第10回 郷に入りては郷に従え | 『虹のかなたに』

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たぶんぼやきがほとんどですm(__)m

 先日、我が社に入社してきた中途採用の方が、「地域性の違いに悩んでいます」とこぼした。

 この方は生粋の大阪人で、操る言語も純正品の大阪弁である。全国展開の弊社にあって、配属も大阪だというのに、一体何を悩むと言うのだろう。

 すると、彼はこう言った。

 「淀川と大和川を越えたら、そこはもう、異国でした……」

 出た。北摂人の「河内・泉州蛮族説」。非関西人、いや、非大阪人には分かるまいが、「大阪は一つ」ではないのである。

 以前から抵抗感があった考え方だが、よそ様からすれば、京都も神戸も奈良も一括りの「関西」であり、ともすればそれらの全てが「大阪」である。

 言葉も全部「大阪弁」とひっくるめられがちであるが、実際には似て非なるものである。例えば動物園に鼻の長い動物がいたとする。そして「あの動物は何と言うのか」と問うたとする。京都の岡崎動物園では「象と違いますやろか」と逆に尋ねられ、大阪の天王寺動物園では「象に決まってるやろ」とキレられ、神戸の王子動物園では「象やんなぁ」と同意を求められると言う。ザ行の発音ができない和歌山弁、「しとぉ」「やっとぉ」の神戸弁は、明らかに大阪弁ではない。大阪の中でさえも、摂津、河内、泉州で微妙に異なる。

 確かに、今や関西人でさえ、これらの違いを気にする者は少ないだろうし、言葉の違いとて不明瞭になりつつある。気質の違いとて、地元民でも分かりにくいかもしれない。

 しかし、現実にはやはり違うのだ。同じ大阪でも、川を渡れば「そこは異国」と言って悩む御仁がいるように。岸和田市民が祭りを理由に会社を休むなんてことは、淀川以北の人間には到底理解できることではないだろう。関西を一括りに「大阪」と表現されることへの抵抗感は、そんな点にあるのだ。

 さて、件の彼は、社会経験をそれなりに積んだ30代。なんだかんだ言っても、それなりに柔軟性を持って、「異国の文化」に順応しようとしているようだ。何とか頑張ってほしい。