こんにちは
カズです

とても考えさせられた先生のブログ

同時に「そうかのか」と思った

僕は小学生の頃
自宅マンションに吹き抜けの中庭があって、
その手すりを何回も往復して遊んでた

1階から7階
手を滑らしたらケガじゃ済まなかったでしょうね、それを誰も見てない時にひとりで。

友達に自慢する訳でもなく
取りつかれたようにやってた。

今になって振り返ったとき、
僕は生に対して集執がないから
そんな遊びをしてたんだと。

さっき、このブログを読んで
逆で生きている実感が欲しかったのかと思った、確かに達成感を感じてた。

何の為に?
存在感をアピールしたいから?

じゃなぜ、その事を自慢したり
人に見せたりしなかっんだろう?

結局は自分のココロを納得させたかったのかな?

欠乏感を他から埋めて貰えなければ
自分の行動で埋めるようになるのか?

ブログの彼女は子供から離された事で自分は必要ないとジャッジされたと思い、僕は自分を邪魔で迷惑な存在だとジャッジしてた。

本能からの行動なんかな?

生の執着が薄いのではなく、
生きたいの願望だったのか?
いや、生きてて良いと確認したかったのか。


知人の女性は子供から引き離された事で男性依存になり、虐待されるのを望むようになった。
ゴミのように扱われる事が嬉しいと。

彼女も生きてる証拠を探してるかな。


勉強してると自分の心や過去の行動の意味が解ったりします、同時にまだ消えてないトラウマや受け入れ切れてない感情にうんざりする事がある。

ようやく正体を掴んでも
戦う術をもっと知る必要がありそうです