4月から小学校に入学した長女スーが
この間行われた、幼稚園の卒園式のビデオを見たり、そこで歌った歌を歌うと
ボロボロ涙を流して泣く。
卒園式でもスーは、1番好きだった先生と写真を撮る直前、
先生の目を見ながら、じっと黙ってしまったら
こらえきれない涙が、ボロボロボロボロ流れ出していた。
私はその姿を見て、
幼稚園の卒園式で泣くなんて、すごいな・・
と思った。
私自身、自分が通っていた幼稚園に対して、
思い入れがないから。
幼稚園であったことは断片的にしか覚えていない。
床に落ちた節分の豆を拾って食べたこと。
給食でみんなのコップに注がれる、1リットルの牛乳パックの蓋を開けられる子に対して、
尊敬の眼差しを抱いていたこと。
給食後の遊びの時間に、
ちょっとイケメンの男の子と
教室のゴミ箱に捨てられた大量のプッチンプリンのカップの、裏側のプッチンする突起を
プッチンプッチンと一緒に折って楽しんだこと。
そのくらい。
卒園式も、わけのわからないまま迎えたはずで
涙なんて流すわけもない。
こどもだから、今回の卒園も、そんなもんだと思っていた。
でも、どうやら違うらしい。
とてもアットホームで、いい幼稚園だったからなのか。
スーは、幼稚園に4年間通った。
ということはつまり私も、4年間通ったわけで。
最初に入った時は、
園の先生全員が、園児はもちろん、全園児の親の顔まで、しっかり子と紐づけて覚えていることに驚いた。
この先生担任じゃないのに、私がお迎えにいくと
「スーちゃーん、お母さんきたよー!」
と。 入園してまだまもない時から。
時々しか登場しない、父親の顔だって覚えているのだから、すごすぎる。
そして、毎朝笑顔で、「おはようございます」と挨拶してくれることに
保育士さんって素敵だなぁと思ったものだった。
会社での挨拶なんて、、みんなボソボソっとしかしないから
長年そういう環境にいた私にとっては、
朝の保育士さんの元気な挨拶は、心が洗われるようだった。
入園式で、先生一同が、振り付きで、目の前で歌ってくれた時は
1番前に座っていた私は、迫力があって、圧巻だったなぁ。
それと比べてしまうのが、先日あった、小学校の入学式。
あーそうそう、学校の式典ってこんなんだったわ!!
とじわじわ記憶が蘇るくらい、
昔と何も変わらない、堅苦しい式典。
ほんわかした幼稚園とのあまりのギャップに、
スーが入学早々、学校が嫌になるんじゃないかと心配になった笑
私が誰のお母さんかなんて、
「スーの保護者」と書かれたネームホルダーをしていなければ、
どの先生も知らない。
これから、担任の先生くらいは覚えていってくれるのかもしれないけど
それ以外の先生は、覚えることもないだろう。
なんだか少し、幼稚園が懐かしくなった。
幼稚園時代の記憶は、多分、
これからどんどん広がる世界に上塗りされて、
本人はきっと、ほとんどのことを忘れてしまうんだろうな。
でも実は幼稚園って
子どものお母さんにとって、一生思い出に残る、1番思い入れのあるこどもが通う場所なんじゃないか。
手のかかる幼児期を、家庭と幼稚園と、一緒になって乗り越えさせてもらったような気さえしてくる。
特に私とスーは、よく衝突したから
平日の昼間だけでも、安定した保育を毎日提供してくれて
楽しい楽しいと、スーが通ってくれて
私の気持ちがどれだけ楽になったか。
この間の臨月のときに、スーと同じ当時年長組だった男の子のお母さんとおしゃべりしたとき。
「いーなー赤ちゃん。
うちの子育てなんて、もう終わったようなもんだよ。。
小学校なんて行事ないしさー」
その人は、その男の子の2つくらい上に、更に小学校に通うお兄ちゃんもいた。
私はその時、
『小学校に入る』=『子育てなんて終わったようなもの』
という意味があまり理解できず
ちょっと大袈裟では?と思っていた。
それがスーが入学して1週間が過ぎ、
少しずつ、
あれ、あの時の言葉は、こういうことか??
とわかってきた気がする。
そして更にもっとこれからどんどん実感する気がする。。
真ん中っこになったアール、この間生まれたモモの全員が卒園するまで、あと6年。
スーが卒園しても、間髪入れずに、
10年連続、幼稚園に通えることは
実はすごく、幸せなことなんだ。
幼児期の今を、存分に楽しまなくちゃ。
それと同時に、忘れてしまうだろうこの楽しい遊びの毎日を
こんな日々があったと思い出せるように
記録してあげたい。
そう思わずにはいられなくなった。