第72回 夏の忘れ物(一) | 『虹のかなたに』

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たぶんぼやきがほとんどですm(__)m

 一雨降って、すっかり秋の風を感じるようになった。出勤するだけで滝の如き汗をかくということがなくなったのはありがたいが、一方で、夏の終わりを実感し、そこはかとない淋しさに襲われるのである。昨今の学校では8月中に始業式を行うところも増えてきており、そのような感傷に浸る間もなく2学期のスタートを迎えるようであるが、夏休みの最後の1週間というのは、去り行く夏に別れを告げる、もっと抒情的なものであるべきだと思う。
 
 尤も企業戦士としては、そんな抒情とは無縁に日々を刹那的に過ごしているのであるが、なればこそ例年であれば夏期休暇中、日常から隔絶された長旅へと飛び出すのである。ところが今年は休みの直前に腎臓結石を患い、今以て排出されない状況で、体内に爆弾を抱えての遠出も躊躇されるので、家で大人しく引き籠もっていた。しかるに、行けぬとなれば却って旅愁は抑え難く昂るのであり、諸々のSNSで披露される知人友人の「○○へ行きました!」を見る度に、恨めしさ混じりの羨望で地団駄を踏むばかりであった。旅に出ない夏なんて、何か大きな忘れ物をしたような気がしてならない。
 
 地図を眺めては未知の風景に思いを馳せるという根暗なことを趣味としていた私は、小学4年生のとき、いつか叶えばいいなと思う旅の行程をあれこれと組んで、その風景を空想していた。いわば「机上旅行」である。それを見ていた父があるとき、「お前も岡山に引っ越してきて5年が経つのだから、一度、県内一周の旅にでも出て、自分の暮らす県について、理解を深めるとよい」と言ってきた。確かに、普段は校区外から出てはならぬという「校則」に従って閉塞的な日々を送っていたし(というのは嘘で、時折友達とその禁を破っていたが)、電車に乗って出掛けると言っても、国鉄赤穂線の西大寺と岡山の間の往復しかしたことがない。その先にまで足を伸ばせるとあって、直ちに気持ちは高揚したが、なけなしの小遣いではとても賄える旅費ではない。そこへ「ええよ、出したるよ」と、珍しく太っ腹の父。こうして、人生最初の一人旅に出ることになった。
 
 課された条件は、「1日で帰ってくること」「特急や急行に乗ってはいけない」の2点。早速、時刻表を片手にプランニングを始めた。県内を隈なく巡るならば、宇野線や吉備線、芸備線や因美線も踏破したいし、岡山臨港鉄道(後に廃止)や水島臨海鉄道といったローカル私鉄もコースに組み込みたいところであるが、「1日で帰ってくること」という条件があるのと、同じ区間を往復するのも面白くないので、逡巡の末、西大寺駅を起点として、赤穂線、伯備線、姫新線、津山線、山陽本線、そして今は廃止となった片上鉄道を周る、8の字のコースに決めた。
 
 自宅から西大寺駅までは歩いて15分。駅は既に校区外であるが、その校区境付近で上級生に遭遇して「どこへ行くん? ここから出たら先生に怒られるでぇ」と言われたが、「今日はちゃんと許可を取っているのだ!」と宣言し、勇んで歩みを進めた。そして駅の窓口で切符を購入し、10時36分、いざ、出発である。
 
 いつも乗る赤穂線の風景も、心なしか違って見える。岡山から伯備線に乗り換えて、ここからはいよいよ初めての旅である。倉敷から進路を北に変え、高梁川の渓谷に沿って進む。備中高梁を過ぎるといよいよローカル線然とした趣となり、車内の空気も長閑である。車窓に目を遣っていると、おじさんが「ボク、一人かいな。どこまで行くんじゃ?」と声を掛けてきた。県内一周の一人旅であることを説明すると、大層感心され、「気をつけて行かれえよ(行きなさいよ、の意)」と言いながら、お菓子をくれた。「旅は道連れ世は情け」とはよく言ったものである。
 
 新見に到着し、姫新線への乗り換えまで約40分ある。ここで駅弁を購入し、昼食とするつもりであった。時刻表には駅弁販売のマークがついていたはずなのだが、どこを探しても売っている様子がない。仕方ないので、駅を出て、食糧を求めることにした。ところが、うらぶれた駅前には商店すらなく、街中を当て所もなく探し歩き、やっとスーパーを見つけたときには次の列車まであと10分。踵を返して全力疾走し、駅に着いたときには既に発車1分前。駅で慌てぬよう、区間ごとに切符代を小分けにして封筒に入れていたのだが、これが仇となり、小銭を出すのに難儀しているうちに、遂に発車ベルが鳴り出した。ここから中国勝山までは、1日に8本しか列車の運行がないという今回の最大の難関であり、これを逃したら2時間40分待ち、後の行程は完全に崩壊する。半泣きで駅員に訴え、「じゃあ、乗車券は車内で車掌から買ってください」と言われて改札を突破し、間一髪、予定の列車に乗り込めた。「車内放送が終わるまで待ってね」と優しい車掌さん。無事、手書きの乗車券を発行してもらい、列車に揺られているうちに、上がっていた息も整ってきて、食べ損ねた昼食の代わりに、おじさんにもらったお菓子を口に入れた。
 
 中国勝山で一旦下車し、40分待って、当駅始発の列車に乗り換える。そのまま津山まで行ってしまえば、その先の津山線は1本早い列車に乗れてよいのだが、ここで降りたのには訳がある。始発の列車は、津山から大阪行きの急行「みまさか」に変身するのだ。こちらの乗車区間はあくまで普通列車なのだから、最初に示された条件の2つ目からも外れず、しかも鈍行でありながら車内設備や乗り心地は急行列車のそれであるから、今回の旅では唯一、贅沢な気分に浸れるのである。大阪行きの列車に乗って、生まれ育った地に思いを馳せてみたい気持ちもあった。並走する中国自動車道を行く車に次々と抜かれながら約50分揺られ、津山に到着した。
 
 津山ではまた40分弱ほど空くが、新見での失態がトラウマになっていたので、駅から出ることはせず、次の列車を待つことにした。ここから岡山までは約1時間50分。今回の旅では最も長い乗車時間であり、変哲もない山間の風景の中をのろのろと走る。特に、建部と金川の間は人家すら見当たらなく、所要約10分の駅間であるが恐ろしく長く感じられ、そのうち、実はどこかで線路が分かれていて、このまま岡山まで戻れないのではないかという強迫観念に駆られた。法界院辺りで市街地の風景が目に入ってきたときには、心底ほっとした。
 
 岡山に着いたときには18時前。夕方の通勤ラッシュの時間帯である。混み合う山陽本線の姫路行きに乗り、東岡山で右手に分かれる赤穂線を見送りながら直進し、和気に着く頃には車内も空いていた。本線ではあるが、この辺まで来ると、ローカル線と変わらぬ風情だ。15分ほど待って乗り換える片上鉄道の片上行きは、まだ19時前というのに本日の最終列車である。すっかり日は暮れて、ただ漆黒の闇の中を走るだけである。突然、街の明かりが見えたと思えばそこが終点。僅か15分ほどのミニトリップであった。
 
 ここから西片上まで徒歩で移動、赤穂線に乗り換えて、出発地の西大寺に戻ってきたのは19時46分。約10時間の旅を無事に終えた。西大寺に着く前、吉井川を渡ってすぐのところの線路際に、当時住んでいた団地が建っているのだが、見ると母と妹が、ベランダからこちらに向かって手を振っていた。大丈夫、机上の妄想旅行で鍛えた方向感覚があるのだから、迷子になどなりはしませんよ。
 
 これが私の旅好きの原点である。今年は叶わなかったが、来夏に向けて、今から早速、妄想を始めたい。