昨日は友達と二人で大学のそばを走った。大学のそばには比較的大きな公園があって、夜までサークルなどが活動していた。僕たちは6時に集合して、薄暗い公園の中をひたすら走った。

 僕は、定期的にマラソン大会に出ている。それは、練習の成果を発揮するためというよりは、練習の動機にするために大会に参加するといったほうが正しいかもしれない。さすがに、何千円も参加費を出して、練習をしないわけにはいかないではないか!というわけである。しかも、出るからには少しでもタイムを縮めたいと思うところだ。

 そんなわけで今度は、11月末にある筑波マラソンに出る予定だ。距離は10km。思えば、10kmという距離を大会で走るのは初めてだ。今まで走ったのは、20kmかハーフ。距離が短いだけ楽じゃねーの?と思うかもしれないが、そんなこともないのである。確かに足の疲労は少ない。その反面、距離が短ければ、必然的に1キロあたりの走るスピードを上げるから、心肺機能は辛くなる。

 僕たちはしばらく公園の中を走ったあと、居酒屋に行ってビールを飲んで、軽く食事をした。それから百円ショップに行ってどうでもいいものを買い込んだ。自転車の後輪に付けて川崎乗りできるようにするものと、ゼムクリップと、ソムリエナイフ。今は何でも百円ショップで手に入る。

 明日(日付的には今日)は、早起きして走り込もう。それから、習字をしよう。大学が始まるまでの午前中は、長いようで短い。もしかしたら、人生も同じなのかもしれない。
 法律を習っていると、難しい漢字も度々出てくる。

   瑕疵  欠缺  惹起

 読めますか?答えは、かし、けっかん、じゃっき。

 そう、僕は法学部で法律を習っている。1年生から必修で民法・憲法・刑法を受講する。

 僕の夢は弁護士になることだった。中学のときから。それで、高校は私立大の付属校に入った。中学のときの僕は、必死に勉強していた。でも今振り返ると、そのときは勉強が楽しかったし、「受験」というものをある意味で楽しんでいたようにも思える。
 高校に入ってからは、その反動なのだろうか、思いきり遊んだ。彼女もできた。いわゆる「ティーネイジャー」というものをエンジョイしたと思う。青春とでも呼ぶものだったように思える。良い友達に巡り合えたし、生活は本当に楽しかった。テスト前になると、徹夜で勉強をした。それもまた、当時の僕には楽しかった。友達とファミレスで朝まで勉強したこともあった。もちろん、全然はかどりはしないのだけれど。

 大学に入った今、ずっと追いかけてきた夢がぐんと近くに迫ってきたように思える。精神的にも、物理的にも。でも、僕にはまだ、その夢が僕にとって正しいものなのか、わからない。

 -自分が人の役に立てる職業に就かなければ意味がない。

 僕はこう信じている。警察官になるからには自分が治安を良くしなければならないし、医者になるからには人の命を救わなければならないし、お笑い芸人になるには笑いを通して人に癒しを与えなければならない。

 人は、人との間に立って初めて「人間」になることができる。一人だけで生きているのならば、仕事など必要でないのだ。僕はそう思っているけれど、でもまだ本当に「自分が人の役に立てる職業」は見つけられていないのかもしれない。まだ先は長い。焦らず、ゆっくり行こう。
-生は死の対極ではなく、その一部として存在する。

 このパッセージを村上春樹の文章の中に見つけたとき、僕は感動で身体が震えるのを抑えられなかった。

 僕たちは生きているけれど、これは自然なことではないのかもしれない。僕たちが生きているのは不自然なことなのだ。

 でも、僕が今こんな気持ちになるのは、ただ自分勝手なだけかもしれない。人間というのは本来、自分勝手なものなのだ。


 通りのど真ん中に立って、しばらく通りゆく人の流れを見ていた。彼らは、死んでいた。彼らは、皆生きようとしているようには見えなかった。彼らは、安らかに、消極的に、死んでいた。

 真美からメールがきた。

 彼氏いるけどさ。彼氏がいなかったらSiroに告っちゃうよ(笑)Siroの考え方好きだし、次に彼女になる子がほんとに羨ましいもんー(笑)

 なんだか少し、僕の中の生が大きくなった気がした。
 僕は、生きるよ。
 昨日は横浜に行ってきた。本当はおととい行くはずだったけど、今日になった。ふだん池袋と新宿しか利用しない僕が、なんでまた横浜なんかに行ったのかっていうと、高校のときに付き合っていた彼女が今、横浜に住んでいるのだ。
 何年ぶりだろうか。すごく久しぶりで、すごく懐かしかった。中学生から高校生になったばかりの僕らは、若すぎた。今、大学生になって彼女とお酒を飲みながら話をしていて、しみじみとそう思った。
 僕は終電までには帰るつもりだったのだけど、彼女は突然「うちに泊まっていきなよ」と言い出した。しょうがないので親にメールして、翌朝帰ることにした。

 彼女の家に行ってからも、僕たちは飲み続けた。こんなに飲んだのは、もしかしたら初めてかもしれない。飲んでも、飲んでも、酔わなかった。途中で酒がなくなったので、二人で近くのコンビニまで買いに行った。一人暮らしをしている彼女が、とても羨ましかった。

 彼女は今、年上の彼氏がいて、そのことで悩んでいた。彼女はちっとも幸せそうに見えなかった。それは僕にとっては少なからず悲しいことだし、僕は彼女の幸せを願っていた。
「ねぇ、真美は幸せになるべきなんだよ」
「うん、そうかもしれない」
「真美は幸せそうに見えないよ。自分の幸せを一番に考えてもいいんじゃないの」
「じゃあ、キスしてよ」
 僕は彼女に口づけた。彼女の口の中がすべて涙であるかのような気がした。悲しい、悲しい接吻だった。

 僕たちは朝の4時くらいまで話をし、そのあと二人で布団に入って寝た。アラームはセットしていなかったが、7時過ぎに二人同時に目が覚めた。立ち上がると、脳味噌がかき混ぜられているような気がした。僕の脳味噌はステアカクテルじゃない。
 駅で彼女と別れて、僕は通勤電車に乗って自宅へ向かった。人というのは、酒を飲んだあとは、なぜこんなに後悔の念を抱くのだろう。また、なぜこんなに後悔してまで、「また」酒を飲むのだろう。

 地元の駅で見知らぬ中年男性がジャージ姿で散歩をしていた。歩調に合わせて、「ほいさ、ほいさ」と言っていた。僕の前を通りかかると、彼は大きな声で「あ、おはようございます」と言った。僕はそれに返事する元気はなくて、笑顔で会釈するのが精一杯だった。

 振り返ると、彼はすでに、遥か彼方を歩いていた。ほいさ、ほいさ、という声が、僕の耳をつんざこうとしたので、僕はうずくまって耳を塞いだ。
 僕は、高校教師をしていた。教科はもちろん英語。僕が英語以外の教鞭をとれるはずがない。今日は授業初日だった。僕は、所謂「期待と不安でいっぱいの気持で」教室に入っていった。期待と不安の割合は1:1だったが、教室のドアを開けたとき、僕はその割合を不安3:期待1くらいにすべきだったのだと後悔した。
 そのクラスは、ごく控えめに言って、かなり「酷」かった。一見して、私立の底辺校だと分かるような連中だった(見た目で上位校やら底辺校やらと決めつけるのは個人的に嫌だし、客観的に見ても正しくないと思うのだが、そう感じてしまったのは確かなので、ただ単にそれを事実として書いているだけだ)。
 その連中を相手に、僕は真面目に英語の授業をした。もちろん聞いていない生徒はたくさんいる。注意しても聞かない。真面目な女の子が何人かいるのが、せめてもの救いだった。
 授業はそのようにしてまあ順調に進んだのだが、授業終了10分前くらいになって、問題が発生した。二人の男子生徒が立ち上がって、僕の目の前でカップラーメンを食べ始めたのだ。僕は流石にびっくりした。彼らがいつカップラーメンを作ったのかもわからない。僕は完全に、彼らを見失っていたのだ。
 僕は彼らにどなった。出てけ、と。教室から出てけ、と。何分か押し問答が続いたあとで、ついにチャイムが鳴ってしまった。ああ、初日の授業がこんなものか。僕はそう思いながら、職員室へ向かった。僕の背中は、とても小さく見えたに違いない。


 こんな夢を見た。
 果たしてこれは、僕の将来を暗示しているとでも言うのだろうか。それとも、ただ単に、今塾講師のアルバイトをしていて、さらにドラゴン桜やごくせんなどのテレビドラマを見ていることが関係しているだけなのだろうか。
 どちらにしろ、それがあまり良い夢ではなかったことだけは確かだ。僕が将来、そんな教師になることになっているとしたら、僕はなんとか軌道修正を図らなければならない。「今すぐに」。もちろん、生徒の問題ではない。自分の問題だ。少なくとも、自分はそんな教師にはなりたくない。反吐が出る。

 ああ、夢というのは恐ろしいものだ。形のないものなのに、なぜこんなにも僕たちの心を締めつけ、弄ぶのだろうか。それとも、それは逆に、形のないものだからなのだろうか。僕はまだ、男子生徒の食べていたカップラーメンの生々しさを、鮮明に思い出すことが出来る。
 こんなに悪酔いしたのは生まれて初めてかもしれない。どんなに酔って足もとがふらついても、どんなに意味もなくバカ笑いするようになっても、気持悪くなったり吐くことは、今まで絶対になかった。
 酒に強いというのは、ある意味幸せなのかもしれない、と今日はじめて感じた。酒を飲む度に気持悪くなる人たちは、飲んでいて幸福感を覚えるのだろうか。やはり、酒は呑めど呑まれるな、ということなのかな。僕は、少し、ほんの少しだけれど、前進したような気がした。

 窓の外では、雨が降り続いている。秋雨とはいうけれど、すっきりしない日がこんなに続くと、流石に参ってしまう。ただでさえ感傷的になった僕の心は、雨に打たれてぼろぼろだ。

 明日は昼は横浜に遊びに行って、夜はアルバイトだ。今日は新聞を読まなかったし、予習もしなかったから、明日は2日分の新聞を読み、2日分の予習をこなさなければならないことになる。サボればサボるだけ、ツケが回ってくる。そんなもんだよな。

 -努力をした者だけが、この世界では幸せを手に入れられる。

 僕はこう信じている。労働ではなく努力をした者が。僕は今まで、努力を惜しまずにしてきただろうか?答えはノーだ。だから、僕はこれからは変わる。見えないゴールに向かって突き進む。オーケー、やってやるさ。
051006_2339~01.jpg 僕は今日も10時に起きて、出かける支度をした。大学は昼からだからゆっくりできる。新聞を読んで、ゆっくりと時間をかけて食事をした。

 -本を読もう。

 そう決めていた。大学の講義が終わってから、塾講師のバイトまで時間があったので、大学の図書館で読書をした。
 昨日読んでいた江國香織の「東京タワー」は、昨夜のうちに読み終わってしまった。最後まで、特に魅力がある文章だとは感じなかったけれど、全体的に「どろどろしていて軽い感じ」の雰囲気は好きだ。なんだかすごくリアリティがあるようで、ないような雰囲気。しかも、主人公たちの年齢が自分と同じ(19⇒20へ)というのもあり、やけに現実感を感じてしまった。この小説を読んで強く感じたことは、この主人公の年齢というのはとても「不完全」なそれだということだ。そのことを、僕はこの文章から強く感じた。それと同時に、自分も同じように「不完全」であると再認識した。
 恋愛というのは、19歳の少年を感傷的にし過ぎるのかもしれない。でも、もしかしたら、その感傷のおかげで、少年たちは大人になれるのかもしれない。

 去っていく時のあなたの微笑みの影、
 その影がわたしの夢から彩りを消す、
 あなたはわたしの愛しさのすべてだった、
 あなたの唇に触れたわたしの涙が今遠くに行ってしまったように、
 二人の願いの星は遠すぎたし、高すぎた、
 わたしはただ思い出の中にいる、
 あの、すべてがあった春の思い出の中に、
 あなたの微笑みの影の中にいる

 旅立ちの日は、すごく恐かった。そりゃそうだけどさ。今まではふかふかなベッドで気持ち良く寝てたのに、急に一人で旅に出なきゃいけないんだから。
 でもね、僕はたぶん大きなものを得られるんだ。だから僕は旅に出る。後悔はしない。後ろは振り返らない。僕は心の中で思いきり、「よし」と叫んだ。僕の頭の中で「よし」という声がこだましていた。僕はさっと髪を整えたあと、荷物を持って立ち上がった。大丈夫だ。

 旅立ちから約1週間。僕は前進しているのだろうか、と時々不安になる。でも僕は確実に足を前に進めているのだから、前進しているに違いない。この暗い暗い道がどこへ続いているのかはわからないけれど、僕は歩くのを止めることは決してできない。僕は目的地に着くまで、休まない。

 今日は、大学が休みの日だ。僕は朝の10時に起きてシャワーを浴び、時間をかけて新聞を隅から隅まで読んだ。それから昼食をとって、英語の宿題を終わらせた。昔の彼女と少し連絡をとってから、江國香織の本を読み始めた。江國香織という作家は、はっきり言うと僕はあまり好きではない。文章が軽すぎるし、読みごたえがない。でも、江國香織はときどき僕をとても、しかも不意に驚かせる。それはもちろん、その小説を書く上で、彼女が意図したことなのだろうけれど、それでも僕は彼女のそんな部分を尊敬する。
 その本を読み終わったら、今日は書道をするつもりだ。いろいろな体験をする。これは今の僕だからできることなのかもしれない。そんな中で、自分を見つけられるかどうか、僕は今はまだわからない。でもいつか、何ヶ月後、何年後、何十年後になったときに、もし僕が自分を見つけられていたら、僕という人間はとても素敵な人間になっているかもしれないと思う。だからそのために、僕は旅に出たんだ。
 そろそろ読書に戻らないと。バイトの採用の電話がなかなか来なくて不安だけれど、頑張って乗り越えよう。