨て去った当然の結果なのかもしれません。
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