生まれも育ちも三河人としてやってますが、実は第一子特有の里帰り出産児を経験してまして(1ミリも記憶に無いけど)生まれた瞬間は鹿児島県指宿市にいました。
父方の田舎が長野で、父がウインタースポーツ大好き人間(私は何もできないし、そんなに興味ない)だったので定期的に盆と正月は長野に帰ってたんですが、母方の実家の鹿児島へは何回か、1〜3回くらい?しかも帰り方も自家用車でだったりで車酔いする子供には過酷な旅でしかなかった鹿児島。
あれ?そういえば妹が生まれる時、家のことやりに来てくれたな!鹿児島のばあちゃん!たった今、思い出した!!
確か夏野菜(ピーマンとか茄子が大ぶりで入ってた)たっぷりカレーを作ってくれたんだけど、当時まだ幼稚園生だった私と弟は食べられず(なんでカレーにこんな野菜が?!って野菜をよけてルーだけかけて食べたな…)。
最後の記憶は小2の時かな。星空綺麗で、いとこと海水浴行って波打ち際で夕日見ながら座ってたら端から軒並みクラゲにさされてみんな腕パンパンにして夜は花火してたら黄金虫やらデカイ蛾がバンバン花火に飛び込んできて。あと墓場でロケット花火戦争とかしたわ。
またね〜!って言ってたはずなのに気づけば中2。毎年、長野への帰省は欠かさないのに鹿児島の話題すらもないなーと思って母に
「そういえば最近ばあちゃんから電話もないね?鹿児島は行かないの?」と聞くと
「知らん!あそことは、もう縁を切ったから!!」と言われ
面倒くせえことになってるなと悟った当時の私はそれ以上、何も聞かず、なんなら部活やら何やらで長野へも行かなかったりして家で友達とオールナイトしたりして過ごしていました。
そこから30年。
いろんなイベント(冠婚葬祭)があったけど、鹿児島にはもう何も無いんだろうな〜と思っていたら。
伯母さんが急に「私、実家帰るわ。」と宣言した。
「実家って。あ、下の叔母さんがおるか。」
「そうよ〜畑やったり、ばあちゃんの面倒見たり大変そうだから。」
・・・。
ちょっと待って!
ばあちゃん
生きてるの?!



ということで会いに行ってきました。(どういうことでじゃい)
鹿児島(屋久島はいったことある)は初だという旦那も連れて、鹿児島市内と指宿へ観光しながらばあちゃんにも会ってきました。



まずは鹿児島市。

山形屋(やまかたや)というデパート?かな。建物がカッコいい!向かいにイトーヨーカ堂がある。


路面電車は種類が豊富で、どれも趣がありました。雨が一番ひどかったときので。


白くまアイスはコンビニでも買えるけど、お店で食べられるなら食べたいじゃな〜い。

旦那はノーマルのベビーサイズ。

私はコーヒー白くまのベビー。




夜は天文館にある居酒屋「大安」で。

予約してなくて1時間ならいいですよって座らせてくれたし、お客さんの入り具合で席を調整してくれて結局2時間ゆっくり飲めた!

料理も大盛りで、安いし天国でした。


締めは大安のお隣、のり一で。


あっさり塩味だけどコク深くて、麺も太くてモチモチで、もう今!!食べたいよ。




2日目、指宿へ。

菜の花列車に乗って。





ばあちゃんと再会!

ボケちゃって何も覚えてないとのことだったけど、そもそも30年も会ってないんだから覚えてたら怖いよ。面影ゼロだし、俺。

元気そうで良かった〜。


そんで叔母伯母ズと「そうめん流し」。

ソコノキミ!「流しそうめんじゃないの?」って思うだろ?チッチッチッ…!

鹿児島、指宿のそうめん流しといえばこれよ!!

あ、これはAセットね。

コイのあらいと、鯉こく(汁)とマスの塩焼き

おにぎり2つ。そうめん1人前。




流すのよ。そうめんを。
ぐるぐると真ん中の冷たい天然水に流すの。

3日目は移動で終了。
飛行機揺れまくって怖かったよぅ…。



天気は何とか、絶景は1つも拝めなかったけど飛行機は往復でちゃんと飛んだし、路面電車も乗れたし、食べたものは全部、美味しかったし

何より死んでると思ってた人に会えたっていうのはなかなか、人生で無いイベントだと思うんですよね。

カレーのこととかな〜今、思い出したからな〜。
耳も遠いって言ってたし、手紙でも書いてみようかな。飯とボ・カミオンの音源も添えて、施設の皆さんで聴いてね〜なんつってね。それまで元気でいてほしいなー。






9/24に花火大会あるらしいんですよ。
指宿で。








誰か

一緒に
行かない?(真顔)





それでは今日も考える1日を!