こんばんは!
可愛くなりたいあなたのためのスタイリスト 奥野敬子です^^
着たい服を着て、自由に可愛くなるコツをご提案してます♪
今朝の記事【「私はコントロールされないよ」という意思表示こそが「着たい服を着る」と言う行為】
私が販売員として働いていた頃、そこには一定数「心の病気」を抱えている人がいました。
不眠症やパニック障害、鬱など、形は様々でしたが、業務に支障が出ることもしばしば。
オープン1時間前に「今日行けません」と連絡をしてきたり、
業務中のミスが原因で発作が起こって救急搬送、、、などなど。
アパレル業界も人不足ですので、3カ月もすればベテラン扱い。
さらに私の場合「頑張っちゃう」タイプの人間だったので、そう言ったイレギュラーにも自分の休日を削って対応していました。
今考えたら、なんでやねん(ビシっ)な案件ですが、なぜあの時にはそうならなかったのか?
それは結局私が「頼りがいのある人」「しっかりしてる人」でいたかったから、なんですよね。
そして、それは「そうでなければ愛されない」と思っていたから。
何かができる自分でなければいけない。
そういう気持ちがあったから、頑張って、無理していました。
「引き寄せ」なんて言葉がありますが、これもそうだったのかな?と今では思います。
私は頼られる人でありたかった。
だから、「頼りたい人」がそばにきていた。
そしてその「頼りたい人」がいなくなると私は「頼られなくなって」困るから、ずっとそういう人がそばにいた。
面倒なことに、自分から巻き込まれに行くことで、自分の存在価値を確かめたかったし、示したかった。
これは、何度か指摘されたことがありました。
「それ、自分から巻き込まれに行ってない?」と。
けれど、そもそもの「役に立つ自分でなければ価値がない」と自分が考えているという自覚がなければ、言われたことの意味を理解できず。
言われてみれば、パニック障害を抱える子を自分が誘って、一緒に働いたことも、、、、。
結局、自分で選んでいたんですよね。
無理して「私は役に立つ」と証明しなくても大丈夫。
「役に立つ私」でいなくても大丈夫。
何かができる私、でなくてだいじょうぶなんです。
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